発達保障をめざす理論と実践応援プロジェクト

実践現場で働いている方たちを念頭に書き綴ります。間違いに気付いた時に修正・削除できるようブログでのみ公開。資料は自由にお使いください。

階層と段階の視点⑥ 寺小屋時代に学ぶ2次元可逆操作~「基本操作」と「媒介」及び「産物」

                2次元可逆操作

      「基本操作」と「媒介」及び「産物」

                     山田優一郎(人間発達研究所会員)                   

 ―――寺子屋は、庶民の子どもが読み・書きの初歩を学ぶ簡易な学校であり、江戸時代の庶民生活を基盤として成立した私設の教育機関である。寺子屋は江戸時代中期以後しだいに発達し、幕末には江戸や大阪の町々はもとより、地方の小都市、さらに農山漁村にまで多数設けられ、全国に広く普及した。(文部科学省「学制百年史」)

 

 寺子屋のおかげで江戸後期(1873年)、武士は人口の5.7%だったのに対し、識字率は、男子50%前後、女子でも15%を越えていたと推定されています。1)当時の世界の都市と比べてもトップクラスとなりました。寺子屋への入門は早くて6・7才2)3)なので、今の小学校入学と同じ年齢です。その年齢から読み、書きの勉強をはじめたのですから、今も昔も人間の発達にはその年齢にふさわしい学びの内容があることがわかります。では、寺小屋に入る前(4才~5才)の子どもたちは、どのようにして文字獲得(「3次元可逆操作」期)への準備を整えていたのでしょう。もし、江戸の子どもの活動の中に150年以上経過して今もなお保育・教育の内容となっている内容があれば、それは子どもが文字獲得期へと向って育つための鉄板(てっぱん)の保育・教育内容だといえます。

 

 「江戸時代子ども遊び大事典」4)の中で150年以上経過した今も4・5歳児の保育内容として確認できるものは以下のとおりです。

                表1

 一方、世界の研究者たちは4:0才越えの検査項目として「了解5)という項目を残しています。この検査項目は、すべて「もしも・・」ではじまっています。「もしも、宝くじがあたったら・・」、「もしも、ダイエットに成功したら・・」。そうなんです。「もしも・・」で始まる問題は、今は現実となっていない「想像世界」への到達を測定できるとっても優れた検査なのです。想像できるということは、現実には与えられていない物事を頭の中に思い描ける(イメ-ジ)ということです。6)

1)神田嘉延(2003)日本経済発展と学校教育.鹿児島大学教育学部教育実践研究紀要13.斎藤泰雄(2012)も「男子の識字率は40~50%」としている。(「識字能力・識字率の歴史的推移-日本の経験」広島大学教育開発国際協力センタ-「国際教育協力論集」第15巻第1号)

2)「早くて6才」(江戸東京博物館資料「江戸庶民の教育」)
3)「入門年齢のもっとも幼いのは7才」利根啓三郎著(1981)「寺子屋と庶民教育の実証的研究」雄山閣出版

4)小林忠監修中城正堯著(2014)「江戸時代子ども遊び大事典」東京堂出版

5)監修島津峯眞編集者代表生澤雅夫(2003)「新版K式発達検査法」~発達検査の考え方と使い方~.出版:ナカニシヤ

6)想像「現実の知覚に与えられていない物事の心像(イメ-ジ)「広辞苑岩波書店 

 

 では、江戸の子どもたちは、寺子屋入学前の遊び活動(現在も4・5才児の保育内容として受け継がれているもの)において、どのように想像できる力を発揮してきたのでしょう。

 

 おしくらまんじゅうは、見えない後ろにどういう子がいるのか、その後ろは、土なのか、草むらなのか、大きな石なのか、溝なのか空間の全体を想像しながらはじめます。小さい子が後ろにいるのに一気に押すと後ろの子が倒れてしまいます。また、後ろに溝があることを想像できないと、どこまでも押し続けケガを負わしてしまいます。これでは遊びになりません。体のおしりの位置(部分)を想像しながら押し続けますが押しながら、全体の状況を想像し、全体の状況にあわせて自分の体(部分)をコントロールします。だからこそ、安全が担保され、楽しさだけが残る遊びとして百年も続いているといえます。また、押し込まれたらシンドイケレドガンバッテ、押し返さないと、円から出てしまいます。ただ立っているだけでは遊びになりません。

