発達保障をめざす理論と実践応援プロジェクト

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階層と段階の視点⑦ 3次元可逆操作の「基本操作」と「媒介」及び「産物」

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            3次元可逆操作

      「基本操作」と「媒介」及び「産物」

                     山田優一郎(人間発達研究所会員)

 

 次元のの階層(幼児期)は、1次元→2次元→3次元と認識できる世界をひろげていく階層でした。「大きい・小さい」から始まったふたつの世界は、4才の節を越えて眼前の世界ともうひとつ世界、見えない世界(想像世界)を認識できるようになります。  

 

 ふたつ(「対」)の世界のあとに待っているのは、「対」の間をうめる認識の広がりです。私たちの住む現実社会は「対」の間にすべて中間が存在し、いわばグラデ-ションなのです。グラデ-ションは、並びつながる系列社会です。ここへきてはじめて本当は並びつながっている現実社会(3次元)を認識できるようになります。物とことば(一語文)がヨコ線で結びつく1次元、タテ(想像)が加わり面となり2次元、そして3次元では奥行きが加わり、私たちが住んでいるリアルな現実世界へと認識をひろげていきます。私たちが住んでいる現実世界には、時間が流れており、時の流れを意識して生活できるようになります。   

 ~と~を準備して学校へ、1時間目は~、2時間目は~。「昨日」の宿題、「明日」の遠足もわかります。そして、今まで無意識に数えてきた「イチ、ニ、サン、シ」の中間を取り出し、「1」「2」「3」「4」と記号にします。さらに2+3=5と中間を「自覚的で随意的」(ヴィゴツキ-)1)に操作するのです。随意的にというのは、思いのまま操作できるということです。今まで無意識におしゃべりしてきたことば「えんぴつ」(音節)の中間を意識しながら「え・ん・ぴ・つ」と書くこともできます。つまりは、学校生活と教科学習の始まりの時期です。

 以後、ならびつながる系列、その中間を操作して獲得される文字や数字などの記号、すなわち、「書きことば」を駆使してリアルな現実世界を認識していきます。

 

 その仕組みは次のとおりです。

 

 「頭の中で書きたいことの展開は、まさに内言によって行われる」(ヴィゴツキ-2017)

 内言とは何か。「心の中の発話のことであり、意味処理の機能」をもち、「内言は広範な意味連想」(「発達心理学事典」ミネルヴァ書房)を起こします。

 つまり、書く時には、意味を考えるのです。人間は「書いて考える。書くことによって考える」2)作業をします。

 

「書きことばは、書く前にあるいは書いている過程であらかじめ頭の中に書きたいことがあれこれと浮かんでいることを前提にしている」(ヴィゴツキ-2017)

 まずは、書く前に「みかん」ということば全体を頭に思い浮かべます。その次に「み・か・ん」とことばの部分を書いていきます。自分との対話なので、思い浮かべる段階で「みかん」の意味を意識します。「みかん」と書きたいのに「りんご」を思い浮かべる人はいません。同じ丸いものでも、「りんご」でもなく「たまご」でもない「みかん」の意味、つまり、すっぱい味を思い浮べしながら「み・か・ん」と書くのです。

 したがって、書き言葉の学習過程は、普段何げなく聞いていることば、何げなくみているものごとの意味、いわば中味考えていく連続だといえます。

 結果、書きことばの学習は、今まで無意識に見たり聞いたりしていた現実社会(3次元世界)への認識をひろげていくことになります。

 

 このように書きことばは、「あらかじめ全体を想像して、部分の~をする」力を前提にしています。けっきょく、読み書きの修得は、2次元可逆操作期における「森(全体)を見て、木(部分)も見る」力がないとできない相談なのです。この視点からも、江戸時代の寺小屋は、見事な眼力でした。

 

まとめ

 6・7才からは次の力によって、3次元「現実世界」をよりリアルに認識していきます。。

1.ことばの意識化

 「みかん」ということばの中間を「み・か・ん」と一文字ずつに分解してかきます。「りんご」も同じように一文字ずつ「り・ん・ご」とかきます。その時、日頃何げなく見たり、聞いたりしていた「りんご」と「みかん」の意味を考えます。なぜなら、「話しことばでは無意識に行っていることを・・・書き言葉では意識的」(ヴィゴツキ-2017)に行う必要があるからです。

