発達保障をめざす理論と実践応援プロジェクト

実践現場で働いている方たちを念頭に書き綴ります。間違いに気付いた時に修正・削除できるようブログでのみ公開。資料は自由にお使いください。

階層と段階の視点⑮ 超訳「新しい発達の原動力」~それはどうしたらわかるのか。それは障害児の教育実践にどんな視点を与えるのか

 「新しい発達の原動力」の実践的理解

               

                    山田優一郎(人間発達研究所会員)

 

 田中が発見した発達をひきおこす原動力の中に「新しい発達の原動力」1)というのがあります。「新しい発達の原動力」とは何か。まず、私が辿りついた結論を紹介します。生後第3の新しい発達の原動力(5才半頃)を例にとると次のとおりです。(以下、表1参照)

                 表1

 ①5才半頃に生後第3の新しい発達の原動力が発生する。➁生後第3の新しい発達の原動力は、3次元可逆操作への移行をひきおこす。③3次元可逆操作期において、新しい交流の手段(「書き言葉」)が獲得される。④新しい交流の手段は、「次の階層になると発達を主導」(「理論」P79)する。

 

 なぜ「新しい」がつくのか。新しい発達の原動力がひきおこす、次の段階で「新しい」交流の手段が獲得されるからである。そして、新しい交流の手段は、次の階層で発達を主導することになるからである。

 

「新しい」がつく発達の原動力は、成人までの間に4回発生することが田中によって発見されている。

 

1)田中昌人(1987)「人間発達の理論」.青木書店

 

 以下は、自分自身を納得させるために作成してきたメモです。職場で私自身が説明する機会があるとしたらこのような説明になります。

 

1.教育における「発達の原動力」との区別

 教育における「発達の原動力」は一般的な原動力として辞書に載っています。「活動をひきおこす、もとになる力」(「現代国語辞典」三省堂)。人間の活動には、「動機や意味」(「発達心理学辞典」ミネルヴァ書房)がありますので、教育における「発達の原動力」は、意思発動のもとになる力だといえます。

 

2.子ともの内部でおこる自己運動としての「発達の原動力」

 なぜ、毎年同じ季節に台風がやってくるのか、なぜ、同じ季節に全国の桜が一斉に花をさかせるのか不思議なことです。それと同じように全国の子どもたちが1才半をすぎたあたりからなぜ、ことばをどんどんしゃべり出すのか不思議なことです。日本だけでなく、世界の子どもたちが同じ時期にことばを拡大していきます。この現象は、子どもの内部に同じシステムが存在していると予想するほかありません。地球の内部に台風をひきおこす原因があるように、桜の木の内部に春になったら開花をひきおこす原因があるように、人間の子の内部にもおしゃべりの拡大をひきおこす何らかの原因があると考えられるのです。

 

 以下検討する「発達の原動力」は、前述の教育における「発達の原動力」とはことなり、その子の意思にかかわらず、なぜ、人は誰もが赤ちゃんから大人に育つのか、万人の内部におこる自己運動としての発達を説明する際の原動力のことです。

 

3.世界の子どもたちが同じ時期に同じことができるようになる。この現象の不思議の解明に何人もの研究者が挑戦してきました。京都大学の田中昌人(1932~2005)もそのひとりです。

 

 田中(1980)2)は次のように考えました。

 発達(高次化)の原動力は、

「発達に固有な本質をなす内部矛盾」(田中「科学」1980p155)

 

2)田中昌人(1980)「人間発達の科学」.青木書店。

 

 そもそも、原動力とは「〇〇をひきおこす、もとになる力」(「現代国語辞典」三省堂)なので、必ず〇〇がないと成立しない概念です。したがって、何をひきおこすのかは、原動力を理解する肝(きも)といえるものです。

 まずは、上記田中(1980)の原動力が何をひきおこすのかをみていきましょう。国語辞典の原動力にあてはめると次のようになります。

 

「発達の高次化をひきおこす、もとになる力(=原動力)は、発達に固有な本質をなす内部矛盾である」

 

 つまり、子どもの発達を自己運動としてとらえた時、子どもの内部におこる内部矛盾を原動力として発達(高次化)がひきおこされるのです。

 「もとになる力」(「現代国語辞典」三省堂)なので、発達(高次化)の原動力は、内部矛盾を起点としてひきおこされます。

 段階から段階への高次化であれ、階層から階層への高次化であれ、自己運動としての発達の原動力(起点)は本質をなす内部矛盾です。それを田中は、繰り返し強調しました。

 「発達の原動力を内部矛盾として認識」(「科学」p172) 

