発達保障をめざす理論と実践応援プロジェクト

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階層と段階の視点③ 中世・近世日本の若者教育に学ぶ1次変換可逆操作~「基本操作」と「媒介」及び「産物」

中世・    近世日本の若者教育に学ぶ「可逆操作」~1次変換可逆操作

     

                      山田優一郎(人間発達研究所会員)                                                                        

はじめに

  前回、「3次変換可逆操作」について検討しました。それは、①事象を特殊概念に変換できる思考で、②アイデンティティを発揮する活動によって③豊かな人生をおくるための特殊概念を獲得していく力、でした。前述のように古代中国の社会から、現在社会にいたるまで「3次変換可逆操作」獲得の内実の豊かさは、その人の人生の豊かさを左右します。私たちは、「2次変換可逆操作」(発達年令12・3才頃)で入学してくる軽度の知的障害生徒のために豊かな3次変換期を実現していく教育内容を準備しなければなりません。そのため、ここでは、その前の段階(「1次変換可逆操作」)から検討を始めます。

 

1次変換可逆操作とは、どのようなものか

 

1.丁稚(でっち)

 丁稚(でっち)とは、「昔、商店で雑役などをして年季奉公をした少年」(「現代国語辞典」三省堂)のことです。起源は古く、南(1996)1)は、鎌倉・奈良時代と推定され、変容しながらも昭和30年代まで続いたとしています。丁稚制度は、日本の中世から現代に至るまで、大人になる前の少年たちを教育した大きな潮流のひとつです。江戸時代の丁稚は、一般に10才頃から雇用され、店および家内の雑役全般を引き受け、無休でしたが衣食住は保障され、読み書き算盤等の教育も受けることができました。2)丁稚は、はじめのうちは、子守りふき掃除などの家事労働の担い手となりますが、やがて商用の使い走りなど店の雑用が任されます。そして、15~16才頃に元服と称して商売に本格的に携わるようになります。元服になると、本名の頭字に「吉」や「松」をつけて呼ばれる3)のでわかりやすい大人への第一歩だったといえます。さらに17~18才頃に手代に昇進し、一人前と認められます。4)

1)南相錦(1996)丁稚制度と「大阪商人」大阪大学「年報人間科学」17

2)田畑和彦(2001)江戸期第商家の奉公人管理の実態.静岡産業大学国際情報学部研究紀要(3)

3)竹中靖一・川上雅(1965)「日本商業史」(ミネルヴァ書房

4)浜野潔(2006)近世京都の奉公人について.関西大学経済評論集55巻4号

 

 さて、この制度において丁稚になった途端、少年たちの暮らしに大きな変化がおこります。丁稚の代表的仕事は「子守り」と「ふき掃除」でした。今までは「手伝い」だった仕事が、丁稚になった途端に「従事」、つまり仕事として任されるのです。したがって、本雇用となる丁稚にはその都度、合理的な判断と行動が求められていたといえます。「子どもが泣いた→なぜならば、(・・・)」と、原因を考え行動しなければ「子守り」はできません。「ふき掃除」も年中共通する仕事と、「今の時期はここが必要、なぜならば、(・・・・)」と、判断できる子でないと労働力としてあてになりません。なので、ある程度すじ道を立てて物事を考える、すなわち論理的思考ができないと本雇用の仕事はできなかったといえます。

 明治の時代に丁稚だった松下幸之助少年は、次のように「泣く」という現象にたいする対策を発見します。(以下、松下幸之助の記述は「松下幸之助物語」.PHP研究所から抜粋)

 

「ある日、幸之助が店先で赤ん坊を背負っていると、近所の子どもたちがベーゴマ遊びを始めました。最初は見ているだけだったのですが、幸之助も遊びたい盛りのこと、つい自分も熱中してしまいました。そして思いっきりコマを回したところ、勢いあまって地面にころび、背中の赤ん坊の頭を地面に当ててしまったのです。赤ん坊は、いくらあやしても、いっこうに泣きやみません。

(どうしよう。そうや!)

