発達保障をめざす理論と実践応援プロジェクト

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階層と段階の視点⑱ 2次元可逆操作期の自己実現~相互浸透によって高次から提供される文化 の継承活動

 2次元可逆操作期は、どんな活動で産物を獲得してきたか~障害児教育実践への示唆        

                    

                       山田優一郎(人間発達研究所会員)

 

はじめに

 本ブログで2次元可逆操作期は、➀想像世界を認識できる力で②眼前にない全体を想像しながら、部分を操作する活動(媒介)によって、③見えない世界への認識(産物)をひろげていく年齢期であった。(表1)

 ここでは、2次元可逆操作期の子どもたちが、いかにして産物を獲得してきたかについて検討した。結果、産物を獲得するための2次元可逆操作の媒介活動は、文化の伝承-継承活動になっていると考えられた。相互浸透によって高次から提供される文化という視点から、障害児の教育実践についていくつかの示唆が得られたので報告する。

                表1             

 

 江戸時代の子どもの遊びで150年以上経過した今も4・5歳児の保育内容になっているてっぱんの遊びが存在する。1)それを表2で示した。

                 表2

 

1.江戸時代、2次元可逆操作期の子どもたちは、どのようにして想像世界を認識できる力を発揮し、見えない世界への認識をひろげていったのか。表2の遊びを例にみていこう。※ここから読み始める人のために以下の「 」内は過去ログからの再掲

 

「おしくらまんじゅうは、見えない後ろにどういう子がいるのか、その後ろは、土なのか、草むらなのか、大きな石なのか、溝なのか空間の全体を想像しながらはじめる。小さい子が後ろにいるのに一気に押すと後ろの子が倒れてしまうからである。後ろに溝があることを想像できないと、どこまでも押し続けケガを負わせることになる。だから、おしりの位置(部分)で押し続けながら、全体の状況を想像し、全体の状況にあわせて自分の体(部分)をコントロ-ルする。だからこそ、安全が担保され、楽しさだけが残る遊びとして何百年も続いているといえる。

 

 廻りっ競(くら)は、街中を走る。同一地点から左右にわかれて走り、同じコースを一回りして先に帰ってきたほうが勝ちというルールである。知らない街ではなく、ご近所の知っているコースを走る。

『横丁に入ってしばらく走ると右手のお寺の境内に入って石畳を進んで、本堂をぐるりと一巡し、再び横丁に走り出て、今度は左におれて原っぱを横切り、崖道を下って町内の裏に出る。そして、さらに出発点に向うために・・・』2)と、見えていない道を想像し、コースの全体を把握する。境内の石畳(部分)ではすべらないように慎重に体をコントロールする。ここで、転んだら結果(全体)がどうなるか想像できるからである。崖道(部分)もコワイケレドガンバッテ走る。ここで歩いたら、結果(全体)がどうなるか想像できるからである。現在のかけっこ(リレ-)も同じである。誰からバトンを受け取り、向こうでバトンをまっているのは誰。うちのチームが、もし一位でボクのところへきたら・・と、まだ現実になっていない世界を想像し、全体の状況をつかんでから、走り出す。もし、後ろから誰かきたらシンドイケレドガッバッテ、一生けん命走る。なぜなら、ひょっとしたらビリになるかもしれないという結果(全体)が想像できるからである。また、もう少しで追いつけそうな時は、ガンバッテ、ガンバッテ走る。ヒーローになれる結果(全体)を想像できるからである。想像力を働かせそれぞれの状況にあわせて体の動きをコントロールする。 

 

 江戸の浮世絵の子どもたちは竹馬で大人たちを見下ろしながら誇らしげに街中を歩いている。竹馬の練習は、前後左右全体を想像しながら練習する。どこへ倒れるかわからないからである。全体へ想像力を働かせながら、手足(部分)をコントロ-ルする。何度も何度も落ちて、落ちてはやり直す。ガンバッテ練習するのは、大人を見おろして街中をかっぽするまだ現実になっていない自分の姿を想像できるからである。

 

 歌あそび・手あそびは、歌全体の歌詞とメロディを想像しなから、声(部分)をだす。全体の流れを想像せずに流れと無関係に声をだしても歌にはならない。また、最後(オチ)までの全体を想像しながら体(部分)を動かし手(部分)を動かす。