2.数の見える化

 数字は、日頃何げなく「イチ」「ニ」「サン」「シ」と唱えていたことばを見える化します。そして、「イチ」と「ゴ」の間の中間を、2+3 4-1と計算します。すなわち、系列の中間を理解し、操れるようになるのです。

3.時間の見える化

「ろくじにおきる」「しちじのニュ-ス」「はちじにはおふろ」。毎日何げなく、流れている時間を文字(数字)は見える化します。「1じかんめ こくご 」という字が読めたら「1じかんめ」は、流れずに、ずっとそこにあっていつでも確かめることができます。  

 このように文字は、「時間を可視化」3)(内田2020)します。なので、子どもたちは、文字の獲得によって時間を頭の中で操れるようになります。

 

 以上のことから、6・7才からの可逆操作は次のように考えることができます。

 ①系列・中間、時間を認識できる力で②書きことばを学習することによって②3次元、現実世界への認識を深めていきます。そして、①が②と③の間で可逆し、②の学習によって③が深まり、③の深まりによって、さらに②の学習範囲をひろげます。

 

1)中村和夫(2017)「ヴィゴツキ-心理学」新読書社.P37

2)大江健三郎(2007)「『話して考える』と『書いて考える』」集英社文庫

3)内田樹(2020)「サル化する世界」文藝春秋

 

資料

(ブログ階層と段階の視点③「1次変換」から再掲)  

 

 旧ソ連において社会主義革命が進みつつあった時代、ウズベキスタンにおいては、イスラム教の伝統的因習の下でその大部分は読み書きができませんでした。しかし、革命後、経済的・文化的な向上がもたらされる。結果、この地域においては

①読み書きができず新しい社会生活の形態にも参加していないグループ゜

②短期の講習を受けて多少の読み書きができる程度のグループ

③職業技術学校において、2~3年の教育を受け読み書きができるつグループ

が併存する状態になりました。

 ヴィゴツキ-の発案・計画によって、この地域の調査にあたったのはルーリアでした。1)ルーリアは、これらの住民を被験者にして、知覚・抽象的概念・推論・自己意識などについて実験的調査を行いました。

   結論は、以下のとおりです。

  ①の読み書きができないグループの思考の特徴として「抽象的な一般化された論理的思考ができないこと」

  ③のグループは、逆の結論になり②のグループには両者が混在していました。

 

 つまり、読み書きができないと「なぜならば・・・」と考える論理的思考ができないという調査結果になっています。

 

1)中村和夫(2017)「ヴィゴツキ-心理学」新読書社 

 

資料

 (ブログ「田中昌人著『人間発達の科学』における矛盾について補足」から再掲)

 

 前段階の古い交流(交通)の手段は、「桎梏」(しっこく)になるのか

 

 「階層-段階理論」では、次のように説明する。

 

「子どもが以前に獲得したその(前段階の古い)『交通の手段』を用いるだけでは、自分自身の力をのばしていくことはできない。その意味で『桎梏』となる」

 

 桎梏(しっこく)とは、「自由な行動を妨げるもの.束縛」(「現代国語辞典」.三省堂)のことである。たとえば、書き言葉(文字など)獲得期において「(前段階の古い)交通の手段」、ことばは「桎梏」になるという。

 さて、そのような現実はあるのだろうか。

 世界の多くの国々で義務教育の始まりは6・7才である。世界の各地で書き言葉は、教育によってこの時期に獲得される。

 

 小学校1年生の授業風景はどうだろう。小学校2年生の授業風景はどうだろうか。先生と児童のことばのやりとりは、書き言葉獲得の「桎梏」になるのだろうか。現実をみれば、書き言葉の獲得にとって、ことばは、「桎梏」どころか必要不可欠なものだということがすぐわかる。

 以下は、群馬県教育委員会が提供している小1、「ひらがなをかこう」2時間目の授業紹介である。1)

 

「きょうは、ひらがなを書こう、ということで勉強していきたいと思います。」

 

 「ぜんかいは、あ、い、う、え、お の読み方について勉強しましたね。

 そして、鉛筆のもち方、姿勢、そしていろいろな線を書きました。きょうは、いよいよひらがなをかきます。」

 

「今日勉強したいひらがなは、(文字を示して)、て、く、つ、の三文字です。

それでは、さっそく書いてみましょう。」

 