 幸之助はとっさの機転で、そばの駄菓子屋で一銭のまんじゅうを買い、赤ん坊にあてがってみたのです。すると、あらふしぎ、赤ん坊はうまく泣きやんだのでした。」

「(一銭のまんじゅうを一個買ったのですから、三日分の給料を棒にふったことになる。しかし、泣き叫ぶ赤ん坊であってもまんじゅう一つできげんをよくすることがわかった。)」

  幸之助少年、9才の日のできごとです。

 

 目の前におきた現象をすじ道を立てて考える論理的思考によって、子守りをするにあたっての法則を理解したのです。

   

 旧ソ連において社会主義革命が進みつつあった時代、ウズベキスタンにおいては、イスラム教の伝統的因習の下でその大部分は読み書きができませんでした。しかし、革命後、経済的・文化的な向上がもたらされる。結果、この地域においては

①読み書きができず新しい社会生活の形態にも参加していないグループ゜

②短期の講習を受けて多少の読み書きができる程度のグループ

③職業技術学校において、2~3年の教育を受け読み書きができるつグループ

が併存する状態になりました。

 ヴィゴツキ-の発案・計画によって、この地域の調査にあたったのはルーリアでした。5)ルーリアは、これらの住民を被験者にして、知覚・抽象的概念・推論・自己意識などについて実験的調査を行いました。

   結論は、以下のとおりです。

  ①の読み書きができないグループの思考の特徴として「抽象的な一般化された論理的思考ができないこと」

  ③のグループは、逆の結論になり②のグループには両者が混在していました。

 

5)中村和夫(2017)「ヴィゴツキ-心理学」新読書社

 

 つまり、読み書きができないと「なぜならば・・・と考える論理的思考によってものごとを理解することができないのです。前述のように丁稚制度にあっては、論理的思考ができないと「子守り」も「ふき掃除」もできません。滋賀県東近江市の「近江商人博物館」資料によると江戸時代は6・7才寺小屋に入門10才で奉公「丁稚」となっています。しかし、江戸時代(1870年)男子の識字率は40~50%という調査6) もあり、丁稚に応募してくる少年は、論理的思考ができる子とできない子がまじっていたことになります。みてきたように丁稚がつとまるのは、「階層-段階理論」でいう9・10才の節を越えた少年たちです。子守りを任されて、子どもが「泣く」たびにいちいちおかみさんの所へ参じる少年では雇うことはできません。江戸の人たちは、何らかの方法で見極めるシステムが必要でした。どのようにして見極めていたのでしょう。実は、丁稚の採用までには「目見えの期間」というのがあって、仕事の要領の飲み込み具合を見て、見込みのない者は容赦なく淘汰する仕組みになっていたのです。1721年(享保6)から1723年の3年間の間に、京都の呉服店に見習いとして店に入った70人のうち、18人がすぐに暇となり、採用率は74%だったと記録されています。(田畑2001)7)

 

 6)斎藤泰雄(2012)「識字能力・識字率の歴史的推移-日本の経験」広島大学教育開発国際協力センタ-「国際教育協力論集」第15巻第1号

7)田畑和彦(2001)「江戸期大商家の奉公人管理の実態」静岡産業大学国際情報学部研究紀要(3)

 

 以上のことから、丁稚として本雇用された少年たちの多くは、「なぜならば・・・と考える論理的思考ができる子どもたちだったといえます。寺小屋で初期の読み書きを修得しているか、丁稚になってからの教育で、教えたらすぐにできる段階の子たちです。

 

 以下、丁稚の少年たちは、「階層-段階理論」の各段階とあわせると表1のように進んでいたことになります。

              表1

     丁稚制度           「階層-段階理論」 

10才頃「丁稚」 家事労働  「1次変換可逆操作期」(9・10才頃)

13才頃 商業労働加わる   「2次変換可逆操作期」(12・3才頃)                                              
 15才・16才「半元服」    「3次変換可逆操作期」(16・7才頃)           

     商売への本格的参加

 

 さて、みてきたように丁稚として採用された少年たちは、「なぜなら」思考で、大人が使用している大人ことば、概念を理解することが可能でした。概念というのは、「個々の事物から共通な性質を取り出して」8)つくられたことばです。

8)「日本国語大辞典」(第3巻)小学館

 

「きゅうりも野菜、色も形もちがうナスも野菜。なぜならば、両方とも食べるものだから」

「ぞうりも履物、形のちがう下駄も履物。なぜならば、両方とも足にはくものだから」

 