 「発達の原動力は内部矛盾である」(「科学」p176)

 「第1にこれらをすすめる原動力としての内部矛盾」(「科学」p188)

 「基本カテゴリーは、発達の原動力である内部矛盾」(「科学」p198)

 

4.では、「新しい発達の原動力」とは何か。田中は次のように説明しています。

 

「(つぎの)階層への移行を達成する発達の新しい原動力」(田中「理論」P17)

 

 以下、5才半頃に発生する第3の新しい発達の原動力を例に内部矛盾がどこで発生し、何をひきおこすのかをみていきます。

              図1

*内部矛盾の発生、発展、消滅は田中昌人「人間発達の科学」P280

 

 第3の新しい発達の原動力の発生は5才半頃。(田中・清水「探求」P150)3)

 田中のいう発達の原動力は、「発達に固有な本質をなす内部矛盾(田中「科学」P155)でした。なので、5才半頃に発生する原動力は、図1の2次元可逆操作と3次元可逆操作の矛盾から誕生する原動力です。したがって、5才半に誕生する原動力は、3次元可逆への移行をひきおこす、もとの力=原動力(  )になります。ところで、矛盾があるところ、例外なく対立物間の相互浸透が存在し闘争と相互浸透によって、新しい質へ発展するというのが弁証法の根本法則4)です。この法則によれば、次元の階層から、変換の階層への飛躍を実現するのは、3次元可逆と1次変換の矛盾、闘争と相互浸透から生まれた産物であって、5才半には誕生しません。結果、次の階層への飛躍をひきおこすのは、けっきょく3次元可逆と1次変換の内部矛盾から発生する原動力( ◎ )ということになります。(図1)

 

参照

「1次元可逆操作の獲得期には、2次元の、2次元の獲得期には3次元の、3次元の獲得期には1次変換の最近接領域を・・・・・ふさわしいとり入れかたをして運動・実践を産出する」(「科学」P156)

 

3)田中昌人、清水寛編(1987)「発達保障の探求」.全国障害者問題研究会出版部

4)岩崎充胤(1981)弁証法の根本法則と弁証法的カテゴリー.「一橋論叢」第86号第6号

 

5.さて、どうしたらいいのでしょう。①5才半頃に発生する原動力が➁「(つぎの)階層への移行を達成する発達の新しい原動力」(田中「理論」P17)となって、1次変換への飛躍をひきおこすのは不可能なのです。

 

 原動力の定義によって、わかってきたことがあります。それは人間が赤ちゃんから大人になる過程において、発達(高次化)がひきおこされる前には、必ず、それをひきおこす、もとになる力(=原動力)が子どもの内部で発生するというということです。原動力が発生しないとひきおこされるものがないわけですから、質的変化は存在せず、階層も段階も存在しないことになります。しかし、質的変化によって区切られる階層・段階はすでに存在することが田中の論理的説明によって確かめられています。したがって、どの階層・段階にあっても、飛躍・移行がひきおこされる前には必ず発達の原動力が発生しています。だとすれば、なぜ、田中が成人まで4回発生する原動力に限って、特別に「新しい」をつけたかを合理的に説明できればいいのです。

 私は、次のように考えました。

 

 なぜ「新しい」がつくのか。新しい発達の原動力がひきおこす、次の段階で「新しい」交流の手段が獲得されるからである。そして、新しい交流の手段は、次の階層で発達を主導することになるからである。

 

 以上によって、私は冒頭の結論に辿りつきました。もし、このような理解でよかったら「人間発達の理論」における「新しい発達の原動力」は、スッキリと理解できます。

 発達の原動力には、

 1.教育における「発達の原動力」と

 2.発達を自己運動としてとらえた時の「発達の原動力」のニ種類があること。

 「発達の原動力」を2の意味で使う時は、1と違う意味で使うことをまず説明する必要があります。その業界で一般的でない意味で使う場合、使う側に説明責任があるからです。みてきたように2の「発達の原動力」は、子どもの内部にあって、発達(高次化)をひきおこす原動力です。高次化をひきおこす原動力は「本質をなす内部矛盾」(田中「科学」P155)のほかにはありません。高次化への原動力を固体「内部」でおこる矛盾と限定したとき、「内部」外でおこる矛盾は、すべて「外部」になるからです。そして、内部矛盾からうまれる原動力のなかに「新しい」がつく発達の原動力が存在します。なぜ「新しい」がつくのか、「新しい」をつける根拠の説明が必要です。本ブログでの説明は前述のとおり。