(黒板を指さして)「このような四つの四角があることに気づきますね。このことを1の部屋2の部屋、3の部屋4の部屋というような言い方をします。それではさっそく て の字を書いてみたいと思います。て の字は1の部屋からスタートします。1の部屋から右上にあがるように書き、中心の線のところをとおり、最後、こうして とめます。」

 

「みなさん、書いてみましょう。」

 

書けるのを待ってから)

「どうですか?(まちがいの手本を書いて)このような て の字を書いている人はいませんか?」

 

 ここで、「先生、これでいいですか?」と自分のノートを見せる子がいるかもしれない。字を書き始めたばかりの子どもたちは、ボクもボクもと次々、先生にみてもらいたがる。まちがいを指摘されたいからではなく、誉めてもらいたいからである。

 

 もう、これで、書き言葉の獲得には、ことばを理解し、ことばを発することが必要不可欠だということがわかる。おそらく、寺子屋の「手習い」から学校教育の「授業」まで、昔も今も書き言葉の獲得期にことばのやりとりなしでは、文字の学習は進まなかったのではないだろうか。

 

 大人のように読み書きができるようになりたいというのは、子どもの内からわきおこる自然の摂理である。ところがその時、「ことばを用いるだけでは、自分自身の力を伸ばしていくことはできない」と感じる子どもはいるのだろうか。逆である。みてきたように子どもたちは、まだことばを必要としている。

 

 「自然は弁証法の試金石である。」(エンゲルス2)

 

 この局面におけることば「桎梏」論は、子どもたちの現実(自然)を反映していない。以下、なぜ、こんな結果になったのかをみていく。

           

           「内」「外」矛盾の対比図

 田中は図右「外部(関係)の矛盾」も「内部矛盾」(「科学」P181)とした。それには、時代的な背景があってのことであった。3)

 結果、図の「間柄」4)のところに能力である「ことばの段階」をいれることになる。これで、書きことばの段階への発展が説明できるからである。

 すると、どうなるか。

①対立物は、日々進歩する能力と日々進歩する能力になり、矛盾はおこらない。したがって、発達はしないことになる。

②図右で示しているように「外部(関係)の矛盾」における矛盾の拡大は、可逆操作力と可逆操作関係の矛盾の拡大である。そして、「間柄」のところにいれたことばの活動は、固定する傾向をもつことになる。そうでないと日々進歩する「力」との矛盾が生じないからである。つまり、ことばの量的拡大はすすまないことによってのみ、「力」との矛盾が拡大する。

③さらに桎梏の対象になるのは、2次元可逆操作期における人と人との関係であり能力ではない。発達における能力は、一度獲得したら不可逆的に獲得される。弁証法では、図右で示されているように大切に育ってきた能力は、桎梏の対象にならない仕組みになっている。桎梏になるのは、関係(間柄)である。

④上の図でわかるように笑顔、喃語、ことばなど交流の手段は、日々進歩していく能力であり、「間柄」のところにいれることはできない。それはなぜか。能力は、「ものごとを成し遂げることのできる力」5)であり、立場の違いとして示される関係(間柄)ではないからである。「おはしをもてる間柄」「歩ける間柄」「ことばを話せる間柄」などという日本語は存在しない。なぜなら、おはしを使えるのも、歩けるのも、ことばが話せるのも「ものごとを成し遂げることのできる力」(=能力)だからである。

⑤同じ理由で書き言葉も、世界の子どもたちが同じ年令期に獲得する能力であり、字がかける関係(間柄)ではない。「書き言葉の段階」として表現される能力である。

 

 自然を試金石とする弁証法の核心部分のまちがいは、子どもの現実(自然)と大きくかけ離れた結果を導く。その結果が、ことば=「桎梏」だったといえる。6)

 

おわりに

 みてきたように関係(「間柄」)のところに「能力」をいれざるを得なかったのは、「内」と「外」の誤認からくる必然的なものだった。そして、それは時代的な背景があってのことだった。

 きっと、「階層-段階理論」は、田中が生きた時代の時代的制約を乗り越えることができる。ことばから書き言葉への移行も、田中自身が「科学」第1章で説明してきたもうひとつの「必須矛盾」(図左)7)によって説明可能だと思われるからである。

 

1)YouTube授業「ひらがなをかこう(2)」国語/小1 群馬県

2)エンゲルス著、寺沢恒信訳(1970)「空想から科学へ」.大月書店

3)本ブログ

4)「関係」は=「間柄」と同義である。(「現代国語辞典」.三省堂

5)前掲4)