 ♪かごめかごめ~と始まったら、最後のオチまで想像してこそワクワクする。♪ずいずいずっころばし、と始まったら、最後が誰にあたるか想像して楽しむ。
 

 作って遊ぶ、描いて遊ぶ活動も同じである。竹トンボは、トンボとして飛ばす全体を想像しながら部分を削る。全体を想像せずに適当に削っても羽は飛ばない。削りはじめた時、すでに全体のイメ-ジができあがっている。どんなものを作るのかわからないのにとりあえず削ったりということはしない。全体をイメ-ジしながら、部分を切り、部分を削る。

  

 ごっこあそびは、ごっこの舞台、登場人物、小道具、自分の役、全体を頭の中にいれて、私(部分)がこうすれば、相手(部分)がこうするということを想像しながら遊ぶ。
  

 昔ばなしは、最初からのストーリー全体を想像しながら、今の場面(部分)を楽しむ。起承転結の全体がわからないと楽しめない。怪談ばなしも、話の流れ全体がわからないと部分だけではちっとも怖くならない。江戸の子どもたちは、祖父母の昔ばなしを聞くだけでなく、大人から聞いた怪談話しを覚え、夏になると子どもどうしが集まり、誰の話しが一番怖かったのかを競いあって遊んだ。それこそ、クライマックスまでの全体を想像しながら、恐怖の頂点に向って、今の場面(部分)を話す。

 

 七夕遊びは、今は見えないお空の全体を想像しなから、飾り(部分)をつくる。節分は、まだそこにはいない鬼を想像しながら豆(部分)を準備する。

 伝承行事は、4・5歳児の見えない世界への認識が広がるように実によくできている。」

 

 いうまでもなく、これらの遊びの原型は江戸時代よりずっと前である。3~7世紀、古墳時代の墳墓からままごとの道具として用いられたと推定される道具が発掘されている。3)

 また、そもそも子どもは狩猟・採取の時代から共同社会の一因として、大人といっしょに仕事をするのが日常生活であったから、4)何かをつくりだす活動は、狩猟・採取時代に起源を見いだすことができる。歌や物語は、口承文化であるから、その起源も江戸よりずっと古い。

 

 けっきょく、何百年と伝承されてきている子どもの遊びは、人間が子どものために延々と継承してきた文化であり、4・5才の子どもは人類の文化を継承することで自らを発達させてきたといえる。みてきたように、表2の遊びはすべて、今、眼前にはない全体の想像ができないと成り立たない活動であった。実際のところ、この力がないと文字の学習にすすめない。(本ブログ⑧)江戸時代、寺子屋で読み書きの手習いが始まったのは6・7才。現在、小学校で文字の学習が始まるのも6・7才である。世界の義務教育の始まりも多くの国で6・7才。つまり、人々はずっと昔から、4、5才児が文字を獲得するために必要な活動を文化として伝承し、文字獲得に必要な力の育ちを待って文字教育をはじめてきたといえる。

 

1)小林忠監修中城正堯著(2014)「江戸時代子ども遊び大事典」東京堂出版

2)中田幸平(2009)「江戸の子供遊び事典」八坂書房

3)相沢哲夫編(1988)「日本人百科全書22」.小学館

4)森山史朗他(1989)実践家庭科教育体系17「子どもの遊びと文化」

 

2.では、4才頃からの活動として、文化といえるくらい長く継承されている活動は他にないのだろうか。社会発展の歴史の中で、もし、そのような活動があれば、その活動は、遊びと同じように見えない世界への認識を広げる活動になっていたと推測できるからである。

 

 兼信・森(1992)5)は、子どもの遊びの発生を次のように記述している。

―――日本で人々の生活の様子がはっきりと確認できるのは旧石器時代後期になってからのことである。この頃は狩猟採取により植物を獲得することが生活の大半を占め、子供は早くから共同社会の一員として大人と一緒に仕事をするのが日常生活であった。縄文時代の末期になると農耕生活に入り労働と余暇の時間の分化が進んでいった。子供は大人の手伝いをしながら遊べる時間も徐々にできていき模倣遊びが発生していったと思われる。

 

5)兼信英子・森智子(1992)「ままごとの研究」.熊本大学教育学部紀要人文科学第41号

 