 

 廻りっ競(くら)は、街中を走ります。同一地点から左右にわかれて走り、同じコースを一回りして先に帰ってきたほうが勝ちです。知らない街ではなく、ご近所の知っているコースを走ります。

「横丁に入ってしばらく走ると右手のお寺の境内に入って石畳を進んで、本堂をぐるりと一巡し、再び横丁に走り出て、今度は左におれて原っぱを横切り、崖道を下って町内の裏に出る。そして、さらに出発点に向うために・・・」7)と、見えていない道を想像し、コースの全体を把握します。境内の石畳(部分)ではすべらないように慎重に体をコントロールします。ここで、転んだら結果(全体)がどうなるか想像できるからです。崖道(部分)もコワイケレドガンバッテ走ります。ここで歩いたら、結果(全体)がどうなるか想像できるからです。現在のかけっこ(障害物競争やリレー)も同じです。誰からバトンを受け取り、向こうでバトンをまっているのは誰。コースは白い線の外あたり、うちのチームが、もし一位でボクのところへきたら・・と、まだ現実になっていない世界を想像し、全体の状況を把握してからバトンを受け取ります。もし、後ろから誰かきたら(部分)シンドイケレドガッバッテ、一生けん命走ります。なぜなら、ひょっとしたらビリになるかもしれないという結果(全体)が想像できるからです。また、もう少しで追いつけそう(部分)な時も、シンドイケレドガンバッテ、走ります。ヒーローになれる結果(全体)を想像できるからです。想像力を働かせそれぞれの状況にあわせて体の動きを調整します。
 

 竹馬も定番の遊びでした。江戸の浮世絵の子どもたちは竹馬で大人たちを見下ろしながら誇らしげに街中を歩いています。竹馬の練習は、前後左右全体を想像しながら練習します。どこへ倒れるかわからないからです。全体へ想像力を働かせながら、手足(部分)をコントロールします。何度も何度も落ちて、落ちてはやり直します。シンドイケレドガンバッテ練習するのは、大人を見おろして街中をかっぽするまだ現実になっていない未来を想像できるからです。こま回しも、投げてコマが回るまでの全体を想像しながら、シンドイケレドガンバッテ、根気よく紐を巻き(部分)、巻いては投げ(部分)ます。

 

 おそらくこの時期に想像力を働かせ、状況にあわせて体をコントロールすることができないと寺子屋で文字を学習することはできません。手習いの間は自制心を働かせて座っていることができないと破門になってしまいます。見方をかえれば、寺子屋は、何をしたらいいのか、何をしたらいけないのかを想像して体をコントロールできる年齢(6・7才)を待って入門させていたということもできます。江戸の人たちのすごい知恵です。

 

 歌あそび・手あそびは、歌全体の歌詞とメロディを想像しなから、声(部分)をだします。全体の流れを想像せずに流れと無関係に声をだしても歌にはなりません。また、最後のオチや形まで、全体を想像しながら体(部分)を動かし手(部分)を動かします。♪かごめかごめ~と始まったら、最後のオチまで想像してこそワクワクするのです。♪ずいずいずっころばし、と始まったら、最後が誰にあたるか想像できないと楽しくありません。
 

 作って遊ぶ、描いて遊ぶ活動も同じです。全体を想像しながら、手指(部分)をコントロールします。竹トンボは、トンボとして飛ばす全体を想像しながら部分を削ります。全体を想像せずに適当に削っても飛びません。折り紙や紙すもうの人形も、最初の折り始めや切り始めの時、すでに全体のイメージができあがっています。何を作るかわからないのにとりあえず折ったり、切ったりということはしません。全体をイメージしながら、部分を切り、部分を折るのです。文字絵は、書き出しの字が顔全体のどこにあたるのかを想像しながら、字(部分)を書きます。