 上記、2の「発達の原動力」をまとめると図2のようになります。

               表2

    

        

補足~可逆操作力と可逆操作関係(人と人との関係)の矛盾について

 

 ついでに、みだしの矛盾が何をひきおこすのかをみていきます。まず、生産力と生産関係のことをふりかえります。(過去ログ参照)

 

 「生産力」とは、「生産において、その社会がもっている能動的な力」5)のことでした。そして、「生産関係」は、「生産における人間と人間の関係」6)です。人間の本性の発揮として日々高まっていく社会全体の生産能力、それに対し固定した傾向をもつ生産関係。この矛盾の激化は何をもたらすのか。それは、進歩した生産力に照応した「新しい生産関係7)への発展です。

 原動力の定義にあてはめると次のようになります。

 

「新しい生産関係への発展ひきおこす、もとになる力は(=原動力)は、生産力と、生産関係の矛盾である」

 

 以上を可逆操作力と可逆操作関係におきかえてみます。

 

「新しい可逆操作関係への発展をひきおこす、もとになる力(=原動力)は、可逆操作力と、可逆操作関係の矛盾である」

 

 可逆操作力と可逆操作関係の(内部はつかない)矛盾を原動力として可逆操作関係の発展がひきおこされます。なので、ここでの矛盾は、直接高次化をひきおこす矛盾ではありません。しかし、高次化と無関係かいうとそうではなくて、可逆操作関係は可逆操作力の高まりを「促したり、ぎゃくに・・・おくらせたりして」8)発達に作用します。内部の条件は、「内部諸条件を介して」(「科学」p172)発達に作用する仕組みになっているからです。子どもは、可逆操作関係のなかで、認識・思考と一体のものとして人格の芽を自分のなかに育てます。各段階で育つ人格の芽は、さらに可逆操作力(認識・思考)を高めていく環境を整えます。

 

5)西本一夫(1967)「史的唯物論入門」.新日本出版社

6)前掲5)

7)前掲5)

8)中原雄一郎(1965)「弁証法唯物論入門」.新日本出版社

 

資料

       「新しい発達の原動力」と障害児の教育実践

 

 田中が発見した新しい発達の原動力はリアルに子どもの姿として観察できるものでしょうか。学校教育はすでに診断が確定し、何年も経過した子どもたちが入学してきます。私たちに必要な情報は、遅れがあるかどうか、どのくらい遅れているかという情報ではありません。今どんな世界にいて、何ができて何ができない段階なのか、今持っている力を知るための情報です。そして、子どもが次に認識・思考できるのは、どんな世界なのかについてわかる情報です。

 

 私(2021)は、生後第2の新しい発達の原動力を「三項関係」の成立、第3の新しい発達の原動力を「全体も部分も見る力」と推定しました。(本ブログ)

 雲をつかむような話では、職員集団の共通理解が得られず、階層と段階の視点を教育実践に役立てることはできないと経験のなかで痛感してきてきたからです。みんなが理解し、納得し、合意できる話でないと実践はうまくいきません。とりわけ後述の新しい交通手段の獲得は、長期の実践を必要としており、職員集団の知恵を結集し、人がかわってもとりくみを継続できる体制がどうしても必要です。

 

 さて、1908年のビネーが公表した知能検査以来、世界の研究者たちは人間の子が何才でどんなことができるのかを延々と研究してきました。次の階層への道をつくり、次の階層では発達を主導する力を生み出すもとになる力は、予後に重大な影響を与えます。なので、研究者たちは、見逃さず発達検査の項目として残しています。

 

▲山田(2021)が推定した生後第2の新しい発達の原動力、「三項関係」の成立は、「新版K式発達検査法」9)の次の検査で誰でもリアルな子どもの姿としてみることができます。また、日常生活でも観察できます。  

 

「指さしに反応」(10ケ月越)~検査者の指さしに反応して、指さしたほうを見る。

 