6)但し、田中自身は少なくとも下記論文以降、交流(交通)の手段を「関係(間柄)」から「能力」へと修正したものと思われる

 田中昌人(1985)「発達における階層間の移行についてⅢ~次元可逆操作の段階から変換可逆操作の階層へ」.京都大学教育学部紀要31号P50

7)「当該可逆操作の操作変数をもうひとつ増やしたものを発達にとっての必須矛盾として・・たとえば、1次元可逆操作の獲得期には2次元の、2次元の可逆操作の獲得期には3次元の、3次元可逆操作の獲得期には、1次変換の・・・ふさわしいとりいれかたをして運動・実践を産出する」田中昌人(1980)「発達の科学」.青木書店.P155~156

 

 

 

階層と段階の視点⑥ 寺小屋時代に学ぶ2次元可逆操作~「基本操作」と「媒介」及び「産物」

                2次元可逆操作

      「基本操作」と「媒介」及び「産物」

                     山田優一郎(人間発達研究所会員)                   

 ―――寺子屋は、庶民の子どもが読み・書きの初歩を学ぶ簡易な学校であり、江戸時代の庶民生活を基盤として成立した私設の教育機関である。寺子屋は江戸時代中期以後しだいに発達し、幕末には江戸や大阪の町々はもとより、地方の小都市、さらに農山漁村にまで多数設けられ、全国に広く普及した。(文部科学省「学制百年史」)

 

 寺子屋のおかげで江戸後期(1873年)、武士は人口の5.7%だったのに対し、識字率は、男子50%前後、女子でも15%を越えていたと推定されています。1)当時の世界の都市と比べてもトップクラスとなりました。寺子屋への入門は早くて6・7才2)3)なので、今の小学校入学と同じ年齢です。その年齢から読み、書きの勉強をはじめたのですから、今も昔も人間の発達にはその年齢にふさわしい学びの内容があることがわかります。では、寺小屋に入る前(4才~5才)の子どもたちは、どのようにして文字獲得(「3次元可逆操作」期)への準備を整えていたのでしょう。もし、江戸の子どもの活動の中に150年以上経過して今もなお保育・教育の内容となっている内容があれば、それは子どもが文字獲得期へと向って育つための鉄板(てっぱん)の保育・教育内容だといえます。

 

 「江戸時代子ども遊び大事典」4)の中で150年以上経過した今も4・5歳児の保育内容として確認できるものは以下のとおりです。

                表1

 一方、世界の研究者たちは4:0才越えの検査項目として「了解5)という項目を残しています。この検査項目は、すべて「もしも・・」ではじまっています。「もしも、宝くじがあたったら・・」、「もしも、ダイエットに成功したら・・」。そうなんです。「もしも・・」で始まる問題は、今は現実となっていない「想像世界」への到達を測定できるとっても優れた検査なのです。想像できるということは、現実には与えられていない物事を頭の中に思い描ける(イメ-ジ)ということです。6)

1)神田嘉延(2003)日本経済発展と学校教育.鹿児島大学教育学部教育実践研究紀要13.斎藤泰雄(2012)も「男子の識字率は40~50%」としている。(「識字能力・識字率の歴史的推移-日本の経験」広島大学教育開発国際協力センタ-「国際教育協力論集」第15巻第1号)

2)「早くて6才」(江戸東京博物館資料「江戸庶民の教育」)
3)「入門年齢のもっとも幼いのは7才」利根啓三郎著(1981)「寺子屋と庶民教育の実証的研究」雄山閣出版

4)小林忠監修中城正堯著(2014)「江戸時代子ども遊び大事典」東京堂出版

5)監修島津峯眞編集者代表生澤雅夫(2003)「新版K式発達検査法」~発達検査の考え方と使い方~.出版:ナカニシヤ

6)想像「現実の知覚に与えられていない物事の心像(イメ-ジ)「広辞苑岩波書店 

 

 では、江戸の子どもたちは、寺子屋入学前の遊び活動(現在も4・5才児の保育内容として受け継がれているもの)において、どのように想像できる力を発揮してきたのでしょう。

 

