発達保障をめざす理論と実践応援プロジェクト

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階層と段階の視点⑳ 「可逆操作」をめぐる実践に関わるいくつかの論点  領域普遍性論と発達のズレ、出現順序の普遍、可逆操作は「中核機制」なのか

   「可逆操作」をめぐる実践に関わるいくつかの論点

 領域普遍性論と発達のズレ、出現順序の普遍、可逆操作は「中核機制」なのか

                  

                       山田優一郎(人間発達研究所会員)

 

  本ブログで説明してきた可逆操作は、次のとおりです。 

         

        表1 可逆操作(基本操作、媒介、差物)       

 操作単位ごとの媒介となる活動で外の世界に働きかけ、自らを発達させるための産物を獲得する。基本操作が媒介と産物の間を可逆し、両者は拡大再生産されて発達を遂げる。  

 

①領域固有性論と領域普遍性論

「固有性論か、普遍性論か」という議論を聞いたことありますか。

 

 領域固有性論=ある特定の領域においてのみ成立する発達的な現象や特性のことを指します

 領域普遍性論=ある領域だけでなく、複数の領域に共通して成立する発達的な現象や特性のことを指します。

 

 さて、可逆操作によって階層と段階が区切られる「階層-段階理論」は、どちらの論になるのでしょう。実は、可逆操作を表1のように理解することで、ピアジェ研究の第一人者、中垣(2011)1)の論立てによって、説明することができるようになります。

 

ピアジェの発達理論は、知的操作という特殊な領域での発達を問題にしたという意味では認知発達の領域固有性論ではあるが、知的操作の領域普遍的浸透性ゆえに知的操作を発達段階の中核に据えたという意味では領域普遍性なのである。ピアジェの発達観は、領域固有性と領域普遍性を止揚した弁証法的発達観なのである」

 

 中垣(2011)の上記説明は、「階層-段階理論」におきかえても同じように説明できるものです。もともと「階層-段階理論」は、ピアジェを批判しつつできたものですが、段階論という点では同じなので、「固有性論か、普遍性論か」については、同じように説明することができるのです。

 

 では、上記説明を「階層-段階理論」におきかえてみます。「領域普遍的浸透性」を可逆操作の特性(②)によって説明してみました。

 

①「階層-段階理論」は、表1のように認識・思考の発達によって段階が特徴づけられています。したがって、認識・思考という特定領域固有の発達のメカニズムを明らかにしようとした点においては領域固有性論だといえるものです。

②一方、可逆操作は外の世界へ働きかけ、何がしかを内面にとり入れる際の基本操作であるが故(ゆえ)に、その際は、全領域を総動員しての活動となるが故(ゆえ)に、領域普遍性論だということもできます。

③要するに「階層-段階理論」は、部分の発達と全体の発達を明らかにしようとする発達論であり、「両者を止揚した弁証法的発達観」(中垣2011)に基づいた発達論だということができます。

 

 ほかにもっといい説明の方法があるかもしれませんが、実践的にはとりあえず、このような理解でどうでしょう。

 なぜなら、私たちは①②③のように理解することによって、どちらの立場にたった研究成果も、可逆操作に働きかける際の有効性を判断しつつ実践にとり入れることができるようになるからです。

 

➁領域間のズレ~人は層をどのように認識するか

 発達の段階は、まるで地層のように層になっています。人々は地質学において、地層の解明をどのようにすすめてきたのでしょう。地層の研究は、ある地点の縦軸(ボーリングコア)を採取し、層に含まれているモノを測定・分析します。その際、直接測定・分析したのは縦軸だけなのですが近辺の横軸(面)は、縦軸の結果から「推定」2)するのです。上部の地層のすべてを引っぱがして見ることはできないので横軸(面)の「推定」は仕方のないことです。ところで、「階層-段階理論」では、可逆操作を「各階層・段階で他の諸活動(諸機能)よりも発達にとって重要な役割を果た」す(茂木1978)3)活動として位置づけ、表1では認識・思考の発達をボーリングコアとして取り出し、測定・分析しています。この時、地層と同じように、他の領域の発達、すなわち横軸は地続きとして「推定」できるのです。認識・思考という「知的操作の発達水準によって(他の領域の発達が)完全に決定されているわけではない」(中垣2011)ので、発達の層における横軸の「推定」も合理的なものです。「推定」なので反証があればその領域の「推定」はくずれます。しかし、抜き出した縦軸の階層・段階がなくなるわけではありません。

 

 教育実践は、領域間の連関に注目し、進んだところ(段階)に目を当てて、遅れているところ(段階)に手を当てる実践を展開します。したがって、階層・段階の知識は領域間の発達にズレがあっても、実践にとってなお有効な情報です。進んだ領域と遅れた領域がズレたままでも力を発揮できる活動を組織することができるからです。

 