 

 ごっこあそびは、ごっこの舞台、登場人物、小道具、自分の役、全体を頭の中にいれて、私(部分)がこうすれば、相手(部分)がこうするということを想像しながら遊びます。
 

 昔ばなしは、最初からのストーリー全体を想像しながら、今の場面(部分)を楽しみます。全体がわからないと楽しめません。怪談も、話の流れ全体がわからないと部分だけではちっとも怖くなりません。江戸の子どもたちは、祖父母の昔ばなしを聞くだけでなく、その中の怪談話しを覚え、夏になると子どもどうしが集まり、誰の話しが一番怖かったのかを競いあって遊びました。それこそ、クライマックスまでの全体を想像しながら、恐怖の頂点に向って、今の場面(部分)を話すのです。

 聞く、話す力は、寺子屋で師匠のお話を聞いて学んでいくために必要な力でした。

 

 七夕遊びは、今は見えないお空の全体を想像しなから、飾り(部分)をつくります。節分も、まだそこにはいない鬼を想像しながら豆(部分)を準備します。。

 伝承行事は、どの行事も4・5歳児の見えない世界への認識が広がるように実によくできています。

 

 表1の活動はすべて、まだ、見えていないことを想像しないと成り立たない活動でした。田中は、3才半頃から、「~しながら~する」8)活動スタイルができるとしました。江戸の子どもたちの活動(表1)は、「~しながら~する」活動が、4才の節を越えると、まだ現実になっていない見えない世界の「(全体を)想像しながら・・(部分の)~をする」ようになることを示しています。そして、結果(全体)を想像する力で自制心を育てていきます。表1から江戸の頃から150年経過し、現在もなお4・5歳児は同じような活動をして文字学習(「3次元可逆操作」期)の準備をしていることがわかります。

 

 以上のことから4才半頃から始まる段階の可逆操作は、次のようにまとめることができます。

 ①想像世界を認識できる力で ②全体を想像しながら、部分を操作する活動によって、③見えない世界への認識を広げていきます。①が②⇔③で可逆し、拡大再生産しながら発達をとげていきます。

 

 みてきたようにこの時期は、全体を想像して~する力を大切に育てなければなりません。私たちは障害の軽い生徒と重い生徒、みんなが部分を担当し、ひとつのものをつくりあげていく活動をいくつも実践してきました。しかし、ここまでの検討からは、「2次元可逆操作期」の子どもたちには、出来上がり(全体)を意識できて、そこまでの道のりを考えながら部分の~をする活動こそ必要だったといえます。

7)中田幸平(2009)「江戸の子供遊び事典」八坂書房
8)田中昌人講演記録(1988)「子どもの発達と健康教育②」かもがわ出版

 

 さて、これで宇宙語だった「次元」の意味も何となくわかってきましたね。「次元」の階層(幼児期)は、1次元→2次元→3次元と認識できる世界をひろげていく階層なのです。「大きい・小さい」から始まったふたつの世界は、4才の節を越えて眼前の世界ともうひとつ世界、見えない世界(想像世界)を認識できるようになったのです。

3才までの段階(1次元)とは、大きな質の違いです。2次元(4才頃)になった子どもたちは、ずっと昔のことから、宇宙の果てまで認識をひろげることができるからです。

 

 

(続き)
 驚いたことに江戸時代の寺子屋には、障害児が入門していたことがいろんな資料でわかっています。

――――江戸時代の寺子屋には、盲児、聾唖(ろうあ)児、肢(し)体不自由児、精薄児等の障害児がかなり在籍していたことが報告されている。(文部科学省「学制百年史」)

 