 おしくらまんじゅうは、見えない後ろにどういう子がいるのか、その後ろは、土なのか、草むらなのか、大きな石なのか、溝なのか空間の全体を想像しながらはじめます。小さい子が後ろにいるのに一気に押すと後ろの子が倒れてしまいます。また、後ろに溝があることを想像できないと、どこまでも押し続けケガを負わしてしまいます。これでは遊びになりません。体のおしりの位置(部分)を想像しながら押し続けますが押しながら、全体の状況を想像し、全体の状況にあわせて自分の体(部分)をコントロールします。だからこそ、安全が担保され、楽しさだけが残る遊びとして百年も続いているといえます。また、押し込まれたらシンドイケレドガンバッテ、押し返さないと、円から出てしまいます。ただ立っているだけでは遊びになりません。

 

 廻りっ競(くら)は、街中を走ります。同一地点から左右にわかれて走り、同じコースを一回りして先に帰ってきたほうが勝ちです。知らない街ではなく、ご近所の知っているコースを走ります。

「横丁に入ってしばらく走ると右手のお寺の境内に入って石畳を進んで、本堂をぐるりと一巡し、再び横丁に走り出て、今度は左におれて原っぱを横切り、崖道を下って町内の裏に出る。そして、さらに出発点に向うために・・・」7)と、見えていない道を想像し、コースの全体を把握します。境内の石畳(部分)ではすべらないように慎重に体をコントロールします。ここで、転んだら結果(全体)がどうなるか想像できるからです。崖道(部分)もコワイケレドガンバッテ走ります。ここで歩いたら、結果(全体)がどうなるか想像できるからです。現在のかけっこ(障害物競争やリレー)も同じです。誰からバトンを受け取り、向こうでバトンをまっているのは誰。コースは白い線の外あたり、うちのチームが、もし一位でボクのところへきたら・・と、まだ現実になっていない世界を想像し、全体の状況を把握してからバトンを受け取ります。もし、後ろから誰かきたら(部分)シンドイケレドガッバッテ、一生けん命走ります。なぜなら、ひょっとしたらビリになるかもしれないという結果(全体)が想像できるからです。また、もう少しで追いつけそう(部分)な時も、シンドイケレドガンバッテ、走ります。ヒーローになれる結果(全体)を想像できるからです。想像力を働かせそれぞれの状況にあわせて体の動きを調整します。
 

 竹馬も定番の遊びでした。江戸の浮世絵の子どもたちは竹馬で大人たちを見下ろしながら誇らしげに街中を歩いています。竹馬の練習は、前後左右全体を想像しながら練習します。どこへ倒れるかわからないからです。全体へ想像力を働かせながら、手足(部分)をコントロールします。何度も何度も落ちて、落ちてはやり直します。シンドイケレドガンバッテ練習するのは、大人を見おろして街中をかっぽするまだ現実になっていない未来を想像できるからです。こま回しも、投げてコマが回るまでの全体を想像しながら、シンドイケレドガンバッテ、根気よく紐を巻き(部分)、巻いては投げ(部分)ます。

 

 おそらくこの時期に想像力を働かせ、状況にあわせて体をコントロールすることができないと寺子屋で文字を学習することはできません。手習いの間は自制心を働かせて座っていることができないと破門になってしまいます。見方をかえれば、寺子屋は、何をしたらいいのか、何をしたらいけないのかを想像して体をコントロールできる年齢(6・7才)を待って入門させていたということもできます。江戸の人たちのすごい知恵です。

 

 歌あそび・手あそびは、歌全体の歌詞とメロディを想像しなから、声(部分)をだします。全体の流れを想像せずに流れと無関係に声をだしても歌にはなりません。また、最後のオチや形まで、全体を想像しながら体(部分)を動かし手(部分)を動かします。♪かごめかごめ~と始まったら、最後のオチまで想像してこそワクワクするのです。♪ずいずいずっころばし、と始まったら、最後が誰にあたるか想像できないと楽しくありません。
 

 作って遊ぶ、描いて遊ぶ活動も同じです。全体を想像しながら、手指(部分)をコントロールします。竹トンボは、トンボとして飛ばす全体を想像しながら部分を削ります。全体を想像せずに適当に削っても飛びません。折り紙や紙すもうの人形も、最初の折り始めや切り始めの時、すでに全体のイメージができあがっています。何を作るかわからないのにとりあえず折ったり、切ったりということはしません。全体をイメージしながら、部分を切り、部分を折るのです。文字絵は、書き出しの字が顔全体のどこにあたるのかを想像しながら、字(部分)を書きます。

 

