発達保障をめざす理論と実践応援プロジェクト

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階層と段階の視点② 青年期(15・6才頃から)の可逆操作X を探せ!~3次変換可逆操作の「基本操作」と「媒介」及び「産物」

  青年期の「可逆操作」X を探せ! 

                      

                     山田優一郎(人間発達研究所会員)

                                                                        1.大きな階層の中に三つの段階があるとする田中の発達の捉え方1)は、教育実践にいくつかの示唆を与えます。天野清(1979「教育心理学試論」)2)は、思考の発達がどの段階にあり、次にどのような段階に移行させることが発達の課題となっているかを理解して学習活動を組織することが必要だとしました。

 ここでは、「3次変換期」(15、6才頃)にどのような力が獲得されるのかを実践に必要な範囲で推定していきます。          

     

2.現役の哲学者であり思想家でもある内田樹(2020)3)は、古代中国の社会に「時間意識が成熟した人間」と「時間意識が未成熟な人間」が混在していたとしています。内田(2020)は、「朝三暮四」「守株待兎」などの説話について、おそらく、その時期に文字を知ることが遅く時間意識が未成熟な人たちがいて、これらの話は、一種の「教化的な営み」であり「教育の一つのかたちであった」というのです。

 上記説話は、中国における春秋戦国時代(紀元前500年頃)のものです。ちなみに「朝三暮四」は、次のような話でした。

 

「サルを飼う人がいた。朝夕四粒ずつのトチの実をサルたちの給餌していたが、手元不如意になってコストカットを迫られた。そこでサルたちに朝は三粒、夕方に四粒ではどうかと提案した。するとサルたちは激怒した。では、朝は四粒、夕に三粒ではどうかと提案するとサルたちは大喜びした。」

 

 朝と夕、たったこれだけの時間、夕方には起こりうることを予測できない時間意識の未成熟。サルを笑いものにすることでわかりやすく、大人たちを教化する教材にしていたというのですから驚きです。

 たまたま、兎が株に頭をぶつけて捕獲できた偶然を明日からも続くと思い込み仕事をしなくなった百姓の話しもおなじです。

 

 このように中国では、今から2500年も前から、概念を過去、現在、未来へ置き換えて操作することができない「普通」の大人たちがいて、一方、その人たちを説話によって教育しようとしていた人たちもいたのです。このような逸話の存在は、人間の思考において時間軸を打ち立てる課題が古代中国の社会から存在し、概念の時空間操作は、その当時から社会教育の目標だったことを示しています。

 

3.概念の時空間操作は、今も続く大人たちの課題です。

 内田(2020)は、次のように述べています。

 「広々とした歴史的スパンの中で『今』をみるという習慣がなくなった。時間軸が縮減したのです」「時間意識の未成熟な大人たちは、未来の自分が抱え込むことになる損失やリスクが他人ごとになる。」

 

4.では、いったい概念(知識)の時空間操作によって、何が「獲得」されるのか。

 ヘ-ゲル は、「概念そのものは三つの契機を含んでいる」としました。「普遍」「特殊」「個別」の三つです。

  現在、日本の国語辞典において「普遍」の[対義語]は「特殊」6)になっています。先に紹介した古代中国における説話を「普遍」とその対義語「特殊」ということばに置き換えてみます。

 

「朝三暮四」のサルたちは、朝にもらった4粒のトチの実を永遠に続く「普遍」と思い込み夕方には三粒になる「特殊」(損失・リスク)に思いを馳せることができなった。

 

 お百姓さんは、兎が株に頭をぶつけて兎を手にいれることができた「特殊」な一日を明日からも続く「普遍」と思い込み仕事をしなくなった。

 

 説話の主人公たちは、概念の時空間操作ができない人たちの例として、大人たちを教化する教材でしたから、私たちは、古代中国社会の教科書(逸話)から、概念の時空間操作ができない大人たちは、「特殊」概念をつくり出すことができなかったということを知ることができます。内田のいう「広々とした歴史的スパンの中で『今』をみる習慣」、すなわち概念を広い時空間(歴史)において操作する力がないと、「普遍」に対する「特殊」を認識することができないのです。