 江戸の子どもたちは、表1の活動を通して想像力を育て、それをテコに自制心を身につけ、寺子屋に入門してきました。寺子屋入門の下限は、通常は6、7才でしたが、上限の年齢は相当な巾があり、15才で入門という例もありました。9)なので、軽い知的障害については、実年齢より遅れて入門することが可能でした。でも、盲児 聾唖児 肢体障害児については、どう考えたらいいのでしょう。明らかに表1の活動の中にできない活動があるのです。しかし、これらの子どもたちも寺子屋で文字を獲得し、中には立派な学者になった人もいるのです。これは、今でもいっしょです。私たちの回りにはいろんな障害をもちながら見事な発達を遂げている人たちがたくさんいます。江戸時代から続くこの事実を私たちはどう考えたらいいのでしょう。昔も今も、表1の活動の一部は障害のためにできなかったことがあったにもかかわらず、その人たちも文字を獲得しその後も発達を遂げてきているのです。このことは、「2次元可逆期」のキモとなる想像力の発揮は、残されている能力、得意分野における想像力の発揮で、次の段階へ進むことが可能だったということを示しています。
 

 寺子屋の時代から、障害児が文字を学んでいたという事実は、私たちにいろんなことを教えてくれます。読み聞かせは、私自身、実践的に突破できなかった課題でした。「2次元可逆操作」の内訳がわかった今、やるべきだったことが見えてきます。読み聞かせに誘っても、のってこなかった彼に、彼の関心にあわせてオリジナル絵本ないしお話の本を作ればよかったのです。彼の関心ある世界で想像力を可逆させれば、それでよかったのです。まずは、そこからはじめるべきでした。結果として、彼の想像世界は、横すべりに、そこからひろがっていた可能性があるからです。陶芸の時間に「粘土はイヤ!さわれない」という子がいました。たとえ、陶芸の時間であっても、粘土をさわらずに想像力を発揮できる教材を準備したら、それでよかったのです。「森(全体)を見て、木(部分)を見る」力は、ほかの教材でも育つのです。どちらも、私たちのほうがもっと想像力を働かせるべきでした。

9)利根啓三郎著(1981)「寺子屋と庶民教育の実証的研究」雄山閣出版


資料  東京大学大学院教育研究科・教育学部「読み聞かせの影響」書籍紹介
http://www.p.u-tokyo.ac.jp/

 

 クシュラは、複雑な障害をもって生まれたニュージーランドの女の子で、複数の医師から精神的にも身体的にも遅れていると言われていました。

 染色体異常で脾臓・腎臓・口腔に障害があり、筋肉麻痺であったため2時間以上寝られず、3歳になるまで物も握れず、自分の指先より遠いものはよく見えませんでした。
しかし、生後4ヶ月から両親が一日14冊の本を読み聞かせることを実行したところ、5歳になる頃には彼女の知性は平均よりはるかに高く、本が読めるようになっていました。「クシュラの奇跡」(ドロシー・バトラー、1984)という本には、このように、クシュラという一人の障害を抱えた女の子が、周囲の大人の愛情と読み聞かせによって成長していく姿が記録されています。

クシュラの奇跡―140冊の絵本との日々

 

資料 (20+) 上田 誠 | Facebook

 CP(脳性麻痺)の当事者で小児科医である熊谷晋一郎さんはBLOGOSの取材で
次のように語っています。

 

 ・・・・道徳的な文脈で、「熊谷にもスポーツをやらせてあげるべきだ」と考える教師がいると、地獄でしたね(笑)。
 水泳の時、私はギリギリ浮かぶことはできるのですが、泳げるわけではありません。でも熊谷君に頑張ってもらおうという雰囲気が出来上がってしまい、25Mのプールを端から端まで泳ぐことになった。でも浮かぶことしかできないので、風と波に任せて、祈るしかない。その間に、水をゴボゴボと飲む。何十分もかかるから、トイレにもいきたくなる。そういう時に同級生たちが「熊谷君、頑張って!」みたいな応援を、教員の動員のもとでするんですよ。状況的に引けなくなっていって……
――つらいですね。
 ここでスポーツは嫌だなという経験を植えつけられたかなと。あとは運動会の時も所在ないですよね。誰かにおぶってもらって徒競走もしました。どう解釈していいのかよくわからなかったです(笑)。