発達保障をめざす理論と実践応援プロジェクト

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階層と段階の視点④ 中世・近世日本の若者教育に学ぶ2次変換可逆操作~「基本操作」と「媒介」及び「産物」

                           2次変換可逆操作

    「基本操作」と「媒介」及び「産物」

 

                                                                                   山田優一郎(人間発達研究所会員)

 

 日本において中学校のはじまり(旧高等小学校)は、実に1907年1)から今も、100年をこえてなお12歳、13歳です。人々が100年をこえてなお12歳、13歳を中学校の始まりとし続けてきたのには、その区切り方で教育することが合理的だった、つまり、子どもの発達とズレがなかったからにほかなりません。

1)「学制120年史」(文部科学省)。長い歴史と伝統を誇るイギリスのパブリックスクールも、13才入学である。(「ブルタニカ国際大百科辞典」)

 

 一方、世界の研究者たちは、1905年、ビネーの知能検査以来人間の子は、何才の時にどんなことができるのかという研究を永遠と続けてきました。現在、100年を越える歴史の検証をへて、何度も何人の子に検査しても結果がかわらなかった項目だけが生き残っています。

 上記研究において、世界の研究者たちは、12歳頃から、子どもの思考がかわることを発見しています。もちろん、変わり目がはっきりわかる目印を検査項目としても残しているのです。「新版K式発達検査法」2)で12歳頃の思考の変わり目がわかる項目として残っているのは、次の検査です。

 

「へび、牛、スズメはどうにていますか」

 まず、へびと牛はどれどれがにている・・なぜならと考えます。そして、さらに、この年令からは、「なぜ」を繰り返して答えを導くことができるのです。次に牛とスズメは何がにている、なぜならばと考えます。そこから導き出されるものは、三つに共通する「動物」やら「生物」という、より抽象的な概念です。12才頃から、「次になぜなら」、「次は、なぜなら」と、「なぜ」を繰り返して、理由や根拠を「深堀り」3)することができるのです。

 そのため、中学校からの学習は、論理的思考の深掘り期にふさわしい内容になっています。1と2をXとします。なぜなら同じ数字だからです。次に2と3もXとしましょう。なぜなら、3も同じ数字だからです。次にいっそのこと数字はみんなXとすることにします。こうして、抽象的な概念Xを理解し、Xを求める方程式の勉強が始まります。方程式の学習でも「なぜなら・・」を繰り返します。  

    X+7=4

 1.左辺の7をとるために7を引く X+7-7 「なぜなら」(Xだけ残すため)

 2.右辺からも7を引く X+7-7=4-7

                    「なぜなら」(左辺と右辺は等式だから)

 3.計算をする。  「なぜなら」(Xを明らかにする必要があるから)

 4.解を出す      X=-3

 

 つまり、「なぜなら」を繰り返し、理由や根拠を「深堀り」していって、最後に解に辿りつくのです。「なぜなら」を繰り返す思考は、1、2、3、4、と時間ごとに変化する対象に対し、根拠のある段取りでアプローチすることにほかなりません。

2)監修島津峯眞編集者代表生澤雅夫(2003)「新版K式発達検査法」~発達検査の考え方と使い方~.ナカニシヤ

3)東大ケーススタディ研究会偏白木湊著(2022)「伝説の『論理思考』講座」.東洋経済新聞社

 

 これでわかりますよね。100年も前から、人々が12、13才を学校制度の区切りとしてきたのには理由があって、その時期から、すでに抽象化されている概念をより抽象化された概念(「二重に抽象化された概念」)に変換する思考が可能となる年令だったのです。

 

 では、中学校(旧高等小学校)がなかった時代、あるいはあっても中学校へ進まなかった子どもたちは、どのようにして二重に抽象化された概念を獲得したのでしょうか。

 前述(本ブログ階層と段階の視点③)のように日本の中世から昭和まで続いた丁稚制度では、12・13才頃から商業労働が加わります。商売は今までの仕事と難しさの質がちがいます。 

