軽度知的障害児の教科学習
はじめに
12・13才(小6・中1年生)頃からの段階は、
①「なぜなら」数回思考で ②いくつもの変化する環境にいくつもの段取りで働きかけ ③二重に抽象化された概念を形成していく年齢期でした。
④そして、①は②③の間で可逆しながら、拡大再生産されて発達を遂げていきます。
現代社会は、丁稚制度における商行為への参加とちがって、大人社会へ参加するための基礎的な知識(中3まで)を国(文部科学省)が示し、義務教育としています。まずは、「2次変換可逆操作」期が始まる中学1年生の教科学習の内容をみてみましょう。
Ⅰ.中学校の教科学習
(1)数学 方程式のはじまり
・「解」「左辺」「右辺」「等式」「X」という二重に抽象化された新しいことばが登場します。
2個のリンゴ 、2個のミカン・・・いろんなふたつの物を抽象化したのが「2」という数字です。Xは、それらの数字をさらに抽象化し、2にも3にも4にもなる二重に抽象化 された文字です。方程式は、いくつもの「なぜならば」をくりかえす段取りによって「解」を求めます。
X+7=4
1.左辺の7をとるために7を引く X+7-7 なぜなら(Xだけ残すため)
2.等式なので右辺からも7を引く X+7-7=4-7
なぜなら(左辺と右辺は等式だから)
3.計算をする。 なぜなら(Xを明らかにする必要があるから)
4.解を出す X=-3
つまり、中学校からの教科学習というのは、文字と頭を使って、「なぜなら・・」と考えながら、「段取り」を組み立て、「解」のだし方を学ぶようになっているのです。
こうすることで式の数字がどの数字に変化しても「解」をもとめることができるからです。
(2)理科 身近な生物の観察(たんぽぽ)
・観察の段取りを学習します。
1.虫メガネではなくルーペを使う。なぜなら・・・。
2.花ではなく、ルーペを目に近づける。なぜなら・・・。
3.ルーペではなくたんぼぽを動かしてピントをあわせる なぜなら・・・。
4.対象を観察する
「なぜなら・・」の連続で「段取り」(1~4)を立て、位置と形をセットで、「おしべ」「めしべ」「花弁」(小学校では「花びら」)などの概念(ことば)を学びます。世の中に「おしべ」「めしべ」があるのはたんぽぽだけではありません。しかし、「なぜなら・・」をくりかえしながら、観察することで観察の対象が変化しても「おしべ」「めしべ」を見つけることができるのです。
(3)社会
・歴史~時代の区切り「江戸時代」と「明治時代」
江戸時代
1.江戸時代は関が原の戦いに徳川家康が勝利した年から始まる・・ブー! なぜなら(ひとつの戦いの勝利者が権力を掌握するとは限らない)
2.江戸時代は、江戸城の完成から始まる・・プー! なぜなら(江戸城は、ずっと前からすでにあったから)
3.江戸時代は、徳川家康が征夷大将軍に任命された年から始まる 〇 なぜなら(ここから、徳川家康の実行支配が名実とも可能になったから)
こうすることで次の時代の変化にも対応できます。すなわち、明治時代は政権が明治天皇に移った年から始まることがわかるのです。
同じようにして新しい技術と、芸術分野における概念(ことば)を学びます。
すでにみてきたように丁稚制度では、「なぜなら・・」「なぜなら・・」と物事の根本を考えられる年齢になったら商行為に参加させ、大人として生きていくための概念を学べるようにしてきました。今は、どの仕事についても困らないように学習内容は国が基準をしめしています。しかし、障害児教育では、軽度の障害児は就職の可能性があるのだから、学校ではなく働く現場で、あいさつの仕方や単純労働を繰り返して、がまんする力を身につけたほうがいいとする主張があります。これは、障害児は「なぜなら」と、考える必要はないといっているようなものです。しかし、みてきたように私たちの社会は、ずっと昔から、子どもたちにその年齢にふさわしい「考える」力が育つ環境を準備してきました。「考える」ことが不得意だからと、「考える」力を育てる環境から子どもたちを引き離す教育は、先人たちの叡智に逆行するものです。