 ごっこあそびは、ごっこの舞台、登場人物、小道具、自分の役、全体を頭の中にいれて、私(部分)がこうすれば、相手(部分)がこうするということを想像しながら遊びます。
 

 昔ばなしは、最初からのストーリー全体を想像しながら、今の場面(部分)を楽しみます。全体がわからないと楽しめません。怪談も、話の流れ全体がわからないと部分だけではちっとも怖くなりません。江戸の子どもたちは、祖父母の昔ばなしを聞くだけでなく、その中の怪談話しを覚え、夏になると子どもどうしが集まり、誰の話しが一番怖かったのかを競いあって遊びました。それこそ、クライマックスまでの全体を想像しながら、恐怖の頂点に向って、今の場面(部分)を話すのです。

 聞く、話す力は、寺子屋で師匠のお話を聞いて学んでいくために必要な力でした。

 

 七夕遊びは、今は見えないお空の全体を想像しなから、飾り(部分)をつくります。節分も、まだそこにはいない鬼を想像しながら豆(部分)を準備します。。

 伝承行事は、どの行事も4・5歳児の見えない世界への認識が広がるように実によくできています。

 

 表1の活動はすべて、まだ、見えていないことを想像しないと成り立たない活動でした。田中は、3才半頃から、「~しながら~する」8)活動スタイルができるとしました。江戸の子どもたちの活動(表1)は、「~しながら~する」活動が、4才の節を越えると、まだ現実になっていない見えない世界の「(全体を)想像しながら・・(部分の)~をする」ようになることを示しています。そして、結果(全体)を想像する力で自制心を育てていきます。表1から江戸の頃から150年経過し、現在もなお4・5歳児は同じような活動をして文字学習(「3次元可逆操作」期)の準備をしていることがわかります。

 

 以上のことから4才半頃から始まる段階の可逆操作は、次のようにまとめることができます。

 ①想像世界を認識できる力で ②全体を想像しながら、部分を操作する活動によって、③見えない世界への認識を広げていきます。①が②⇔③で可逆し、拡大再生産しながら発達をとげていきます。

 

 みてきたようにこの時期は、全体を想像して~する力を大切に育てなければなりません。私たちは障害の軽い生徒と重い生徒、みんなが部分を担当し、ひとつのものをつくりあげていく活動をいくつも実践してきました。しかし、ここまでの検討からは、「2次元可逆操作期」の子どもたちには、出来上がり(全体)を意識できて、そこまでの道のりを考えながら部分の~をする活動こそ必要だったといえます。

7)中田幸平(2009)「江戸の子供遊び事典」八坂書房
8)田中昌人講演記録(1988)「子どもの発達と健康教育②」かもがわ出版

 

 さて、これで宇宙語だった「次元」の意味も何となくわかってきましたね。「次元」の階層(幼児期)は、1次元→2次元→3次元と認識できる世界をひろげていく階層なのです。「大きい・小さい」から始まったふたつの世界は、4才の節を越えて眼前の世界ともうひとつ世界、見えない世界(想像世界)を認識できるようになったのです。

3才までの段階(1次元)とは、大きな質の違いです。2次元(4才頃)になった子どもたちは、ずっと昔のことから、宇宙の果てまで認識をひろげることができるからです。

 

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階層と段階の視点⑧ 1次元可逆操作の基本操作・媒介・産物~本質への接近[可逆操作は、認識できるのか]

     1次元可逆操作

    「基本操作」と「媒介」及び「産物」               

                  山田優一郎(人間発達研究所会員)

                     

 「階層-段階理論」の階層・段階表において、「次元」「変換」と名付けられているのは、階層(年齢期)の発達の質を表すことばです。幼児期の階層は「次元」でした。この年令期に認識できる世界が1次元、2次元、3次元とひろがっていきます。

 認識=「ものごとをはっきりととらえ、理解して見分け、判断すること」 

 

 人の成長過程において、幼児期(第1)と青年期(第2)に反抗期が存在することがよく知られています。幼児期の反抗は、1才、1才半頃から3才まで続きます。世界の子どもたちに共通して観察できる事象ですから、1才~3才までの間に子どもの内側に共通のタイミングで変化を引き起こす何かが存在していることが予想されます。しかし、なんとなくわかっていることでも、論理的に説明できないと本当のことにはなりません。アインシュタインは晩年次のように述懐しています。4)

