発達保障をめざす理論と実践応援プロジェクト

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読後感想 田中昌人著「人間発達の科学」の「矛盾」について(続き) ~「内」と「外」、新しい発達の原動力への影響

 「新しい発達の原動力」

   ―――その話しが難しすぎる原因を考えてみた

            

                    山田優一郎(人間発達研究所会員)

 

はじめに

 前回までのブログで見てきたように田中は、能力である交流(交通)の手段の発展を「外部(人と人との関係)」の矛盾として説明した。それは、歴史的な制約があってのことだった。

                図1

 図1の「内」と「外」の誤認は、その後も深刻な影響を与えることになる。「新しい発達の原動力」の説明で、困難な説明を余儀なくされることになったからである。究極の合理的説明の方法である弁証法のひとつの誤認は、そこだけには留まらない。田中の場合も次のように「新しい発達の原動力」の説明において弁証法の原則に合致しない結論に辿りついている。

 

[Ⅰ]「内」と「外」の誤認(これは歴史的制約)1980年「人間発達の科学」

[Ⅱ]各層の第2段階に発生した原動力によって新階層への質的転換が実現するという結論が導きだされた。1985年「京都大学教育学部紀要31号」P50

 

 弁証法では、すべての発展は、矛盾を母とする原動力が引き起こす。

「(矛盾は)、弁証法における基本カテゴリーであり、すべての運動・変化・発展の根本をなす」1)

 そして、「自然は弁証法の試金石である。」(エンゲルス2)

 したがって、第3段階にある対立物ー矛盾ー原動力ではなく、第2の段階の矛盾から発生する原動力によって、新階層への質的発展があるとする[Ⅱ]の結論は、残念ながら弁証法が描く自然の姿ではない。質的転換は、各段階の対立物の相互浸透の結果、「一方が他を圧倒する作用を及ぼすことで、新たな事物に転化する」3)仕組みになっているからである。             

 

 自然の姿ではないことの説明は、職場ですぐに質問がでる。何となくの違和感、直感からくる疑問であり、これも自然なことである。

 

「1次元から2次元、2次元から3次元、子どもにとったらみんなはじめての新しい発達の原動力でしょう?」

「なんでここだけ何年も前の力が原動力になるんですか?」

 

 もし、実践上の必要から新しい発達の原動力を職場で説明しようとする人がいたとしたら、私たちが、職場で長い間、「可逆操作というのは、何と何が可逆しているんですか?」「どうしたら、わかるんですか?」という質問に立ち往生してきたように、おそらくたいていの人は、新しい発達の原動力でも職場の仲間たちの上記質問に答えられない。

 以下、新しい発達の原動力の発生の事実そのものではなく、その記述(説明)について検討した。          

 

1.前回ブログでも指摘したように弁証法の根本法則の誤認は、たとえ弁証法によって説明したとしても、現実の自然の姿とは異なる結果になる。

 自然の姿でないものは、どうしても、他者には伝わりにくい難解なものになる。それは、どんなに工夫しても辻褄があわない結果になるからである。

 具体的にみていこう。

 

 1985年。新しい発達の原動力について、田中の説明は次のとおりである。

 

「1種類または2種類の変数の可逆操作から、同一単位の多変数の可逆操作になるという、いわば量による階層内の質への転化を基本とするだけではなく、発達における飛躍を達成し、次階層での発達を主導する新しい交流の手段をともなった新しい質の発生でもある」(京都大学教育学部紀要31号P50)4)

 

①新しい発達の原動力は、「1種類または2種類の変数の可逆操作から、同一単位の多変数の可逆操作になるという、いわばによる階層内の質への転化」を実現する。これは、田中が第1章で説明してきた「量的変化から、質的変化への移行の法則」5)の説明である。したがって、すべての質的転化に貫かれている法則であって、新しい発達の原動力についてだけ「新しい」をつける根拠にはならない。むしろ、「階層内の質への転化を基本」としつつ、それだけでなく、「飛躍を達成」することにおいて新しい発達の原動力は他と区別される。みてきたようにこの結論は、各段階の対立物の相互浸透の結果、「一方が他を圧倒する作用を及ぼすことで、新たな事物に転化する」という弁証法の原則に合致しない。つまり、 自然の姿ではない。(末尾に参考資料あり)