▲同じように生後第3の新しい発達の原動力、「全体も部分も見る力」の誕生も「新版K式発達検査法」の次の検査で誰でもリアルな子どもの姿としてみることができます。絵を提示しての説明なので工夫すれば、どこでも、観察できます。 

 

「絵の叙述(じょじゅつ)」(6:0越)~背景と人物が描かれた「絵の内容を叙述し、表現する能力を見る」9)ためのものです。背景だけみていたら、人物が語れないし、人物が「いる」ことだけ見ていたら叙述ができない仕組みになっています。

 

*ただし、私たちがこのような方法で把握した新しい発達の原動力は、私たちが認識した仮説的なのものにすぎません。やがて、実践の中で子どもからの点検を受け、確かめられ、あるいは修正されることになります。本質の認識過程は「現象→本質→現象」と、ひと巡りして、ひとまずの完了となるからです。したがって、実践による検証が必要です。

 

9)嶋津峯眞監修生澤雅夫編集者代表(2003)「新版K式発達検査法」.ナカニシヤ

10)前掲9)

 

 以上によって田中が発見した「新しい発達の原動力」は、障害児の教育実践に新たな糸口を提供してくれます。

 

1.次元、変換の階層の前で何年も立ち止まっている子がいる時、生後第2、第3の新しい発達の原動力の発生を確認してみます。確認できれば、次の階層へ飛躍するポテンシャルが存在していると見ることができます。

 ポテンシャルが存在していると確認できれば、ポテンシャルはあるのになぜ何年もそこに留まっているのか、何が困難をもたらしているのか、どんなことに困っているのかについて検討することができます。

 

2.その際、もし、よかったら可逆操作の内訳(表1)を子ども理解の一助にしてください。

 今、どんな世界にいて、何ができるのか→①基本操作、

 何を吸収する時期なのか→③産物、

 どんな活動で吸収するのか→➁媒介。

 

①~③のすべてがわかる仕組みになっているからです。

 

3.すでに私たちは、各段階の高次化の仕組みから、教育の基本を知ることができました。教育は「もう獲得されている可逆操作が、もうその力はあるけれど発揮する機会がないところに働きかける」(加藤2018)11)のが基本であり、障害児教育は、子どもが持っている可逆操作をうまく発揮できずにいる状態の時、子ども自身が困っているところに手を当てる教育ということでした。(本ブログ)

 では、「新しい発達の原動力」は、障害児の教育にどんな視点を与えるのでしょう。なぜ「新しい」がつく原動力が存在するのか。それは、前述のとおり、新しい発達の原動力がひきおこす各階層の第3の段階において新しい交通手段に関与する力が獲得されるからです。

 

 「連結」の第3段階、「次元」の第3段階において新しい交通手段(ことばの理解・文字)の獲得がうまくいかない時、ヴィゴツキ-(2015)12)の次の指摘が重要です。

 

知的遅滞の子どものために・・・・盲人用の・・点字や唖児のための手話法に匹敵するようなものが創り出さねばならない・・・・すなわち、発達の回り道の体系が創り出されねばならない」

 

11)加藤聡一(2018)「可逆操作の高次化における階層-段階理論」は学校教育にどう向き合うか(2)人間発達研究所通信 No.155号 

12)司城紀代美(2015)「ヴィゴツキ-障害学における知的障害の心理機能」.宇都宮大学教育学部紀要第65号第1部別冊

 

ⅰ.次元の階層の前で立ち止まっている子

 何年もことばの理解がすすまない時、「ことばで何回いわれてもムリっ」という子どもの声がきこえたら手話にかわるものを子どもといっしょにつくり出す道を探っていきましょう。子どもにあわせて、交流の仕組みを子どもといっしょにつくっていきます。

                 表3

 音声言語の獲得が困難な子のコミュニケーション手段として手話があるように指さし、身振り、物(外へいきたい時、靴をもってくるなど)で交流できる生活をつくっていきましょう。