 

 以上のことから青年期(「3次変換可逆操作期」)の可逆操作[X]は、次のように推定できます。

 人の思考は「1次変換」において、「個別」の中から「普遍」(共通)をとり出す論理的思考を獲得します。さらに「2次変換」においては、普遍と普遍の共通を抜き出し、より本質的なものに変換する思考によって「(真の)概念」(ヴィゴツキ-)まで概念を拡大します。そして、「3次変換」では、さらに「普遍」の中の普通とは違う、別の共通でくくられる「特殊」概念を獲得できる思考に到達します。そして、「特殊」概念獲得の思考は、すでに獲得している概念を自分のものにし、長く、広い時空間におきかえて操作することによって成立します。

 

 すなわち、青年期の「可逆操作」Xは、「特殊」概念を獲得(理解)できる思考であり、その年令期こそが、田中のいう16・17才頃の質的転換期だと考えることができます。

 

4.古代中国の社会は、「3次変換」の力を獲得している人とそうでない人が混在していた社会でした。日本においても、同じ状態だったと考えられます。「3次変換」の力、「特殊」を認識できていたであろう人物の痕跡が存在するからです。

 

 人は太古から自然の恐怖とたたかってきました。水とのたたかいもそのひとつです。洪水はいつあるのか予想がつきません。ひょっとしたら、今後はないのかもしれません。しかし、ないのかもしれない洪水(「普遍」ではない「特殊」)に備え、わざと決壊しやすい堤をつくって洪水に備えていた地域があるのです。次の記述は、岐阜県の防災に関する子ども向けパンフレット7)からの抜粋です。

 

「昔の人は堤防にすき間をつくり、そこから洪水を入りこませて、人が住むところで川が反乱しないようにしました。そのすき間のある堤防のことを『霞(かすみ)堤』といいます。」

 

 この地域の誰かが、概念(知識)を未来に変換し、洪水に備えるだけでなく、堤防を高くするという「普遍」的な手段ではなく「特殊」な考え方を編み出したのです。

 

「同じ川沿いに水を流してもすぐに水がひいていくA地域(遊水池)と、水があふれるとたくさんの人の命が失われるB地域がある」

 

 このような地形にある時、堤防を強くしたり、高くするという「普遍」ではなく別の道を選択したのです。この「霞(かすみ)堤」のうみの親は、なんと武田信玄とされているのです。(「毎日新聞」)8)

 実際の発案は、臣下であっても、領主の許可なくできる工事ではないので信玄が「普遍」に対する「特殊」を理解していたことはまちがいのないことです。では、いったい、武田信玄は、戦国時代にあって「特殊」を編み出す思考をどのようにして獲得したのでしょうか。

 小和田哲男(2014)9)によると、武田信玄は、すでに20才の頃には漢詩を読むだけでなく、漢詩を作るほど秀才だったのです。もちろん、「朝三暮四」「守株待兎」などの知識もあったのでしょう。しかし、当時の戦国武将の子弟たちが教科書としていたのは「武経七書」という兵法書でした。その中には、生きるか死ぬのかの「特殊」な状況に遭遇した時、「死」(特殊)を覚悟すれば生きて、生(「普遍」)に執着すれば死ぬということなどが書かれているのです。10)(「呉子」)

 概念(知識)は、知っているだけでなく、自分の内面に取り込み、自分なりに消化しないと行動にはつながりません。武田信玄は、「3次変換」の思考を自分が生きる武士道の中で獲得できる条件にあったといえます。武士の世界は、未来(時間軸)に損失(「特殊」)を抱えこまないための生き方が徹底されていた社会だったのです。信玄の例からわかるように日本の中世の社会にも「3次変換」を獲得している人とそうでない人は混在していたのです。みんなが信玄が育ったような環境にはなかったのですから、「3次変換」までに至る教育環境は、あるところには「あり」、ないところには「なかった」ということができます。

 