 縄文時代は、1万年以上続いていたから、人類の長い歴史でみると子どもの暮らしは、遊びより、共同社会の一員として労働に参加していた時代のほうがずっと長い。やがて、農耕が始まっても家族が生きていくために必要な労働力であることにかわりはなく、以後も子どもが家族の一員として働く時代は長く続くことになる。

 江戸から昭和まで続いた丁稚制度において、丁稚たちの最初の仕事は、掃除と子もりであった。つまり、何百年と続いた丁稚制度は、丁稚に採用される年齢(9・10才)までに掃除や子もりは誰もがひと通りできるということを前提にしていた。

 1950年代になってもなお、地方の子どもたちは、家庭の労働力の一部であった。

次は、民族学者、宮本常一(1962)6)の記録である。

「まずしく生きる僻地の村々では、父も母も家を外にしてはたらく。そして、子供の守(も)りはすべて兄や姉があたる。学校教育がおこなわれるようになっても、子供の守(も)りから解放せられることはない」「ふきのとうつみ(秋田県二ツ井町)、栗ひろい(荷上場市)も、子供たちにとってはたんなる遊びではない」

 年長児といっしょに幼児たちもこのような家事労働に加わっている。

 宮本は、続ける。

「子供たちは、家族員として、生産人として訓練させられてゆく。それにはまず親のすることを見習うことであった。子供達に仕事の手伝いをさせるのは幾分かの労力の助けになることをこい願っての意味もあるが、その親たちの持つ生産技術をはやく的確に身に付けてもらうことが親としてのなによりの大きな願いであった」

 

6)宮本常一(1962)「日本の子供たち」日本人の生活全集9.岩崎書店

 

 子どもが、そのほとんどを遊んですごせる時代は、歴史的に見るとつい最近のことなのである。しかしながら、そうではなかった時代も、子どもは、ちゃんと大人に育ってきていたのであるから、家事労働の中に大人へとすすめる力、すなわち、見えない世界への認識を広げることができる活動が含まれていたというほかない。

 では、現在の幼児期の家事労働、いわゆる「手伝い」も、2次元可逆操作期の媒介、「全体を想像しながら、部分を操作する」(表1)活動を含んでいるのだろうか。

 

  昭和62年、鹿児島大学、池山・田ノ浦(1994)7)鹿児島市内幼稚園児(3・4才から入園)を対象にした調査によると当時の幼稚園児たちが、もっとも、興味を示した(実際にしたがる)家事のベスト3は、「弟妹の世話」「食器を洗う」「洗濯ものをたたむ」であった。

 

 小さい子の世話は、おしくらまんじゅうと同じように常に空間全体を把握し自分の体(部分)をコントロールしないとケガを負わしてしまう。眼前にはない見えない背中(あるいは相手の背中)を想像して手と足(部分)を操作しないとおんぶも抱っこもできない。

 

 「食器を洗う」のはどうだろうか。子どもの生活科学研究会(2004)8)によると食器洗いには、次の工程が含まれている。

 内側→ヘリ→外側→糸じり→水道水で洗う。

 つまり、子どもは、最初から今はみえない全体を想像しながら部分を洗う。

 

 洗濯ものたたみも同じである。たたみおわりの全体を想像しながら、部分をたたみ始める。そうでないと、洗濯物はいつまでたってもぐちゃぐちゃである。

 

 なお、上記鹿児島大学調査で、昭和62年当時の幼稚園児たちが実際にしたがっていた家事のベスト10は、次のとおりである。すべて、「全体を想像しながら、部分を操作する」活動になっている。                  

                   表3

 ちなみに、直近ネット調査による幼児が好きな手伝いベスト3は、以下のとおり。9)

  1位「食材の調理」 2位「食卓に並べる」 3位「洗濯物を畳む」

 

7)池山和子、田ノ浦京子(1994)「幼児期のお手伝い~家事行動への興味と親の対応についての調査から」.鹿児島大学教育学部研究紀要人文社会科学編第45巻

8)子どもの生活科学研究会編谷田具公昭、村越晃編(2004)「子どもとマスターする49の生活技術」.合同出版

9)https://naki-blog.com/study/

調査時期:2022年3月3日
調査レポート:https://naki-blog.com/study/survey-report-40

 

