発達保障をめざす理論と実践応援プロジェクト

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読後感想 田中昌人著「人間発達の理論」における対称性の原理について(1)

   「対称性原理とその発達的破れ」に関する記述

    (97P)について(1) 

              山田優一郎(人間発達研究所会員)               

 

 小林(2009)は、物理学における対称性を次のように定義している。

自然法則の対称性は、ある対象に対してある変換を行った時、その自然法則が変わるか変わらないかであり、変わらない時、その法則は対称性をもっていると言う」(小林誠.2009年.ノーベル受賞記念講演~対称性の破れとは。「学術の動向」第14号6号)
 
 では、対称性の「破れ」とはどのようなものか。

 対称性の破れ=「ある変換をおこなった時に法則が変わってしまうこと」(「デジタル大辞泉小学館)である。

 

 ふりかえって、田中の記述をみてみよう。「理論」において「対称性原理とその発達的破れ」についての具体的記述が最初に登場するのは97Pである。

 

「新しい発達の原動力の生成の際には、各階層において次のような現象がみられる。  まず、発生に際しては、各階層の第2の発達的段階でみられた形態的対称性から機能的対称性への変化である。つまり、そこでは、鏡映対称性が時系列において破れるが、新しい機能水準が同じレベルになることがある。しかも、それが交互性を増大させつつ機能的対称性を培っていくことである」

 

 各階層の第2の発達段階において、形態的対称性(鏡映対称性)が「破れ」、機能対称性が誕生するというのが結論である。しかし、この説明では困ったことになる。前述のとおり、物理学でいう対称性の原理は「❶ある対象に対してある❷変換を行った時、その❸自然法則が変わらない時、その法則は➍対称性をもっている」と言うのである。「対称性がある」としている形態対称性(鏡映対称性)にいかなる法則が存在するのかが鍵なのであって、対称的な活動がみられると宣言しても、それだけでは物理学が定義している「対称性をもっている」とはいえない。
 たとえば、田中が発見した活動の中に形態的対称性(鏡映的対称性)があったとして、そこにどんな法則があり、乳児・幼児への働きかけ(変換)に対して、その法則がどんな「破れ」をして機能的対称性になったのかを明らかにすることこそが「対称性の原理」で発達を記述する際の肝だといえる。
 

 さらに田中は対称性の「破れ」について次のように説明している。
「新しい発達の原動力の生成における対称性の成立とその発達的破れは(新しい交流の手段などを伴う)いわば外への破れであり」
 

 繰り返すが対称性の破れとは、「変換に対して法則がかわってしまうこと」である。 法則が変わるか、かわらないかが問題なのであり、「破れ」において「内」や「外」などは意味をもたない。もし、そこに何らかの意味があるとすれば、それは自然科学でいうところの対称性の「破れ」とは別ものである。田中なりに意味があってのことなのだろうが、基本的な概念の一般的な定義とは異なる使い方は読者の理解を困難にする。   

 田中は「内」への破れは、次のように説明した。

「外への破れによって、新しい交流の手段を生み、可逆対操作の獲得後、内への破れによって、外的なつながりを拡げつつ人格の内面に・・・豊かな・・世界を形成していく」
 

 結果、ここまでのところ田中の説明でわかるのは、何かが外へ破れて新しい発達の原動力が誕生し、何かが内へ破れて人格の内面を豊かにしていくことである。つまり、自然科学でいうところの「対称性の原理」については、私たちは何も知ることができない。しかし、ここまでの記述をあえて深読みすれば、田中が証明したかったことは次のようなことだったのかもしれないので、あえて推察してみた。
 
 各階層とも新しい発達の原動力の生成過程において、「A.操作的・知的な発達が優勢になりそれが主導的な働きをし」(「外への破れ」)、新しい交流の手段と可逆対操作の獲得後は「B.情緒・意欲の発達が優勢になり主導的な働きをする」(「内への破れ」)
 
 実は上記A・Bは、ヴィゴツキ-の門下生、エリコニンの記述である。エリコニンは、A・Bが「交代的に現れ、人格の発達は、その統一的な過程として展開される」1)という仮説を提起した。

 ひょっとしたら、田中は、「内」「外」をつかって、エリコニンの仮説を証明したかったのかもしれない。しかしみてきたように「対称性の原理」における対称性は「変換に対する物体の不変性」2)(働ききかけるに対するかわらない法則の存在)であり、形態や機能に対称性があっても「対称性の原理」のいう「対称性」とはならない。また、「破れ」は、「ある変換をおこなった時に法則が変わってしまうこと(「デジタル大辞泉小学館)」であり、対称性の「破れ」に「内」や「外」という概念は存在しない。

 

  なお、「階層-段階理論」における上記A・Bの統一的理解は、「対称性の原理」によらなくても可逆操作力と可逆操作関係によって説明が可能である。3)

1)中村和夫(2010)「ヴィゴツキ-に学ぶ子どもの想像と人格の発達」
2)レオン・レーダーマン、クリストファー・ヒル著 小林茂樹訳(2008)「対称性」白揚社                3)本ブログ「『「階層-段階理論』による知的発達と人格発達の統一的理解」

 

 では、科学者たちが定義している「対称性がある」と説明できる活動を田中はみつけることができているのだろうか。そして、その「破れ」として誕生するものを「対称性の原理」によって説明することができているのだろうか。

 (2)へ続く。

 

▲読んでいただいた皆さんへ

 田中昌人の「人間発達の理論」を手にして、その余りにものわかりにくさに驚愕しました。何度も開きましたが、ザッと見ただけで長い間、積ん読状態でした。退職後、本書にふれる機会があって、本書のわかりにくさの原因は、どこにあるのだろうと考えました。結果、わかりにくさの原因は、私にあるのではなく、著者にある可能性に気がつきました。どんな理論も時代的制約から逃れることはできません。今後の「階層-段階理論」の発展のためにわかりにくさの原因は、著者にあるという前提にたって感想を綴ります。私のほうの誤解、まちがいがあった時(誤字・脱字含む)は、その都度躊躇なく修正削除の予定です。ご指摘をいただけると有り難いです。