「相手もいっしょ」「やることもいっしょ」の仕事とは異なり相手は千差万別、商品も値段も変幻自在です。大人の仕事は農業にしろ漁業にしろ、いくつもの変化する対象を相手に「ひと儲け」します。儲けるのも損するのも自分の「段取り」次第なのですが、それに伴う複雑さがあります。すなわち、いくつもの「なぜなら」が必要になるのです。丁稚が商売する時は、次のようになります。

1.「相手が欲しがっている品は~である。なぜなら・・・だからである」

2.「その品は、いつまでに準備しなければならない。なぜなら・・・だからである」

3.「儲けになる売値を調べておかなければならない。なぜなら・・・だからである」

4.「いつ伺ったらいいのか、知っておく必要がある。なぜなら・・・だからである」

5.「値引きしてもいいのか、出発までに聞いておく必要がある。なぜなら・・・だからである」

6. 「品物の説明でわからないところは、調べておかなければならない、なぜなら・・だからである」

 そして、優先順位をつけ、段取りよく行動してはじめて儲けることができるのです。こうした行動の中で少年たちは「売値」「値引き」という概念を理解し「商売」という概念も掴みます。なので、田中(1967)4)は変換の階層を「新しい行動を創造するかを問題にする」時期としました。商人たちは、丁稚が12・13才になるのをまって、子守や掃除から、「なぜなら」を何度も繰り返して、いくつもの根拠のある段取りが必要な商売に参加させていたのです。丁稚を一人前に育てる商人たちの見事な知恵だったといえます。そして、前述のように現代社会は、丁稚制度における商行為への参加とちがって、大人社会へ参加するための基礎的な知識(中3まで)を国(文部科学省)が示し、義務教育としているのです。

4)田中昌人、田中杉江、長嶋瑞穂(1967)「障害児研究の基底」(「児童心理学の進歩」金子書房)

 

 

「2次変換可逆操作」とはどのようなものか。

 以上のことから、12・13歳頃からの可逆操作は、次のようにまとめることができます。

 ①は②⇔③の間で可逆し、拡大再生産されて発達を遂げていきます。

 

 さて、「なぜ」を繰り返して理解できる抽象的概念というのは、物事の本質の集まりです。わたしたちの社会は、中学校3年までに物事の本質を学ぶ学習によって、進学しようと就職しようと、もう一生普通に生きていくのには不自由しない仕組みになっているのです。そして、物事の本質がわかるということは、自分自身のことも「深堀り」できるようになるということです。同じ思考で他者理解も進みます。ヴィゴツキ-(2017)5)は、「自分自身の内面過程を自覚し、反省が可能になり・・・はるかに深く広い他者理解をもたら(す)」としました。

 

 自分のことがわかるようになり、同時に「はるかに深い他者理解」が進むことによって、「ギャングエージの友人たちとは異なって、親友、本当の友人を求める」(ブロス2010)6)ようになります。

 また、同じ理由でまだ自分にはできないことを難なくやってみせる「あこがれの大人」「あこがれの先輩」も出てきます。あこがれの大人や先輩のようにしたいけど、まだ、それができない不甲斐ない自分にも気付きます。しかし、いつか、自分もその人たちのようになりたいのです。こうして、自立・自律への基礎が築かれます。

5)中村和夫(2017)「ヴィゴツキ-心理学」新読書社

6)山本晃(2010)「青年期のこころの発達~ブロスの青年期論とその展開」.星和書店

 

 以下は、丁稚だった松下幸之助少年の記録です。

 

「幸之助には、早くやってみたいことがありました。これまで店主や番頭さんが、自転車を売るのをさんざん見てきたのですが、そろそろ自分の力で自転車を売ってみたい。そんな日が早く来ないかと心待ちにしていたのです。」

 松下少年についにその日がきました。

 「健気な少年の売り込みが終わると、鉄川の主人は幸之助の頭をなでて、

『良し買ってやろう』

 幸之助はうれしくて胸がおどりました。」

  幸之助少年、満13才の日のできごとでした。

 