※私の経験では、「推定」に留まっていることを、その時期にどの子にも必ず現れる行動であるかのように説明してしまうと、違う現実の子がいた時、「あれっ?」となってしまいます。

 

③順序性の普遍

 「階層-段階理論」は、「障害の有無をとわず、すべての人の発達のすじ道は基本的に同じ」(窪島1978)4)としています。これは「すべての人間の無差別平等の権利性に発達研究の側から理論的な根拠を与える」(窪島1978)ものでした。障害児を「異常児」としていた時代、可逆操作によって、障害児とそうでない子の発達の共通性がみつかったのですから、可逆操作の発見は、障害児への差別を克服し、障害児に諸権利を保障していくための画期的な発見だったといえます。

 「階層-段階理論」において、発達は文字通り段階になっています。したがってここでもピアジェの段階論と同じように可逆操作の出現時期は、「段階出現の順序を変更することはありえない」(中垣2011)ので、段階の順序性は、障害の有無にかかわらず共通なのです。ただし、例外の存在を否定することはできません。「カラスは黒い」ということを完全に証明するのは不可能なことです。世界中のカラスをつかまえて確かめることは不可能なことだからです。しかし、人々は「カラスは黒い」と認識しています。可逆操作の発達の順序性も、世界のすべての人がそうだと完全に証明することは不可能です。だから、違う順序で発達を遂げる人が世界のどこかにいたとしても不思議なことではありません。しかし、それでもなお、可逆操作の順序性の普遍が否定されることはないのです。「家」という共通でくくられる普遍の中に物置小屋とか倉庫とか「特殊」5)な「家」が存在するのは世の常であり、可逆操作獲得の順序性についても普遍の中に「特殊」が存在していても不思議なことではありません。それはそれで、その「特殊」なグループの中に新しい法則をみつけ、子どもたちへの実践に寄与できるようにすればいいのです。順序性のことだけでなく、普遍の「推定」が妥当しない子に遭遇したとき、どの学年にも、あるいはどの段階にも存在する「特殊」なグループなのか検討し、そのグループ内に妥当する実践の教訓を明らかにしていく作業こそが子どもの利益につながります。

 普遍の中に潜む「特殊」の出現(発見)によって、もともとの普遍を否定することになると、私たちの認識は不可知論に陥り、発達研究によって明らかになっている先人たちの知見を実践にいかすことはできません。

 

 不可知論=ものごとの本質は我々には知り得ず、認識することが不可能である、とする立場のこと。(「weblio辞書」)

 

④各領域間の「連関」

  「階層-段階理論」では、可逆操作を外の世界へ働きかけ、何がしかのものを内面にとり入れる際の基本操作としています。可逆操作の高次化こそ質的転換期であり、可逆操作は質的転換を実現する中核として役割を果たします。可逆操作をその段階の活動の中核とし、次の段階へ移行する際の中心的な役割を果たす力と位置づけることによって、子どもが活動する際の「連関」を中核である可逆操作と、中核から遠ざかるほど薄くなる周辺の「連関」として、つまり機械的、一律な「連関」でなく、強弱、濃淡のあるグラデーション模様の「連関」としてとらえることができます。グラデーション模様の「連関」である以上、全領域の発達を可逆操作が完全に機制しているわけではありません。したがって、かって(1974年「障害者問題研究」第2号)6)の可逆操作=中核機制は、誤りだったといえます。「機制」を加えると当時の大脳機能局在説とも、現在の局在説とも齟齬が生じます。(末尾資料参照)

 

 教育実践は、発達の各領域間はグラデーション模様の「連関」が存在していると想定(推定したままで)して実践を展開します。実際のところ、私たちは、走る力を育てたいとき、「あそこまで」と認識の力に依拠しながら「走る」学習をします。また仲間と励ましあって、いっしょに育つ授業を展開します。7)そうしないと走る力も育たないのです。コトバを育てたい時、何かが言えることだけでなく、大人と交流する力、対人関係の力も同時に育つような学習を組織します。8)そうでないと、お話できたとしても、生活の場で、人との関係で使えるコトバにはならないからです。赤木(2018)9)は、自閉症の感覚過敏の子を例に、領域間の能力の「連関」を想定することで、子ども理解が深まる例は多いとしています。

 

 友だちとの対人関係の良さから世界がひろがったり、部活動による内面の育ちが思考(勉強)を鍛えることにつながったりと、教育はたえず「連関」を想定して、子どもの可能性を引き出します。各領域間の「連関」を想定することによって、私たちは、子ども理解を広げ、実践の巾を広げ、子どもの可能性を広げることができるのです。

 

 さて、以上であなたも、階層と段階の視点を子どもたちの元へ届けることができるようになりました。もし、よかったら、本ブログで綴られてきた情報をあなたとあなたの職場の実践のためにお役立てください。

 