 きゅうりとナス、ぞうりと下駄が「なぜならば(・・・)」1回の思考で抽象化され、「野菜」「履物」という概念に変換(置き換え)されるのです。これで階層の名前、「変換」の意味はわかりますよね。「変換」は新しいことばへの置き換えを意味しています。

 丁稚の少年たちは、今まで何げなくみていたものを共通でくくり、次々と新しいことば、概念に変換して理解することが可能だったのです。田舎でみてきた「家の前のきゅうり」、「誰々のナス」だったのが、たまたまできている場所や所有ではなく、「食べるもの」といういう本質的特徴による共通項でくくり[野菜]と変換できることを知るのです。ヴィゴツキー(2017)は、後者を科学的概念としました。さて、これでなぜ文字の修得がないと論理的思考の段階へ進めないのかその理由がわかります。

 「り・ん・ご」という文字を書く時、同じ丸いものでも「みかん」を思い浮べながら「り・ん・ご」と書く人はいません。その時は、「みかん」とはちがう「りんご」の中味を思い浮かべながら「り・ん・ご」と書くのです。同じように酸っぱい味を思い浮べながら「み・か・ん」と書きます。すなわち、文字は、その修得過程において現実社会についてより正確な認識をもたらすのです。こうして、ものごとの「違い」も「共通」もわかるようになります。現実社会の中間・中味まで認識できるようになることによってこそ、ものごとを本質的特徴による共通項でくくり、概念に変換する思考(論理的的思考)が可能になります。書き言葉の獲得と論理的思考の関係をこのように考えることで先に紹介したルーリアの調査結果、読み書きができないグループは「抽象的な一般化された論理的思考ができない」(中村2017)ことが首肯できます。

 

 さて、寺小屋で初期の読み書きを修得し、1次変換ことばである概念を獲得した少年たちは、子守り・ふき掃除だけでなく買物などの仕事もできるようになります。つまり、「履物」も「着物」もどこで入手できるのかわかるようになるからです。だからこそ、地方からきた少年たちでも都会で勤まることができたということができます。

 

 以上、当時の少年たちは、論理的思考によって初歩的な労働(奉公)への参加を可能とし、同じ論理的思考によって、大人が社会活動の中で使用している1次変換ことば、概念を理解していたことになります。少年たちにとっては、大都会の大人たちとの会話こそが概念のつまった百科辞典であり、教科書だったのです。大人社会における初歩的な労働への参加は、より質の高い大人との会話を必須なものにし、大人との会話によって、概念を学習していくことができたのです。

 概念 (A)の獲得 が広がるにしたがって、仕事(B)も広がることになります。前述のように「野菜」という概念が獲得されることによって、「かぼちゃを買ってきて」といわれたらどこへ行けばいいのかわかります。仕事(B)の広がりによって、さらに新しい概念 (A)を学べるチャンスが広がります。つまり、 (A)と(B)は、可逆し、拡大再生産されて自己発達をとげていける仕組みだったのです。

 さて、これで「可逆」の意味もわかりましたね。

 

2.日本で最初の義務教育~尋常(じんじょう)小学校

(1)日本の義務教育の始まりである尋常小学校は、1886年、明治19年から義務教育が6年に延長されるまで9・10才の年令(4年生)で区切られていました。国力が弱かった時代でも、とりえあえずこの年令までは全国民に教育をうけさせたいと考えたわけですから、そこには相当な根拠が必要でした。これは日本人だけの知恵なのかというとそうではありません。日本の初期の学校制度は、西欧の教育先進国から学んだものだったからです。みてきたように丁稚への採用も、10才頃からでした。したがって、9歳10歳に区切りをおいての教育は人類の知恵だったのかもしれません。当時、尋常小学校を4年で卒業し、上級学校へ進学したのは10人にひとりかふたりでした。9)では、残りの人たちはどのようにして次の段階へ進むことができたのでしょうか。

 多くの子は、男の子なら丁稚(でっち)、農業、漁業、山仕事なとの家業、女の子なら大きな屋敷の下働き、織物工場の女工でした。いずれも、大人ことばが飛び交う労働現場に参加します。公教育が始まっても、当初、多くの子どもたちは、大人社会の初歩的な労働への参加によって必然となる大人との会話によって、概念を学習し次の段階(「2次変換可逆操作」)へ進んでいたことになります。

 

9)「学制百年史」(文部科学省

 