 さらに、自分と他者の関係ついてより深く理解できる思考は、親との関係にも変化をもたらします。いつまでも親に異存はできない存在である自分に気付き、「親からの分離を始め、『反抗』が本格的になってくるのですが、反抗は『独立』の現れ」(ピーター・ブロス2010)です。

 

 中学校で用意されている部活動や生徒会などの教科外活動は、自主的、自由な探求によって、教科で得た知識を広げ、技術を磨き、関心を広げ、また、自律的に生活問題を解決していく場です。まさに、部活動や生徒会が「独立」への第一歩として、大きな意義をもってくる時期だといえます。先人たちがつみ重ねてきた「普通教育」の枠組みは実によくできています。しかし、これらの活動も「自主的」「自由」「自律的」でなければ、つまり、子どもが指示に従うだけの活動になると「独立」に向って、大人のようにふるまいたい子どもたちの願いに応えることはできません。

 

 あき君(仮名)は、入学時、言語:社会12.6才。「2次変換操作期」。軽い知的障害、学力不振のため入れる高校がないという理由で当時の養護学校高等部に入学してきました。次の作文はあき君が高等部1年の時のものです。発達は、障害児も基本的に同じ道すじで歩みます。なので、障害を持っていても「2次変換可逆操作」期は、自分のことがわかり、そして「深く広い他者理解をもたらす」(ヴィゴツキ-2017)時期です。

          

          作文 「1年をふりかえって」    

                  高等部1年      上西あき男

 

「僕は、高校なんか行きたくないと思っていました。そして、入学式に行っていろんな友達がいた。僕は、4月から5月29日までは、遅刻ばかりしていました。先生が家にむかえに来てくださったこともありました。そして、親元を離れ5月29日に学園に入所しました。入ってからは友だちとあんまり遊べないけどでも生活リズムも変わり最初は、短気だったけど落ち着いてきました。学校では生徒会にはいりダンスなどみんなに教えたりしました。僕はダンスをするのもすきだし教えるのもすきで最初は、体育大会の時に踊ってって言われた時はすごくうれしかったです。いろんな行事で踊って思ったことは自分が作ったダンスをみんなが踊ってくれるのがうれしかったです。僕は最近思ったことは友達にいろいろな特技があるなぁと思いました。本当はしたいのに心の中でしまっている人がいっぱいいると思います。最後になったけど僕はこの学校に入学して良かったです。」

 

 さて、さて、長い道のりでしたが、これで宇宙語だった「変換可逆操作」の意味がわかりましたよね。

 

現代の子どもたちと「2次変換可逆操作」

 故事に「啐啄(そつたく)の機」ということばがあります。それは、次のような意味です。

 

「啐(そつ)は、鶏卵がふ化しようとするとき、子鶏が殻の中から鳴くこと、啄(たく)は、母鶏が外から殻を口ばしでつつくこと」(故事成語名言大辞典.大修館書店)

 

 ヒナ鳥が殻を破ってまさに生まれ出ようとする時、それに合わせて親鳥が外から殻をつつき、殻が破れて中から雛鳥がでやすいようにするのです。発達を質で把握することができた今、私たちは、大人へとふ化しようとしている子どもたちの啐(そつ)に応える環境を用意しなければなりません。

 

1.時空間の主人公になれる舞台を

 12・3才の子どもたちは、まだ、長いスパン、広い空間を見わたして物事を処理することはできません。丁稚制度において、商業活動に参加する年齢には、いくつもの「なぜならば・・」と考える段取りが必要でしたが、まだ手代の仕事はできません。また、薩摩の郷中(ごじゅう)教育においても日本国の未来について考えるのは二才(ニセ)になってからでした。しかし、長稚児(おさちご)になれば、とりあえず、明日明後日、郷中(ごじゅう)の小稚児たちに何を教えるかのかの段取りは必要でした。(後述)

 同じように現在でも子どもたちの前にはとりあえず、明日の勉強の予習から、少し先の中間試験、期末試験、体育大会、~発表会、生徒会の行事、部活動、また家庭によっては家事労働など短いスパンでごく身近な課題がどの子にも存在しています。