 さて、こうして見ると、4才頃からの家事は、今、眼前にはない全体を想像できる力を必要としており、遊びと同じように見えない世界を広げる結果をもたらすことがわかる。だからこそ、家事労働への参加が主であり、遊びが従であった時代も子どもたちはちゃんと大人への道を歩むことができたのである。

 なぜ、4才頃から表3のような家事ができてくるのか。ヴィゴツキ-(2003)10)はその理由を見事に説明している。

「この年齢の子どもは全く新しい活動に移行する。・・・すなわち計画を具体化する可能性が発生する」(ヴィゴツキ-)

 

 眼前にない全体を想像するということは、頭の中で先にイメージをつくる(計画)ということであり、部分を操作するということは、すなわち計画の具体化である。

 だから、幼稚園児たちが家事を「したがる」というのは、子どもの本性なのであり発達を求めている姿だといえる。一方、鹿児島大学調査で親たちに家事手伝いの意義を尋ねたところ圧倒的多くの人たちが「家族の一員としての役割を果たす」(55.4%)と答えている。(池山・田ノ浦1994)親たちの意識も子どもが、共同社会の一員として大人と一緒に仕事をするのが日常生活であった時代(縄文時代)とかわっていない。これもまた社会の構成員として成人している大人の本性だといえる。私たちの社会は、ふたつの本性のおかげで、維持、発展してきた歴史だったのである。

 

10)ヴィゴツキ-著、土井捷三、神谷栄司訳(2003)「『発達の最近接領域』の理論」.山学出版

 

 以上によって、2次元可逆操作期の子どもたちの前にはふたつの文化が用意されていることがわかる。すなわち「遊び文化」と「家事文化」である。なお、2次元可逆操作期は、はじめての「倫理」を継承する時期でもある。(参照:本フログ「『階層-段階理論』による知的発達と人格発達の統一的理解」)

 

3.みてきたように、2次元可逆操作期の子どもたちは、先人たちの文化を継承する活動において産物を獲得してきた。したがって、産物獲得のための媒介、「眼前にはない全体を想像しながら、部分を操作する活動」(A) は高次から提供される。そして、可逆操作の相互浸透モデル11)によれば、(A)の活動量、すなわち、溶媒の呼び込み量は浸透圧(Π)の強さに規定される

 

ファントホッフの法則12)

     Π   V     =   n    R     T   

    浸透圧 容液の体積      物質量 気体定数 絶対温度 

      

     Π(A量)=nRT/V

 

 上記法則により、媒介「眼前にはない全体を想像しながら、部分を操作する活動」量(A) と、産物「見えない世界の認識」量(n)は比例関係にあることがわかる。

 (A)の活動によって産物(n)を獲得し、(n)の獲得によって、(A)の活動はさらに広がる。両者は可逆、循環する自己運動によって発達を遂げる。

      

11)本ブログ

12)野島孝彦著(2012)「はじめて学ぶ化学」.化学同人

 

4.文化の継承であるから、産物(n)の獲得のための媒介活動(A)には何らかの形で大人が関与する。しかし、巡り巡って友だちに触発されてということもあるし、大人も親だけではない。竹馬の作り方を近所のお兄ちゃん(青年)が教えることもあるし、将棋は近所のおっちゃんが教えることもある。今なら、保育所や学校(障害児教育)の先生だって大きな役割を果たす。

 ただし、2次元可逆操作期において、このような人との関係(「可逆操作関係」以下同じ)は、産物(n)獲得のポテンシャルを広げるのであり、産物(n)獲得の媒介となるのは、「眼前にはない全体を想像しながら、部分を操作する活動」(A) である。つまり、誰かに伝授してもらったらひとりでも産物(n)を獲得する活動は可能である。

 

 では、どのような仕組みによって、人との関係が産物(n)獲得のポテンシャルになるのだろうか。

 

 前述のヴィゴツキ-は、この時期(就学前期)に子どもの「興味の入れ換えや切り換えが発生する」13)とした。すなわち、今まで直感的、感覚的な動機で興味・関心をもっていた世界が、自分が暮らしている集団の人との関係によって一新される。「お母さんが誉めてくれるから」「お父さんが喜ぶから」「友だちがしているから」「保育所でお話をきいたから」「誰々君のようになりたいから」

 

 このように今まで直感的・感覚的だった興味・関心は、社会的な意味によって再編される。けっきょく、子どもの側にも人から人へ、古い社会から、今の社会へ、文化を継承する準備ができている時期なのである。