5.前述のとおり、中国の古代社会において「特殊」概念の獲得は、社会の「教化」の目標でした。しかし、「特殊」概念の獲得は、今も続く現代社会における発達の課題だといえます。誰もが遭遇する「特殊」なできごとに合理的に対応できないと豊かに生きることに困難をもたらします。

 

「ケ-キの切れない非行少年たち」を長い間みてきた精神科医の宮口幸治(2019 )11)は次のように記録しています。

 

「時間の観念が弱い子どもは、“昨日” “今日” “明日”の3日くらいの世界で生きています。場合によっては数分先のことすら管理できない子どももいます」

「『今、これをしたらどうなるのだろう』といった予想も立てられず、その時がよければそれでいいと、後先考えずに周りに流されてしまったりします」

 

「あなたは今、十分なお金を持っていません。一週間後には10万円を用意しなければいけません」

 

 毎日の日常(「普遍」)に対して、急に10万円が必要となる(「特殊」)な事態を仮定し、行動を選択する問題を投げかけます。彼らはどんな行動を選択するのでしょうか。

「どんな方法でもいいから考えてみてください」

 宮口の質問に対して「親族から借りる」「消費者金融から借りる」と並んで、なんと「盗む」「騙し取る」「銀行強盗をする」という選択肢が普通にでてくるというのです。

 宮口の結論は、以下のとおりです。

「世の中には『どうしてそんな馬鹿なことをしたのか』と思わざるをえないような事件が多いのですが『後先を考える力の弱さ』が出ているのです」

 すなわち、「特殊」に対して合理的でない結論、いわば、割にあわない選択をしてしまうのです。

 「3次変換」(「特殊」)の弱さがもたらす「今さえよければ」という思考も「自分さえよければ」という思考も自由です。しかし、「普遍」の中にひそむ「特殊」を把握する力が弱いと、割りにあわない選択どころか、とりかえしのつかないことになってしまうことがあります。

 

 2021年6月28日。千葉県八街市の路上で下校中の小学生の列にトラックが突っ込みました。2人の児童が死亡、1人が意識不明の重症、2人が重症です。運転手は飲酒運転の常習者でした。

 

 ある日、がまんできずに酒を飲んで運転した。何ともなかった。また、がまんできない日があって、酒を飲んで運転したがなんともなかった。くりかえすうちに、もう、これが普通(「普遍」)だと思いこんでしまう。その普通(「普遍」)の中に「酒を飲んで運転したら事故をおこす確率が高くなる」というもうひとつの共通でくくられる「特殊」は、だんだん他人事になる。内田(2020)が指摘したように時間意識の未成熟な大人たちは、「未来の自分が抱え込むことになる損失やリスク」が他人ごとになるのです。しかし、「特殊」は日々の普通(「普遍」)の中にあるから、突然現れる。運転手は60才。危険運転致死罪は15年以下の懲役。失われた子どもたちの命は、取り返しがつかない。

 

 「3次変換」(「特殊」)の弱さがあっても、障害とはいえず、ましてやそれだけで、罪に問われることはありません。しかし、古来から中国の人たちが教化の目標としてきたように、今でも「自己の人格を磨き、豊かな人生を送る」12)ためには必要な力だといえます。

 

6.概念の時空間操作は、もうひとつの結果をもたらします。

 エリクソンの「アイデンティティ」ということばは、専門書でなく普通の辞書に載っています。したがって、世界の共通語です。

アイデンティティ」とは、どんなものでしょうか。

 

「彼がかってそうであり、まだ現在そうなりつつあるもの、それから彼が考えている自分と、社会が認めかつ期待する彼と、これらすべてを総合して一貫して自分自身をつくりあげることである」13)

 

 日本では、「自我同一性」(「発達心理学辞典」ミネルヴァ書房)と訳され、自分はいつでもどこでも自分であるという一貫性のこととされています。

 エリクソンの説明からわかるように、「アイデンティティ」の確立は、過去、現在、未来へと続く「自己」、社会が認め期待する「自己」を一貫したものとして確立することですから「自己」という概念の時空間操作にほかなりません。エリクソンは、この仕事を17才までに達成しなければならない青年の「中心的仕事」としました。 14)