 どの時代であれ、やるべきことは、目前に混沌として存在している状態です。期日までにやり遂げるためには、優先順位をつけて「段取り」よく行動しなければなりません。まさに短いスパンでケリがつく、身近な空間における「時空間操作」です。

 2次変換可逆操作期に身近な日々の暮らしの中に組み込まれている時空間操作の舞台を与えられた子どもたちは、とりあえずすでに獲得している既知の知識や技術を使いこなし、目標達成に向って行動します。大人のように、「なぜならば・・・こうだ」「なぜなちば・・こっちが先」と「なぜならば」をくり返して自分の「段取り」「行動」するのです。「2次変換」期におけるこの経験こそ、「3次変換」へ向う起点だといえます。なぜなら、マニアル(既知の概念「普遍」)の中に時として「特殊」ともいえる状況の変化がおこることを知ることになるからです。目的を達成するためには、状況の変化に対して割りにあう判断と行動が求められます。こうして、彼らは、マニアル(「普遍」)の中にあるもうひとつの普遍「特殊」(状況変化の共通項)があることを学習していきます。したがって、12、3才の節を越えた子どもたちは、どの子も大人のようにプレイヤ-になれる舞台が必要です。大人のように時空間の主役となって、自分の力を自分の「段取り」で発揮できる場所です。プレイヤ-でなければ自分のやり方で実行することができません。行動をともなわない限り、つまり傍観者でいる限り、また、指示されて従うだけの存在である限り、概念は自分の外にあって、「自らの内面にとりこんでいく」(田中1990)7)機会を失います。このように12・3才の子どもたちの身近に存在するいくつもの「段取り」で外の世界への働きかけるやり方(様式)こそ、次の段階における「広々とした歴史的スパンの中で『今』をみる」(内田2020)8)思考への準備だと思われます。

7)(可逆操作は)「外界の世界をとり入れ、新しい活動をつくりだし、それを自らの内面にとりこんでいく際の基本操作」(田中1990)人間発達研究所通信(6)31.15

8)内田樹(2020・2・29付)「今さえよければそれでいい」社会がサル化するのは人類が「退化フエ-ズ」に入った兆候.文春オンライン

 

 今も昔も、中学生になった生徒たちは、大人のようにふるまえる舞台を求めています。勉強、生徒会、部活動、などすべてが「なぜなら」を繰り返して、理由や根拠を深堀りできる思考によって、段取り力を発揮する格好の舞台です。

 学校での活動だけでなく、家事、地域でのボランティア、生き物の世話など、関心や得意を生かし、どこかで大人のように自分の段取り力が発揮できる場所をつくっていきましょう。

 もう、自分の段取りがあるのに他人から段取りを押しつけられることは、彼らには、とてつもなく嫌なことです。もう、子どもではないから、自分の未来を自分で考えている途中に、他人から、自分の未来が押しつけられることも、とっても嫌なことです。

 障害児教育においても、世話されるだけの生活から脱し、自分の段取りで何々ができる活動、プレイヤーになれる場所をどこかにつくっていくことが大切です。

 

資料 ケーキの切れない少年たち

 宮口(2019)9)は、少年院で出会った子どもたちの発言を次のように記録しています。

 

「勉強でいらいらしてしまう。高校に行けと親から言われて塾に通ったけど、全くついていけず、生活もめちゃめちゃになった。・・・それでイライラして悪いことをやった。もし、特別に支援を受けていたら、ストレスがたまらなかったと思う」(16才の少年)

 次のようにも記録しています。

「私の勤務していた医療少年院では、ほぼ例外なく彼らは小学校や中学校でいじめ被害にあっていました。」

  

 このように三等分に「ケ-キの切れない少年たち」は、不幸にして勉強でも部活でも、家庭でもプレイヤ-になれる機会が少なかった子どもたちだったといえます。なぜなら、概念の時空間操作の育ちを前述のように考えた時、プレイヤ-になる経験の少ない少年たちは、既知の知識を時間軸を延長して考えることが苦手だったことが予想されるからです。