こうして、軽度知的障害生徒(「2次変換可逆操作」)に教科学習は必要か、という問いに対し、可逆操作の発揮こそが発達を押し進めると考える「階層-段階理論」は、明確にyesという根拠を与えます。
Ⅱ.「金の卵」たちのその後
私が生まれた沖永良部島では、私が中学校を卒業したころほとんどの子は中学校を卒業して集団就職をしました。島に高校がひとつしかなかったこともあり、高校へ進学したのはわずかでした。中学校で学び、中学校を卒業しているのですから、みんな二重に抽象化された「2次変換ことば」を獲得して、大人社会へ参加しました。しかし、就職した同級生の中に勉強している気配がなかった子が何人もいるのです。その中にレストランの経営者になった人や、カラオケスナックを3店経営している人、田舎の町会議員の議員などもいるのです。
「昭和39年、駅のホーム担当でした。『金の卵』を待って受け入れる会社の人がプラカードをもって出迎える。駅のアナウンスも当時は『ウイノー、ウイノー』となまっていましてね。迷子の生徒を呼び出す構内放送もひんぱんにありました」1)
私の同級生たちに限らず、集団就職は、全国の「農村から都市への『民族大移動』であるとともに、若者たちにとっては職業人への旅立ちであり、青春の希望と苦悩に満ちたドラマ」2)だったのです。
こうして、中学校を卒業して全国から都会に出てきた人たちの多くは、私の同級性たちと同じように苦労しながらも、一人前の社会人として育っていきました。そして、その中には、「勉強は苦手」と公言し、勉強している気配がなかった子が何人もいたハズです。にもかかわらず、彼らの多くは何度も「特殊」な事態に合理的判断をくだし、ピンチを乗り越えて生き抜いてきたのです。つまり、どう、考えても「3次変換」に到達してここまできたと考えざるを得ないのです。彼等にとって、中学校での「教科学習」は何だったのでしょう。
(1)さて、「金の卵」世代の人たちの中で「勉強している気配」がなかった人がいたとしても、毎日学校にきて授業を受けていましたから、中学校での教科学習は不要だったという結論は導くことはできません。すなわち、いくら、勉強している気配がなかったとはいえ小学校6年生までの知識で就職したのではありません。中1から中3までの間に何かを学んで卒業したのです。
(2)当時の地方の経済事情から多くの人が家事労働において自分の「段取りで~ができる」舞台がありました。
私の田舎では、 バレー部、陸上部の部活はありましたが、参加しているのはごく一部の生徒でした。今でも交流のある同級生の一人は「バレー部にはいりたい」と父親にお願いしたら「中学生にもなっていつまでも学校で遊ぶな。早く家に帰って牛の世話をしろ」とどやされたと還暦すぎた今ても愚痴っています。
牛の世話は、どこで、どんな種類のエサを刈ってくるのか、そのエサはどこにあるのか、季節ごとに判断しなければなりません。朝行くのか、放課後にいくのか、天気はどうか、いくつもの「なぜなら」を繰り返して合理的判断をしなければなりません。つまりは、自分の「段取り」次第なのです。当時の女子中学生がしていた(畑仕事で遅く帰ってくる)両親にかわっての夕食づくりも「なぜなら・・」と繰り返しながら自分の「段取り」によって力を発揮できる舞台でした。
この状況から、ひとつの仮説が浮かびあがります。
彼等は自分の「段取りで~ができる」舞台で活躍していたのですから、教科学習で登場する「2次変換ことば」を理解することは可能であった。彼らは中学校で獲得した「2次変換ことば」を駆使して卒業後も概念を拡大し続けた。地方から都会へ出てきて見聞きする世界のひろがりとともに概念を一気にひろげた。やがてすでに獲得している概念の時空間操作によって、過去、現在、未来の自分を見通し、各人、アイデンティティを確立し、自分の道を歩んできたというストーリーです。
1)2)加瀬和俊(1997)「集団就職の時代~高度成長のにない手たち」(青木書店)
Ⅲ.教科学習の意味
(1)おおよその意味を知る