 以上のことから、9・10才(小学校3・4年生)頃からの可逆操作は、次のようにまとめることができます。

              

  ①の思考が②⇔③で可逆し、拡大再生産されて発達をとげていきます。

 

注)ここでいう「操作」は、外に現れる手の操作ではなく頭の中であれこれ考えることをさしています。

 

(2)尋常小学校後期(1907年)~現在

 日本において義務教育が6年生まで延長されたのは、1907年(明治40年)でした。以降は、どの子も労働への参加でなく、大人の会話がつまったものとして、教科書(書き言葉)と、授業(話しことば)が国から提供されています。

 

 21世紀になった現在でも➁大人との会話(教科書~書き言葉含む)によって ③概念を獲得していく、という発達の本質はかわりません。

 したがって、この時期、お家でも、読書(書き言葉)の習慣が身につくような仕掛けをつくり、大人との会話(話し言葉)が多くなるように工夫して概念の学習をサポートしていくことが大切です。

  親がスマホをいじり、その横で子どもがゲームをしている環境では、せっかく育ってきた新しいことばに変換できる思考も、宝の持ち腐れになってしまいます。まずは、大人が読書している背中を見せなくてはなりません。

 

 さて、上記「可逆操作」は、思考において誰もがこの道を通って次へ進むという意味において発達の中核です。しかし、人の発達において、思考の発達だけが重要なのではありません。誰もが、かしこいだけでなく「かしこく、やさしく、たくましい子」に育って欲しいと願っているからです。

 

 ピーター・ブロス(2010)10)は、この時期に「他人と共感する能力」の発達が必要だとしています。ブロスのいう児童期の「共感能力」は、「他人の立場で物事を見る」「他人が考えることを推測できる」という視点を変換する能力(パースペクティブ変換能力)のことです。事象の共通を抜き出し、新しいことば(概念)に変換できる思考を獲得する時期に他人を見る視点も変換する能力を身につけてこそ、青年期以降に「他人のために自分はどうしればいいか」(ピーター・ブロス.2010)を考えることができる大人になれるからです。

 教科書を使った大人との会話(教科学習)は「たんに知識・技術・能力・・の形成・発達をはかるばかりでなく、その任務をはたすまさにそのことにおいて、習慣・意思・感情・性格などの人格的な諸特性をも形成・発達させる」11)ものでなければなりません。

 子どもたちは、やさしい大人になるための基礎となる力、「共感能力」(ピーター・ブロス.2010)も教科学習の「まさにそのことにおいて」学んでいくことになります。

 

10)山本晃(2010)「青年期のこころの発達~ブロスの青年期論とその展開」.星和書店

11)小川太郎(1975)「教育と陶冶の理論」.明治図書

 

資料

      「優秀な子に共通するある能力とは」

                         柳沢幸雄(開成・元校長)

 

 優秀な子どもに共通する能力とは「きちんとしゃべる」ことです、実はしゃべることはものすごく大事な力なのです。しゃべるには、自分が相手に伝えたいことを伝える能力が必要になります。それも相手にわかるような伝え方をしなければなりません。 その伝え方を抽象化したものが論理です。人と人が理解できるのは論理だけなのです。

 

 親が子どもの教育をするときに一番大事なことは、どれだけしゃべらせるかということです。優秀な子を見ていると、できる子ほど親に話を聞いてもらっています。しゃべることほど頭の鍛錬になるほどはないと言ってもいい。いつ、どこで、誰が、何を、なぜ、どのようにしたのか。いわゆる5W1Hがなければ自分が話したいことは相手に伝わりません。ですから親は子どもに勉強を教える必要はないのです。むしろ子供に教えてもらってください。子どもは、新しいことを知れば嬉しくなって話すものです。そうやって、しゃべることが子どもにとって、勉強の最大の復讐となるのです。

 どんな話でも構いません。親は子どもが話をはじめたら5W1Hを使って適度に合の手を入れることで、話を広げる手助けをしながら、じっくり話を聞いてあげてください。

          出典:「東洋経済」ONLNE8(2021・12・24)

 

参考

 障害児の場合、自分が担当している子がどの階層・段階にいるのか、わかりにくいことがあります。その場合は、下記ブログを参考にしてください。

 本ブログ「階層と段階の視点 現象と本質~本質への接近」(現在修理中)