 たとえば、クリスマスにケ-キを「食べていいよ」といわれたら、全部食べるか、せいぜい今、同じ空間にいる弟とわけて食べることしか思いつかなったのではないでしょうか。また、クリスマスには、「みんなでそろってケーキを食べる」という概念(知識)は、知っていてもその知識を「自らの内面にとりこんでいく」(田中1990)10)ことができていなかったのかもしれません。

 両者があいまって「『今ここ以外の時間を生きていくおのれ』にありありとしたリアリティを感じること」(内田2010)10)ができなかった子どもたちだったといえます。したがって、「ケ-キの切れない少年たち」も少年院を出て仕事と暮らしでプレイヤーになれた時、見事に更生していきます。彼等は、罰ではなく自分の「段取り」で外の世界へ働きかかける経験、すなわち、時空間の主人公になれる舞台こそ必要だと思われます。

 9)宮内幸治(2020)「ケーキの切れない非行少年たち」新潮社

10)前掲7)

11)内田樹(2020・2・28第一刷発行)「サル化する世界」.文藝春秋

 

2.教科学習~「可逆操作」の解体リスク

さて、前述のように「2次元可逆操作」期は、

①「なぜ」を繰り返して、理由や根拠を深堀りできる思考で ②変化する対象に対し、自分の段取りで働きかける活動によって③二重に抽象化された概念を獲得していく時期でした。 

 「階層-段階理論」において①②③は一体です。実際のところ、概念を①②③一体で獲得しておかないと、生きて働く力にはなりません。生きて働く力にならないということは、②⇔③が可逆し、新しい概念が外に働きかける力を拡大し、拡大した力がさらに概念形成をすすめるという拡大再生産のサイクルにならないということです。早い話しが、結論(答え)だけ教えられて、覚えろといわれても、たとえいわれたとおり覚えたとしても、これではことば(概念)を自分のものとして使うことも、概念が存在する壺を知ることもできないのです。結果、どういうことになるのか。

 中内敏夫(1983)12)の「学力とは何か」、ファイナルアンサーです。

「カゼをひけばカゼグスリとよばれているものを飲めば良いという学力は、うそではないのだから、ひとつひとつとってみれはこれで結構現実的な能力して有効に働くだろう。しかし、それは現実認識の能力としては、深いものとはいえない。その学力の浅さとそこからくる弱点は、その認識対象としている現実の状況が激変する転換期にはっきりあらわれてくる。なぜそうすればよいのかという「理」(「なぜなら・・」筆者注)の部分を含まないやり方や身のこなし方の学力には、一歩先の未来を予測する能力も、一歩前の過去を記憶する能力もない。だから次に現れてくる環境に適応することができない」

 要は、「階層-段階理論」でいう「可逆操作」(①②③)を解体する教育は、子どもたちにかなりのリスクを負わせることになるのです。全国学力テストの結果を学校ごとに公表し競争させている自治体があります。すると学校はテストに備えて答えだけ覚えさせる教育になりがちです。

 まさに「理」の部分を含まない教育がはびこる危険があるのです。発達のシステム、教育の原則を無視した政治家が、人気を得るために教育に介入することは、子どもたちの未来に対する犯罪だといわなければなりません。「なぜ」と考え、「なぜなら・・」と根拠が説明できる学力を身につけてこそ、子どもたちは自己発達をとげることができるのです。

     教育基本法

  • 第十六条 教育は、不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきものであり、教育行政は、国と地方公共団体との適切な役割分担及び相互の協力の下、公正かつ適正に行われなければならない。

  12)中内敏夫(1983)「学力とは何か」岩波新書

 

3.14才は、「教えたがり」~薩摩の郷中(ごじゅう)教育

 「大人ではない自分」、しかし、「もう、子どもではない自分」は、子どもどうしの関係でも変化を与えます。「もう、子どもではない自分」にとって、自分より小さい子は、自分の「段取り」で大人のように「教える」ことができる関係になるからです。まさに、「教える」ことは、自分の「段取り」でできる活動の究極です。すでに自分が知っている知識や技術を、いつ、誰に、どんな方法で「教えるか」、すべて自分の「段取り」次第、自由自在に既知の知識や技術を操れるのです。