 次元階層の前の段階で交流の手段を子どもにあわせてつくり出していく教育は、今、もっている可逆操作(「自分と人とモノとつながる力」)を実らせていくことにほかなりません。子どもが、すでにもっている力に依拠します。モノを子どもの操作の対象とするだけでなく、コミュニケーションとしても使えるようにしていきましょう。指さし、肩をたたく、手をひっぱるなど体(モノ)で伝える学習をしていきましょう。指さしだけでも、指さしを環境(モノ)とセットでコミュニケ-ションの手段として使えることができれば、かなりのことが伝わり、伝えることができます。何かをつくったり、難しい運動はできなくても、今、持っている力で回りと交流しながら生きていく毎日は、自己実現の日々だといえます。

 

参考:この段階の障害児学校(知的障害)における教育について、山田(2019)13)は、校時表フリー、キーパーソン制などを提案しています。

 

13)山田優一郎(2019)「コトバを準備する時期の教育をどうするか~『自傷行為』からの考察」 山田優一郎、國本真吾(2019)「障害児学習実践記録」.合同出版

 

ⅱ.字を書くことが、何年もうまくいかない時 

 変換の階層前(3次元可逆操作期)にあって、文字を書くことが何年もうまくいかない時、それはもう、子どもが困っている状態です。新しいアプローチで文字、あるいは文字に匹敵するものを子どもといっしょにつくっていくことに挑戦してみましょう。 

                 表4

 私たちの経験では、子どもといっしょに文字や文字に「匹敵するもの」をみつける過程において、子どもは、「(これっ、不便だよ)」「(やっばり難しいよ)」と、表情や態度で教えてくれます。そして、一定期間の実践を経て、やっと「(これならできるよ)」というものに辿りつきます。もう3次元可逆操作期に到達しているのに何年も「できないよ」とサインをだしている子どもの気持ちを忖度し、子どものあわせたアプローチで書いたり、読めたり、計算したりできる道をさぐっていきましょう。書き言葉は、どんな字であれ、世の中のことを文字や記号で表現していく行為そのものが次の階層へ飛躍する力を育てます。

 

 その際、障害児学校は、障害をもたない子どもたちが小学校1、2年生で読み書きの学習にどの位の学習時間を当てているのか参考にする必要があります。私たちの実践では、新しい交流の手段(ことば、文字など)獲得には、それなりに力を集中する必要があり、週1回の授業だけでは困難でした。「何年もうまくいかない」原因のひとつに学習量が不足していたということがあったのです。その場合、一日の学習時間を長くするのでなく、短時間毎日となるように工夫することが大切です。

 

 ずっと昔のことですが、3次元可逆操作期(推定)にいながら、字が書けない子を担当したことがあります。自転車で駅周辺の繁華街を動き回っていて、良く、私が同僚たちと居酒屋に入るところで「おおっ」と声をかけてきてくれました。「いっしょにはいるか?」と冗談で誘うと、ことばがないので手をふって「いやいや」という表情をして、また自転車にのって去っていきます。今思うと大人の冗談もわかる子でした。でも、字が書けないのです。当時、私たちが辿りついた「点字に匹敵するもの」は数字の印鑑でした。それで足し算引き算ができるようになりました。もう30年ほど前のことです。今なら、鉛筆で数字は書けなくても、押すだけ、タッチするだけで数字が書ける方法がいくらでもあります。科学の進歩は知的障害児に「点字に匹敵するもの」(ヴィゴツキ-2015)をつくり出す可能性を飛躍的にひろげています。

 

ⅲ.なぜ、通常なら子どもが自然の環境のなかで獲得していくものをこのような特別な支援を必要としているのか、それもきっと子どもなりの事情があるのです。どの子も、(子どもをとりまく)「現実のすべてが、かれの心理発達の源泉」14)とはなりません。すでに何年も階層の前で留まっている場合、ことばのある環境、文字に接することができる環境だけでは、何らかの事情で音声や文字をうまくとり込むことができなかったのです。ひとりひとりの事情にあわせて、学習―教育のルートでの特別な支援を求めている子どもたちだといえます。子どもの声に耳を傾けながら、緻密で丁寧な教育によって、子どもにあわせた交流の手段をつくっていきましょう。

 

 けっきょく、子どもたちも私たちも飛躍への道は、今持っている力を発揮することからです。

 誰でも、どこの世界でも、「千里の道も一歩から」。

 子どもたちも、そして、私たちも、今できる力で人や物と関わりながら、今日を生きること、その一歩、一歩が千里への希望だといえます。

 

14)エリコニン著駒林邦夫訳(1964)「ソビエト児童心理学」明治図書