さて、先の仮説でいくと中学校の教科学習で学ぶ「2次変換ことば」は、卒業後、職場の仲間と、あるいは接客の仕事なら、お客さんとコミュニケーションできるほどの理解で良かったということになります。それも、厳密な理解ではなく、「だいたい、そういう意味か」と、おおよその意味がわかる程度の理解で良かったといえます。中1の 理科の例でいうと、タンポポの花に「おしべ」「めしべ」「花弁」というのがあり、それはどうしたら見ることができるのか、ということがわかったらまずはOK。そこから先、つまり、「おしべ」「めしべ」「花弁」の位置と形を覚え、テストの( )へ記入することは、とりあえず、大人社会への一歩には支障なかったといえるのです。ただし、高校へ進学するためには記憶し、反復し( )へいつでも書き込めるようになるまで勉強が必要なことは知っていたのです。しかし、すぐそこに田舎を出て自分の「段取り」で稼ぎ、自立できる世界をめざす少年期の子どもたちにとっては( )へ記入できるかどうかはさほど大切なことではなかったのです。
したがって、中学校の教科学習は、とりあえず、卒業後大人社会でコミュニケーションできる程度のことばの大まかな意味を理解できるようになることが一義的に大切なことだということがわかります。
(2)概念(ことば)が飛び出してきた壺を知る
学校は社会で通用するすべての概念(ことば)を教えることはできません。では、「金の卵」たちはどうしたのでしょう?たとえば、中年になった頃、「ニート」ということばはわからなかったのではないてしょうか。おそらく「このあいだニートってことばをきいたけどあれは何?英語か?」と、年寄りではなく、また嫁さんでもなく、若い人にきいたと思います。なぜなら、たぶん英語ではないかと検討がつき、自分たちの年代以上の人は英語が苦手だというのもわかっていたのです。そして、すぐ教えてもらったことでしょう。だから、中学校で全教科を学習したことの意味は、わからない概念(ことば)に遭遇した時、何を調べたらいいのか、誰にきいたらいいのかを判断する材料になるという意義があるのです。自分でその概念(ことば)を調べたり、わかっている人を探したりという局面は、生きている限り、誰にでもあります。その時、どこを調べるか、誰にきいたらいいのか、どうしたらいいのか、局面を打開する手がかりになるのが各教科の範疇(カテゴリー)だといえます。
おそらく、レストランを経営している「金の卵」だった彼は、たとえば店で使うパソコン用語がわからなかった時、常連さん(近くのある高校の先生)にきいたらすぐ解決できたのです。けっきょく、中学校の各教科は、どこに何があるか、概念(ことば)がとびだしてきた壺がわかるようになっているのです。「金の卵」たちは、中学校の各教科で学んだことをもとにして壺に目当てをつけて、わからない局面を打開してきたといえます。
大人社会でコミュニケーションできる程度にことばのおおよその意味を知る、わからないことに遭遇した時のために、概念の存在する壺を知るーーー進学しようが、就職しようが、大人社会で生きていくためには、このふたつの力を必要としています。
Ⅳ.以上のことから導かれる軽度知的障害生徒(「2次変換可逆操作」)の教科学習のポイントは、以下のとおりです。
(1)内容の厳選~「なぜなら「なぜなら」と考えることができる教材を。
可逆操作(①②③)が発揮できる学び方は、可逆し、拡大再生産し、将来の概念形成のポテンシャルが担保できる学び方です。とすれば、必ずしも、中学校の教科書に出てくる新しい概念(ことば)のすべてを学習する必要はないといえます。むしろ、知的障害に対する「手当て」を考慮するならば、各教科の内容を厳正し、時間をとって丁寧に「なぜならば」「なぜならば」と考えながら答えに到達できる教材の精選こそ大切だといえます。
(2)コア教科から「横すべり」の概念形成を。
内容を厳選できるとしたら、本人の夢や興味・関心、知りたいことをコアにして、関連教科が散らばって配置されるようなオリジナル教科書づくりが可能です。コアから横すべりに各教科のことば(概念)の獲得ができる教科書づくりです。当事者の声を聞きながら、中学校の教科書の内容を再編した教科書そのものを「なぜなら」「なぜなら」と考えながらつくっていく過程は、教科書づくりそのものが概念形成の授業となります。