②また、1、2、3と階層内で「質への転化」を遂げていくすべての活動が「飛躍を達成」するための量的拡大になるという意味なら、「階層内のすべての活動の量的拡大によって・・・」としなければ意味が通じない。意味が通じたとしても、また別の問題(③)が出てくる。

③たとえば、可逆操作力と可逆操作関係の矛盾で交流(交通)の手段(ことば→書き言葉)の変化を説明したとき、「関係」のところにいれたことばの活動は、固定する傾向をもつことになる。そうでないと日々進歩する可逆操作力との矛盾が生じないからである。つまり、ことばの量的拡大はすすまないことによってのみ可逆操作力との矛盾が拡大する。結果、「いわば量による階層内の質への転化」はおこらないことになる。(図2)

                図2

        

④けっきょく、新しい発達の原動力は「階層内の質への転化」「飛躍も達成」する。すると今まで階層内の移行を実現してきた「普通」の原動力は、第3の段階では消えることになるのだろうか。つまり、これまで「質への転化」をなし遂げてきた原動力との整合性が問われることになる。

 

 以上、新しい発達の原動力の説明の困難さ(わかりにくさの原因)は、弁証法の原則と合致しない結論を弁証法によって説明することの困難さであり、前述の[Ⅰ]をそのままでは避けられないものだったといえる。田中は、以後も苦しい説明を余儀なくされる。

 

1)古在由重企画、森宏一編(1971)「哲学辞典」.青木書店

2)エンゲルス著、寺沢恒信訳(1970)「空想から科学へ」.大月書店

3)前掲1)

4)田中昌人(1985)「発達における階層間の移行についてⅢ~次元可逆操作の段階から変換可逆操作の階層へ」.京都大学教育学部紀要31号P50

5)田中昌人(1980)「人間発達の科学」.青木書店

 

2.新しい発達の原動力の「重層構造」による説明

 冒頭論文から2年後(1987年)の書籍6)で田中は、新しい発達の原動力について、次のように説明した。

 

「かって、発達における階層の導入について述べて以来、階層内の三つの発達段階の第2の段階から、第3の段階に移行するところに、第3の段階を形成するとともに新しい交通(交流)の手段を発達させつつ次の階層を主導する❸発達の基本矛盾が、重層構造をもって発生することを述べた」(「理論」46P)

 

 これも難しい説明である。とても、職場の人たちに読むようにすすめることはできないし、読んだらわかる、ともいえない。

 

 原動力は、活動をひきおこす元になる力なので、5才半の原動力を例にとると、「第2の段階から、第3の段階に移行するところ」(5才半頃)」に発生する新しい発達の原動力は、❶「第3の段階を形成する」活動をひきおこし、❷「次の階層を主導する」力(書き言葉)を「発達」させる。そして、❸その「発達の基本矛盾」が「重層構造をもって発生する」

 

「第3の段階を形成」は、5才半の原動力を例にとると3次元可逆操作期のことである。そして、そこでは書き言葉が獲得される。

 新しい発達の原動力が、新階層への「飛躍を達成」(前述85年論文)するという説明は消えた。つまり、田中自身の「かって」の主張とは異なる。そして、上記の❶❷は、「2次元可逆操作期に自制心が育つ」というようにどの段階でもいえる当然のことをいっているにすぎない。たしかにこの説明で、ここまで発達を遂げてきた原動力との整合性はとれることになるのだが、「だったら、ほかの原動力と同じ」という結論になってしまっている。もちろん、「新しい」をつける根拠にはならない。

②今回の説明で新しく使われているのは、❸「重層構造」である。たしかに、新しい発達の原動力を生む「基本矛盾」に限り「重層構造」をもっているのであれば「新しい」をつける根拠となる。

 矛盾が層になっていれば、ひとつの矛盾から段階間の移行と、次の階層への飛躍という二つの質的転換をなし遂げる二つの原動力がうまれる可能性がある。では、重層構造をもつ矛盾は存在するのだろうか。結論からいうとそのような矛盾は存在不可能である。理由は、以下のとおり。

 

 矛盾の概念は「有と無・人間と人間でないもの・白と白でないもの、というものであり、二つの対立する概念の間にはその中間にあたる概念はない」(「哲学事典」)7)白と黒なら、反対の概念なので灰色という中間がある。だから並べると層になる。しかし、矛盾は反対概念とちがい、「有か無」であり中間がないのを特徴としている。いうまでもなく、重層というのは、「いくつもの層になって、重なっていること」8)である。矛盾そのものが、中間がなく層にならない以上、「重層構造」をもってしても、ひとつの矛盾から発生した原動力が二つの質的転換を成し遂げることはない。