 

 冬の冷たい水は「イヤ!」。そんな理由で水にさわらなかった子どもでも、「家族みんなのために自分の役割を果たす。お姉ちゃんもそうだったから」と、家族との関係で社会的な意味がわかると進んで「お米をとぐ」。そして、眼前にはない白いご飯(全体)を想像しながら、お米をとぐ。今はまだ現実にはなっていない、お父さん、お母さん、お姉ちゃんが、おいしそうにご飯を食べる姿を想像しながら、「ありがとう」といわれる自分を想像しなだら、目の前のお米をとぐのである。

 

 私たちの社会の文化は、こうして継承され、そして、子どもの側もそれまでは興味・関心のなかった世界へ認識を広げていける仕組みになっている。遊びも同じである。それまでの感覚的な好き嫌いを乗り越え、誰かに誘われたり、教えられたり、つまり、人との関係によって遊びの種類を広げ、新しい分野での楽しさがわかり文化の担い手になっていく。

 

13)ヴィゴツキ-著、土井捷三、神谷栄司訳(2003)「『発達の最近接領域』の理論」.山学出版

 

5.江戸時代の寺子屋には、盲児、聾唖(ろうあ)児、肢(し)体不自由児、精薄児等の障害児がかなり在籍していたことが報告されている。(文部科学省「学制百年史」)

鴨井(2019)14)は次のように記述している。

寺子屋では)「6、7才で寺入りし、読み、書き、算盤(そろばん)が教育された。一斉授業ではなく、年齢、学習進度、子どもの必要性に根ざした個別授業が中心であった。」

 しかし、寺子屋の障害児たちは当時の幼児期の遊び(表2)のうち、たとえば、竹馬はできなかったり、おしくらまんじゅうも無理だったり、また、鬼ごっこはできなかったりしたはずである。同じように家事活動も制限されていた。にもかかわらず、寺子屋は相当な数の障害児を受けいれていた15)のであり、日本の寺子屋の歴史は、幼児期の遊びや家事のその全部を経験しなくても、文字学習は可能であったことを示している。

 つまり、残存能力により可能な遊びや家事活動だけでも、3次元可逆操作期へ移行することは可能だったのである。

 もちろん、この事情は今でもかわらない。 

 河野勝行さんは、終戦の前年、母親の過労と栄養不足で超未熟児として生まれ、脳性まひになった。当然、幼児期の活動は多くの制限を受けることになる。しかし、河野さんは、左足にペンを挟んで文字を書き、書物を20冊以上もだす研究者になった。(鴨井2019)

 ここに私たちは、障害によって活動に制限がある子どもたちの可能性を見いだすことができる。

 以上によって、「眼前にはない全体を想像しながら、部分を操作する活動」(A)は、できる範囲の活動で場数をふみ、藤原(2019)16)のいう「世界には部分と全体がある」ことを理解していくことが重要であって、必ずしも「遊び」や「家事」のすべてを経験する必要はないことがわかる。

 

14)鴨井慶雄(2019)「子ども・障害のある人から見た明治150年」.クリエイツかもがわ

15)佐藤陽子(2005)障害児保育―特別な援助を必要とする子どもの保育―の歴史~寺子屋時代から今日まで~.尚絧学院大学紀要51集

16)藤原辰史(2019)「分解の哲学~腐敗と発酵をめぐる思考~」.青土社

 

         障害児教育実践への示唆

         2次元可逆操作期の自己実現

 

 今、2次元可逆操作期の子どもたちの前にはふたつの文化が用意されている。「遊び文化」と「家事文化」である。そして、2次元可逆操作期の可逆操作は、➀想像世界を認識できる力で②眼前にない全体を想像しながら、部分を操作する活動(媒介A)によって、見えない世界への認識(物質n)を広げていくものであった。

 もう、想像世界を認識できる力はすでにもっている。もう、そこにある力を発揮することが自己実現の道である。したがって、教育は「もう獲得されている可逆操作が、もうその力はあるけれど発揮する機会がないところに働きかける」(加藤2018)17)

前述のように上記の媒介(A)と物質(n)は、比例しており、両者は可逆、循環しながら発達を遂げる。

 

 文化の伝授―継承を可逆操作の相互浸透モデル(前回ブログ)によって説明すると次のようになる。 

               