(3)「大人」な教材を。
知的障害児は、理由、根拠がわからないまま答えだけ大量に記憶するのは、とっても苦手です。しかし、人の発達のすじ道は、基本的に共通ですから「2次変換可逆操作」期まで育った子どもたちは、次の舞台(大人社会)へはばたきたいと強く願っています。大人になりたい人たちにふさわしい教材が必要です。
次の舞台へかけあがるために必要だとわかった時、苦手な記憶の壁にも果敢に挑戦します。次の資料をご覧ください。
資料
言語:社会 12.6才.療育手帳-軽度 男子
養護学校高等部(当時)で入学式に顔を出したまま登校できない生徒がいました。彼は5月の連休に無免許で一方通行を逆走しパトカーに追跡され橋桁に衝突、現行犯逮捕されたのでした。この事件で私が警察署へ引き取りに行ったのが、アキオ君(仮名)でした。
秋になり、運動会が終わったころ、アキオ君が自分の席で何やら熱心に一枚のチラシを見ています。ヘルパー3級講座のチラシでした。「こんな仕事に興味あるの?」と聞くと彼は即座に「ハイ」と答えました。しばらくして私は「向いているかも・」と考えるようになりました。彼は小学部の小さい子、障害の重い子の面倒をみるのがとっても上手だったからです。それから、半年かけて学年と進路指導部がタッグを組み、希望する生徒にヘルパー2級の講座を開設する準備をすすめました。PTA、地域の社会福祉法人、医療生協病院、学園の保育士、大学の先生、教職員のボランティア延べ人数110人。まさに一大イベントでした。こうして希望する生徒たちがヘルパー2級の資格を取得しました。彼もここで取得した資格を生かしてディサービス施設へ、ヘルパーとして就職することができました。
あれから11年が経ちこの夏、久しぶりにアキオ君(29才)と会う機会がありました。そこで私は彼の悩みを知ったのです。
「介護福祉士の資格をとるように言われている。何度受けても通らない。」
私は、「中核機制」を探す旅を中断し、しばらく彼と一緒にこの山を登ることにしました。(ここまでを私の所属する研究会の機関紙に寄稿)
(続きです)
「なんとかなるぞ。応援するから・・」と彼を励ましたものの私にとっては未知の世界。こんな時、いつも私は、長嶋1)の言葉を思い出します。
「わからないことは、まず子どもに聞きなさい」
言葉のない障害の重い子どもたちの場合でも、教育はまずもって、その子たちの声なき声に耳を傾けることから始まります。どんな局面でも難しい実践を切り開く鍵はそこにあります。
さっそく、私は彼に聞いてみました。
「どんなテキスト使っているの?」
彼が喫茶店で並べたテキストをみて驚きました。400ページを超えた分厚いテキスト、しかもそれが2冊です。「先輩たちもこれで勉強しています」と、彼は顔をひきつらせました。
(これは無理。どうしよう.助けて・・)
彼からの最初のサインでした。
ならば、と私はニンテンドー3DSの過去門攻略ソフトを、本体と一緒に彼のところへ持参しました。彼はこの種のゲームが得意だったからです。ところが、しばらくしてようすを聞くと進んでいる気配がありません。「どんな風にしているの?」と3DSを見ると充電さえできていませんでした。
彼は問題を読むのに時間がかかります。ゆっくりていねいに読んでいくのです。ニンテンドー3DSのソフトは、ゲーム感覚ではあるけれど、一問一問の解説は長く、彼の力ではとてつもなく時間がかかるものでした。
「これも、無理」。彼のサインでした。
テキストよりは、文字数の少ない過去門がいい、やっとそこまではわかりました。しかし、「読めない漢字がある」「漢字の意味がわからない」など、彼はさりげなくつぶやいて私にサインを送ります。彼の声を聴きながら、私は彼が合格するために必要なテキストのイメージが少しずつできてきました。彼は、働いています。毎日、ふたりで勉強するわけにはいきません。もはや、彼が自力で勉強できるオリジナルのテキストをつくるほか道がないのです。