 エリクソンの研究から、人は15・16才頃の節を越えて「自己」概念の時空間操作ができるようになることがわかります。ちなみに「自己同一性」について、内田(2020は、次のように述べています。

「時間意識とは、『もう消え去った過去』と『まだ到来していな未来』を自分の中に引き受けることです。過去の自分のふるまいの結果として今の自分がある。未来の自分は今の自分の行動の結果を引き受けなければいけない。そういう骨格のはっきりした、ある程度の時間をもちこたえられるような自己同一性」

 

まとめ

 田中(1987)15)は、「変換の階層」の第3の段階を「3次変換可逆操作」の段階としています。「3次変換」は、「普遍」の中の普通とは違う、別の共通でくくられる「特殊」概念を獲得できる思考への到達でした。そして、「特殊」概念獲得の思考は、すでに獲得している概念を自分のものにし、長く、広い時空間におきかえて操作する活動によって獲得されます。他とはちがう「特殊」な自分をみつけることこそ、アイデンティティの確立であり、以後は、アイデンティティを拠り所に自分の人生を歩むことになります。

 

 以上のことから、15・6才頃からはじまる田中のいう「3次変換可逆操作」期の可逆操作は、次のようにまとめることができます。

 上記①の思考が②と③の間で可逆し、②によって③を獲得し、③のひろがりによって、➁を充実させていくという循環によって自己発達をとげていくということができます。 アイデンティティの確立は、ある程度の広い空間、長いスパンで「自己」という概念を操作した結果であり、「自己」という概念の時空間操作によって、特別な自分を発見した証だといえます。

 

 発達の段階表は、通常、段階ごとに「~ができる」「~がわかる」という説明が続きます。しかし、これは結果として、できたり、わかったりすることの説明です。なので、段階表といくらにらめっこしても、ここから実践を「どうすればいいのか」は、直接出てきません。しかし、本ブログでいう「~可逆操作」には必ず、上記②の外の世界から何かを得るための媒介となる活動がセットになっています。どの階層、どの段階においても➁の媒介こそが、実践を組織するキーワードです。こうして、「可逆操作」は、段階把握の目安になるだけでなく実践の手がかりにもなるものです。

 

 ここまで、15・6才の節の「可逆操作」について検討してきました。しかし、障害児教育の課題は、ここからです。発達年令12・3才頃で入学してくる(軽度の知的障害)生徒の可逆操作を明らかにして、そこから実践のヒントを得ることは、障害児教育が直面している課題になるからです。

 

1)田中昌人(1987)発達保障の発達理論的基礎「発達保障の探求」全障研出版部P150。長嶋瑞穂(1974)「障害者問題研究」第2号.全国障害者問題研究会P11表9

2)天野清(1979)発達の条件と教育の可能性心理科学研究会編「教育心理学試論」三和書房 

3)内田樹(2020・2・29付)「今さえよければそれでいい」社会がサル化するのは人類が「退化フエ-ズ」に入った兆候.文春オンライン

4)内田樹(2020・2・28第一刷発行)「サル化する世界」.文藝春秋

5)山内清(2014)ヘ-ゲルの「普遍-特殊-個別」論理.鶴岡工業高等専門学校研究紀要第49号

6)「現代国語辞典」(三省堂) 

7)岐阜県(平25)「私たちが守り伝える~伝統的防災施設」

8)毎日新聞2020年2月1日付)

9)小和田哲男(2014)「戦国大名と読書」柏書房

10)前掲9)

11)宮口幸治(2019)「ケ-キの切れない少年たち」新潮社

12)教育基本法第3条 生涯学習

13)相良麻里(2006)現代青年の意識と行動~アイデンティティの問題にかかわって。東京家政大学研究紀要Ⅰ人文社会学46巻

14)前掲13)

15)田中昌人・清水寛編(1987)「発達保障の探求」全国障害者問題研究会出版部

 

                       (2020・5・13メモを加筆)