     大きな物質=可逆操作の発揮によってつくられる産物(表1③)

      2次元可逆操作期にあっては、「見えない世界の認識」

       

 拡張=物質粒子か濃度の高い方から低い方へ広がる過程18) 

             図1

1.2次元可逆操作期において、文化を継承する力(溶媒)は拡張により低次から供給される。

2.2次元可逆操作期の産物「見えない世界を認識する力」は、2次元の溶媒の中でうまれる。

 

 浸透圧=水分子が半透膜を通過して浸透するときの圧力。19)

 2次元可逆操作の発揮によって、産物が増加してくると、2次元の溶液中にしめる物質の割合は高くなる。浸透圧により、3次元から、2次元へ溶媒が流れ込む。

               図2

3.浸透圧によって、産物獲得の溶媒となる活動(「遊び文化」「家事文化」)は、高次から伝授される。

4.伝授する人は、地域社会を構成する人であり、誰であるかは、問われない。

5.溶媒の流入によってさらに産物(「見えない世界の認識」)を生む土壌が広がる。

               

 

17)加藤聡一(2018)「人間発達研究所通信」V0l34(3 )

18)大地睦男著(1992)「生理学テキスト」.東京文光堂

19)八杉貞雄、可知直毅監修(1971)「生物事典」.旺文社 

 

 以上によって、2次元可逆操作期の障害児教育実践について、次の知見を得ることができる。

 

➀対人最少負担活動の選択

 自閉症スペクトラム症(ASD)児は、人とのかかわりや、コミュニケーションを苦手としている。20)「子どもは2~3歳くらいになると、周りの子どもの存在を意識するようになります。一緒にあそぶのではないとしても、隣であそんでいる子どものようすを気にしたり、まねをしたりしようとします。しかし、自閉症スペクトラムの子どもは同年代の子どもに関心をむけることはありません。保育園や幼稚園の集団生活においても、ほかの子どもたちと一緒に遊ぶ機会が少なく、ひとりあそびをしているのが特徴です。」(榊原2017)21)

 

 人と関わることを苦手とする子どもたちが、残存能力を生かして、自己実現を果たしていくためには、対人活動が最少負担になる活動の選択が求められる。文化の伝授―継承においては、伝授する人が誰であるかは問わない。(図2)

 したがって、➀安心できる人(集団)からの伝授によって、②最少接触時間で継承できて、③継承後はひとりでも完結できる文化を選択することができる。

 このような活動は図2の「工作・お絵かき遊び」「おはなし遊び」の読み聞かせなどで可能である。その際、私たちは短時間・高頻度になる学習システム22)を提案している。(下図右.S=主体)

 

    

 

20)田中哲藤原里美監修(2016)「自閉症スペクトラムのある子を理解して育てる本」.学研プラス

21)榊原洋一(2017)「自閉症スペクトラムの子どもたちをサポートする本」.ナツメ社

22)本ブログ⑫対象性の原理からみえてくるもの「新しい発達の原動力とエネルギー保存則」

 

②感覚許容活動の選択

 熊谷(2018)23)は、感覚過敏が生み出す世界を次のように説明している。

―――感覚過敏とは、人が外部環境にある何らかの刺激によって強い衝撃を受けることから始まる。そして、その衝撃が強すぎて苦痛となる場合は、それを避けるために、たとえば耳を抑えるなどの回避行動が生まれる。しかし、これは刺激を受け入れにくい場合である。逆に受け入れやすい場合は、そこから通常以上の感覚が生まれるわけだから、その世界に没入することになる。

 

 可逆操作の相互浸透モデルにおいて、浸透圧によって高次から流れこむ溶媒は、「眼前にはない全体を想像しながら、部分を操作する」活動である。したがって、遊びや家事の種類は限定されない。運動遊びから伝承行事まで、あるいは、この年齢で可能になるどんな家事(表3)でも産物は獲得できるし、産物の獲得によって、浸透圧が高まり、さらに産物を獲得できる条件が広がる。

 つまり、感覚障害のある子どもたちに苦痛に感じる活動を迫る必要はないという結論に達する。けっきょく、その子の感覚で許容できる範囲の活動こそが、残存能力を生かす道であり、自己実現の道である。江戸時代からそうだったように誰もがすべての文化を継承する必要はないのであるから、みんなと同じことのすべてを経験する必要はないといえる。