➊問題の「肢」のまちがいを一言、一行で根拠がわかるようにする。これで解説文の量を極端に圧縮し、読む負担を少なくできる。➋まとめコーナーを作り過去門とテキスト(答えの根拠)を一体化させる。➌その際、語呂あわせで暗記を助ける。➍読めない漢字にふりがなをつけ、用語解説で漢字の意味がわかるようにする。➎一周で同じ問題を3回繰り返せるようにする。
試験は1月末。テキストの一冊目(過去門前年分)ができたのは12月はじめでした。彼は私が持参したテキストを興味深げに受け取ると私の目の前で問題を解き始めました。途中、一問あたりの時間を計測すると、一年分が6時間で仕上がるものになっていました。
「この一冊を年末までにできたら合格できる。疲れてできない日がつづいたら漫画喫茶にこもれば一日で終わる」
試験までもう、時間がありません。
「ハイ」
彼は安堵した表情でテキストをカバンにしまいこみました。
私はすぐに、2冊目の準備を始めます。
以後、たいてい期限ギリギリに「終わりました。次お願いします」というラインが夜中に届きます。私は、翌朝早起きして準備しておいた次のテキストをプリントアウトし製本して朝一番に速達で送ります。朝一番の速達だと、その日から勉強できるからです。
彼がフェスブックをしていることを私は知りませんでした。彼からの友達申請もなかったからです。しかし、年があけて、彼のラインが舞い込んできました。
「もうすぐ、介護福祉士の試験です!少しずつですが追い込みをかけています。合格したらいろいろ人生が変わるので絶対とりたいです!」
好きな彼女もいます。結婚もしたい。しかし、低賃金。この試験に合格したら給料があがると上司から聞かされていました。
「いろいろ人生がかわるので絶対とりたい」
彼の願いを知り、私は胸を熱くしました。私は、朝、昼、晩、暇にまかせて関連資料を調べ、パソコンを打ち続けました。試験5日前、ギリギリのタイミングでした。彼は自分の人生を変えるために3年分の過去門を制覇したのです。
先の原稿(機関紙への寄稿)を書いた1ケ月後、合格発表があり、彼は見事合格でした。
彼のおかげで私も、新しい世界を知りました。しかし、彼が私に大切なことを教えたのは、これがはじめてではありません。前述のように彼は、高等部生の時、ヘルパー2級講座を受講しました。講座には修了認定試験があります。
試験日当日、私は今までの教師生活で見たことがない風景に出くわしました。
私が試験問題をもって、会場へ向かうと全員が会場前の階段に座り込み、沈黙したまま、あるいはぶつぶついいながら、それこそ一心不乱状態でテキストを暗記していたのです。私は、「がんばって」と声をかけて会場へ向かったのですが、やがて自分の動悸が高まるほど後悔の念に襲われました。
「ひょっとしたら、彼等には、もっと教科の学習が必要だったのかも知れない」
もちろん、私は「障害児たちには、作業能力や職場での態度が大切であって、教科学習は不要」という立場ではありませんでしたが、~を記憶するシステムを学校のカリキュラムにいれることはしてこなかったのです。
私は、どこかで長嶋が指摘していたような気がして、家に帰ると何回も読んでいるはずの長嶋論文2)に目を通しました。
「MA7才以上以降の発達には、組織的系統的な学校教育が、いわゆるせまい意味の教授ー学習が、子どもの発達には不可欠である。」
どこの学校でも教科学習のなかで何かを記憶するという方法はとり入れられています。しかし、私たちの学校では不足していました。この数カ月、新しいことを学び、新しい世界を知った、それを記憶して、再生する学習を彼等は続けていたのです。この時の受講生のリーダーが、アキオ君でした。講座の期間中もみんながアキオ君をまねて、アキオ君のように勉強していたのです。
夏、アキオ君からお中元(「そうめん」)が届きました。きっと、職場の方と相談して決めたのでしょう。
「お礼を言いたいのは、私のほうだよ。君からたくさんのことを学んだ。アキオ君。ありがとう。」
1)2)長嶋瑞穂(1974)個人の系の発達と発達保障 「障害者問題研究」第2号
(2018・9月)