  江戸時代、「2次変換期可逆操作」期の少年たちが「教える」力を見事に発揮していた若者組織が薩摩にありました。

 「一.愛敬を旨とし、幼者を丁寧に教諭すべき事」13)

 これは、現在も資料が残っている薩摩出水地方の郷中(ごじゅう)教育組織の会則です。「教諭」は、今でもプロの教師の役職名ですから驚きです。

 

13)神田嘉延(2009)「薩摩の郷中教育の基本的視点」鹿児島大学稲盛アカデミ-研究紀要第1巻

 

 郷中教育14)は、次のように説明されています。

「江戸時代の薩摩藩には、地域に住んでいる武士の子どもたちが互いに結び合い、身心の鍛練と学習に励み、地域の年長者が指導者となって年下の者を教育するという青少年教育のしくみがありました。」

  郷中(ごじゅう)とは、武士が居住する一定の地域のことです。郷中(ごじゅう)では、6・7才から稚児(ちご)とよばれる集団に入ります。稚児(ちご)集団には、小稚児(こちご)長稚児(おさちご)というふたつのグル-プがあり、後者に前者を教育する役割を与えました。年令構成は、以下のとおりです。

         

   稚児(ちご)ーーー小稚児(こちご)6才~10才

            長稚児(おさちご)11才~15才

 

 稚児(こちご)たちは、午前8時前(五ツ)に郷中(ごじゅう)の決められた場所に集合します。そこで稚児頭(長稚児)の指導で身体の鍛練をします。午前10時(四ツ)になると、長稚児がいる座元(ざもと)行き、朝食前に独習したことを復習したり、「いろは歌」「歴代歌」「虎狩物語」などを読みます。午前中に体育と国語(朗読)の学習です。そして、指導にあたるのは長稚児の年長(頭)、今の中2・3年生、満14才頃の少年たちなのです。

 郷中では、15~16才になると元服して二才(ニセ)になります。二才(ニセ)は、青年の意味です。なので「よかニセ」は今でいう「イケメン」のことです。15~16才で元服して若者集団に加わり、大人社会の一翼を担います。丁稚の手代と同じ年令です。二才(ニセ)は、地域(郷中)から長稚児を指導する役割を与えられます。

「まず、稚児に向って問題がだされます。そのとき、稚児がうまく答えられなければ二才(ニセ)が指導し、二才(ニセ)の指導が適切でなければ、長老が訂正します。」

 つまり、「2次変換可逆操作」期の少年たちは、学んできた知識や技術を小稚児たちに教え、わからないことは、二才(ニセ)の指導を仰ぎなら学んでいたのです。教えながら学び、学びなから教える、何か今の中学校の生徒会活動や部活動の先輩と後輩の関係に似ています。薩摩ではこの方法で読み書き算盤、武術を学び、教えていたのです。

 西郷隆盛大久保利通など明治の偉人たちは、長稚児の年長(頭)、満14才になったら下の子を教える活動によって、学んでいたことになります。現代の子どもたちにも、自分の「段取り」でできる活動の究極、「教える」活動がどこかで経験できる環境を整えていきましょう。

 14)郷中教育については「江戸時代人づくり風土記46鹿児島」(1999)農文協

 

4.人格の教育

 小川(1975)15)は、教育には「人格の教育」と「学力の教育」の二側面があるとしています。「2次変換可操作」期にできてくる「自分自身の内面過程を自覚し、反省が可能になり・・・はるかに深く広い他者理解」(ヴィゴツキ-2017)の力は、「他人のために自分はどうすればいいか」「自分はよいと考えているが、他人からみればよくないのではないか」(ブロス2010)などの問いかけを可能とします。

 学校では、教科外の日常的な問題の解決をはかることにおいて、また、教科における文化遺産を体系的に伝える「まさにそのことにおいて」(小川1975)、人間として正しい生き方を学びます。人としての自問が可能となる2次変換期は、「人格の教育」 の適期だといえます。私たちは、啄(たく)となる教育環境を整えなければなりません。

15)小川太郎(1975)「教育と陶冶の理論」.明治図書