[参考・引用文献]

1)中垣啓(2011)ピアジェの発達段階論の意義と射程「発達心理学研究」第22巻第4号

2)内山美恵子、池内美緒、木村克己(2011)東京低地と中川低地の沖積層堆積物で作成した水素イオン濃度指数及び電気伝導度「地質調査研究報告」第62巻1/2号、他

3)茂木俊彦(1978)発達理論に関する若干の研究課題について~心理学のアスペクトから~「『発達保障論』の成果と課題」.全国障害者問題研究会

4)窪島務(1978)「発達保障論の成果と課題」.全国障害者問題研究会

5)三浦つとむ(1968)「弁証法とはどういう科学か」.講談社

6)長嶋瑞穂(1974) 個人の系の発達と発達保障.「障害者問題研究」第2号. 全国障害者問題研究会

7)山田優一郎(1986)「走れ!ぼくらの青春特急」.あゆみ出版

8)山田優一郎・國本真吾(2019)「障害児学習実践記録~知的障害児・自閉症児の発話とコトバ」.合同出版 

9)赤木和重(2018)「目からウロコ!驚愕と共感の自閉症スペクトラム入門」.全障研出版部

 

 資料

 

 可逆操作を中核として、他領域との「連関」を中核と周辺との「連関」として、濃淡のあるグラデーション模様の「連関」としてとらえることは、現在の大脳機能局在説とも一致します。

 

――――従来は種々の脳機能の解剖学的局在はあらかじめ決まっており、この脳機能局在はある程度“固定”されていると考えられていた。しかし近年、この考え方の根底が覆り、さまざまな脳機能が解剖学的局在に縛られているのではなく、むしろ脳全体がひとつのシステムとして固有の脳機能を発揮していると考えられるようになってきた。1)

 

 結果、現在の大脳機能局在は、次のように考えられています。

 

 ―――その部分が主な活動場所になっている、喩えて言えばカーニバルのお祭り広場のように、町中が騒いで市民みんなが参加する祭典にも、中心的な活動場所があるようなものだと考えてください。このような厳格すぎない規定で脳の機能局在性を考える。2)

 

 なお現在の局在説理解に至る歴史的経過は、以下のとおりです。3)

 

1.脳の構造を測る方法は、➊X線CT(Computed Tomography)がはじまりである。1971年に、イギリスのゴッドフリー・ハウンズフィールドにより第一号機が開発されている。日本でも、1975年ごろには、東芝や日立が国内産CTを販売していた。高度成長の最終時期にあり、日本の科学水準はほぼ西欧の水準に追いついていた。X線CTに遅れること数年、➋1975年に応用にいたった脳機能を計測システムが、PET(positron emission tomography)である。➌さらに約15年後、脳構造を計測するMRIを発展させて、脳機能面での計測する fMRI(functional MRI; 機能的MRI)が開発される。(1990)

 

2.非侵襲計測ができることによって、機能局在説にどのような落とし穴があるかについて、再検討が必要となる。

 ある脳部位の除去によって、ある認知機能に障害が生じたという事だけから、その脳部位がその認知機能を担っているという結論を出すのは軽率である。というのは、

①その領域と他の脳部位との”相互作用”が大切なのかもしれない。

②また、その脳部位を介した他の脳領域間での接続が途絶えた事が原因かもしれない。

③もっと素朴には、その除去領域の周辺の接続が切れていることが原因なのかもしれない可能性があるからである。

 

3.ある脳部位が損傷を受けた際に、その損傷部位から、はるかに離れた脳部位でも活動低下(血流量もしくは代謝)が見られることがある。この現象を、遠隔機能障害(Diaschisis)とよぶ。たとえば、ある脳領域が損傷を受けた場合、別半球側の脳部位でも活動低下が頻繁に生じる。この現象は、明らかに、損傷が起きた部位が、他の脳部位と共に働いているという事を示唆しており、損傷部位と認知機能の単純な対応づけをすることに注意を促している。

 

※生きたままの脳をリアルに観察できるようになったのは、fMRI開発(1990年)以降です。それまではガチガチの局在説が主流であり、1970年代~80年代にかけては、まだ、局在説との関係で可逆操作の説明も難しかった可能性があります。

 

[出典]

1)木下学(2022)「脳機能局在論から神経ネットワーク論へのパラダイムシフト」(医学のあゆみVolume 282, Issue 6, 580 – 585)

2)林 隆博(2009) 37. 脳機能の局在性とモジュール理論 - 論文・レポート (crn.or.jp)

3)1~3の出典が行方不明。ただ今、捜索中です。数年前にPCのお気に入りに保管したのですが、いつの間にか消えていました。論文名は「脳のミクロとマクロ~ネットワークの視点」だったような気がしますが、違うかも・・。今のところ証拠(出典元)を提示することができませんので、引用する際はご注意ください。