 

 こうして、新しい発達の原動力は、「重層構造」によっても、説明に成功しているとは言い難いものになっている。

6)田中昌人(1987)「人間発達の理論」.青木書店

7)古在由重企画、森宏一編(「哲学辞典」).青木書店

8)「現代国語辞典」.三省堂

 

まとめ

 何がコトを難しくしているのか、原因がわかれば解決できる。実践者に伝わることばで説明することができれば、田中の大発見、新しい発達の原動力は子どもたちの元へ届く。その時は、きっと誰もが職場で語れるようになる。仲間たちに伝われば、実践に生かせる。

 

資料

1.田中は、1979年までに次の発達の事実を発見している。

 

(ⅰ)階層は主導的な交通の手段で区切られる。

 

各第1段階の可逆操作が成立するところでは、新しい交通の手段が主導的な交流の手段としての位置をしめる。」(「科学」P157)

 

(ⅱ)新しい交通の手段の萌芽は5才半に発生する。

 

第3段階の形成期にはいったときに、次の新しい交通の手段としての機能が萌芽しはじめる。」(「科学」P159)

 

(ⅲ)飛躍と移行では矛盾の質が違う。次のような違いである。(図は筆者)

 

「ひとつは、前階層第3段階の・・可逆操作関係と、第1段階の・・・可逆操作力との矛盾としての側面である。」(「科学」P181)

               図1

  A

 

いま一つの側面は、自然諸力の中に新しい質の可逆操作変数をひとつもった可逆操作力が新形成物として誕生しても、なおその水準で自己運動する新しい質の可逆操作関係は未成立であることに由来する。」(「科学」P181) 

                図2

  B

 

 次元→変換への発展を例にとると次のようになる。

                図3            

2.田中が矛盾AとBを区別した理由は、前述の(ⅰ)、階層は主導的な交通の手段で区切られるという発見があったからである。だから、Bとは違うと考えた。しかし、田中の発見は、厳密には次のような発見であった。

各第1段階の可逆操作が成立するところでは、(前段階でうまれた)新しい交通の手段が主導的な交流の手段としての位置をしめる。」(「科学」P157) 

( )内が抜けたのは、能力である交通の手段の発達を「外部(関係)の矛盾」で説明したことによって必然となる結果だった。なぜ、必然だったのか。

 

①すべては、「可逆操作力」と「可逆操作関係」の矛盾を「内部矛盾」としたことから始まる。 

      

 ② ①によって能力である交通の手段の発達を「関係」(間柄)の所へいれることになる。

 ③「関係」は構築される(生まれる)と、すぐにそこから主導的な関係になるが、ことばや書き言葉などの交通の手段は「関係」(間柄)ではなく能力なので、その力が主導的な役割を果たす時期と、その力が誕生する時期は区別される。

 ④ ①②によって、③の区別が困難になるのはやむを得ないことであり、結果としてその階層において主導的な交通の手段は、実際は新階層の第1段階ではなく、前の階層の第3の段階で生まれているのに、階層は新しい交通の手段で区切られることになった。そして、新しい交通の手段の「萌芽」は、第2段階の後半に発生することを発見していたことから、新しい交通の手段の「萌芽」、すなわち第2段階の後半に発生する原動力によって階層への飛躍を実現すると考えたのではないだろうか。

 

 ①の誤認を修正し、ことばや書き言葉は能力であるからこれらの発達を「内部矛盾」として説明すれば解決できることであり、田中が下記(経過)のⅢのように説明を修正したのは当然のことだったと思われる。但し、矛盾の重層構造については、本文指摘のとおり。

 

  「新しい発達の原動力」の説明の経過(まとめ)

資料2

 

▲読んでいただいた皆さんへ

 今回は、田中昌人の「新しい発達の原動力」について、わかりにくさの原因は著者にあるという前提にたって、書籍、論文の一部を検討しました。なぜ、理解することがこんなにも難しいのか、今回の検討で自分なりにはようやく納得できました。私のほうの誤解、まちがいがあった時(誤字・脱字含む)は、その都度修正削除の予定です。ご指摘をいただけると有り難いです。