 

 こうして、子どもたちと私たちの前には、その子の感覚で許容できる範囲の活動という選択、あるいは、その子にあわせて、子どもといっしょにそんな活動を創り出していくという選択肢が広がる。

 もうすでにはまっている世界があるならばそれがヒントになる。その世界を足がかりに、受けいれ可能な世界を探っていける。

 彼が没入している世界の写真集や図鑑などがあれば、セリフをつけて読み聞かせ、そこから彼が受け入れ可能な世界を広げていける。もちろん、対人関係を苦手としている場合は、➀の原則にしたがい対人最少接触時間で継承できる活動を子どもといっしょに探しにいくことになる。

 障害児の教育は、毎日が子どもといっしょに宝物を見つけに出かける旅だといえる。したがって、障害児学校の教育課程には、文化の伝授者と継承者が自由な旅ができる自由度が求められる。そして、大規模、過密、雑然としている教育環境は、感覚障害をもっている子どもたちの自己実現の道を妨げる。大人たちの責任において落ち着いた教育環境が整備されなければならない。

 

 参考  熊谷(2017)による感覚過敏の種類23)

 聴覚過敏~両手で耳を抑える、大きな音を怖がるなど。

 視覚過敏~新しい場所や視界の変化を恐れるなど。

 その他の過敏~人に触れられるのを嫌がる、水、砂、泥などに触れるのを嫌がるなど。

 固執的行動~出来事の順序や道順にこだわるなど。

 

23)熊谷高幸(2017)「自閉症と感覚過敏」.新曜社

 

③家事文化の継承という選択

 前述のように興味・関心は、2次元可逆操作期に人との関係によって一新される。(ヴィゴツキ-2013)。結果、人との関係を苦手とする子どもたちは、興味・関心をひろげることに困難さを伴っている。しかし、みてきたように人間が家事労働によって発達してきた歴史は、遊びによって発達してきた歴史よりずっと古い。

 

1.家事労働は、家族の一員として、誰かのためにという社会的意味がわかりやすい。したがって、多少の苦手を乗り越えて、認識世界をひろげていける可能性を含んでいる。

2.家事は、台所の蛇口に手が届くようになった年齢、掃除機がもちあげられるようになった年齢、つまり、生活年齢の高さがプラスにはたらく。

3.また、ひとりの年長者からの伝授が可能であり、伝授―継承後はひとりでもできる活動である。結果、多くの家事労働は、対人最少負担活動になっている。

4.そして、それが、家族のために毎日必要とされている家事なら量的な蓄積も進む。

 

 学校では、家での日課となるように、ひとりでできるまでを伝授-継承する活動が可能である。

 

 寺西は(2005)24)は、「お米とぎ」を3才からのお手伝いとした。私たちの経験では、2次元可逆操作期の子どもたちなら炊飯器を使った「ひとりでのご飯たき」学習が可能であった。同じように電気調理器具を使ってなら、3次元可逆を越えると、「ひとりでのカレーづくり」「ひとりでのハンパーグ」など複雑な調理も安全にひとりで完成させるまでの学習が可能であった。私たちは、お家でできることを学習のゴールとしていたので、最終的には、ひとつ(部分)ひとつ(部分)声をかけたり、パート(部分)ごとの分業はせずに、ひとりでできるまでを目標にした。そして、学校でひとりで、できるようになったら、個別に連絡帳で各家庭に連絡した。

 

「カレーをすべてひとりで作ってくれました。母とちがった味のおいしいカレ-がいただけました。」連絡帳(父)

 

「仕事でおそくなりカレーでもつくっといてね、と電話をいれました。7時前に帰宅するとおいしいカレーとサラダ菜ができあがっていました。」連絡帳(母)

 

「とうふステ-キを作ってくれました。祖母も、『こんなにもおいしいごちそうが作れるようになったか』と、喜んでおりました。いろんなことに自信がついてくると思います」連絡帳(母)

 

 彼らは、家族の一員として、縄文時代から続く人間社会の文化を継承した。しかし、それは同時にすでにもっている自分の力を発揮する自己実現の道でもあった。当時の私たちは、家事への参加が、人間のふたつの本性を発揮する活動であることに気付くことはできなかった。

 

24)寺西恵理子(2005)「3才からのお手伝い」.河出書房新社