「なんとなくわかるが、説明できないという真実を追い求めて、暗闇の中で手さぐりするような探求の年月」

 

 田中(1988)は、1才半頃の子どもたちの行動に次のような特徴があることを発見しました。

 

「お昼寝の時、枕をおいてあげます。すると枕を軸にして足からおふとんに入れるようになってきます」(「方向転換」)

「すべり台も(すべるほうではなく)階段のほうへ回ってのぼっていきます」(「まわり道」)

 それまでは、フトンは頭から入り、すべり台は、すべり降りるほうから登ろうとしていた子どもが「そっちからではなく、こっちから」と方向転換をし、まわり道をするのです。田中は、このような方向転換や回り道を、子どもの中に「~(何々)デハナク~(何々)ダ」と認識できる力が育ってきたからだと説明しました。

 そして、「~デハナク~ダ」と認識できるようになってきた子どもは、

「(ワンワンではない)ニャーニャー」「(ニャーニャーにではない)メエメエ]

「(メエメエではない)モーモー」と、飛躍的にコトバを拡大していきます。

 さらに、人が人であることの証明のひとつとされる道具の使用でも大きな変化をもたらします。スプーンは、投げたり、何かをたたいたりする時に使うものデハナク、「食べるときに使うもの」と、認識できるようになるからです。

 田中の発見によって、「(ちがう!ぼくは)~デハナク~ダ!」と、反抗が激しくなることも説明できます。つまり、1才~3才間にどの子にもおこる変化を認識力の変化として説明できるのです。

 

2.①状況にあわせて方向転換、まわり道ができ、➁いろんなことばを発し、③道具をその意味どおりに使えるようになる。ほんの少し前の①➁③ができなかった時期と比べると、大きな変化です。さらに④「イヤ!イヤ!」と、反抗も激しくなります。

 田中(1988)は、このような変化を作りだす根底にあるのは「~デハナク~ダ」と外の世界をとらえることができる認識だとし、これを「1次元可逆操作」としました。(「可逆」の意味は後述)

 

3.では、A君(障害児)が「1次元可逆操作」(「~デハナク~ダ」の認識)段階にいるのか否かを普通の大人はどのようにしたら知ることができるのでしょう。「可逆操作」の説明がこのままで終わると、まず、A君(障害児)について①➁③④の活動をチェックすることになります。というか、実践現場の支援スタッフ、親たちには、それしか段階を知る方法がありません。ところが、それではうまくいかないことが多々あるのです。

 それはなぜでしょう。

 田中(1988)は、なんども「現象」ということばを使います。

現象を成りたたせているもう一歩奥に入ったところに法則性が見いだされている時、それをとらえて『発達をとらえた』といいます。」

「深く考えて、深くとらえてみると、現象をなり立たせていく『もとの力』がしっかりと根をはっているものがわかります。」

 ところで、哲学において現象と本質は一体のものです。

「世界のあらゆる事物、出来事にすべてそなわっている両側面であり、あらゆるものには現象と本質が統一されています」6)(足立1990)

 したがって、田中のいう現象を成り立たせている「もとの力」というのは、現象の奥にある本質のことです。では、ここでいう本質とは何か。

 

「発達をとらえるのも現象としてのとらえ方だけではなく、まず一歩わけいってみると『三つの発達段階』の法則性が成り立ってきている」(田中1988)

 つまり、「階層-段階理論」においては、各階層の三つの段階の「~可逆操作」こそが本質なのです。図にすると次のようになります。

 

 ここでは「~デハナク~ダ」という認識の力が本質であり、「1次元可逆操作」なのです。上の図のように確かに本質と現象は、「両側面」(足立1990)なので切り離すことはできません。しかし、やっかいなことに「本質はいつもそのまま現象するとは限らず、しばしばずれたり、ゆがんだりして、時には正反対の形をとって現象」7)するのです。

 したがって、子どもの①➁③④を「できている」「できていない」とチェックしても、「1次元可逆操作」(「~デハナク~ダ」の認識」)を把握できるとは限らないのです。例え、総合的に判断しても、しばしば、ずれたり、歪んだりする現象をいくつ足しても、または、平均しても、それは必ずしも本質ではありません。

 私自身も、私が所属していた職場集団も、上記現象と本質の関係に気付くことができず、いくつかの現象で「可逆操作」を把握しようとして、うまくいきませんでした。以下の考察は、私たちのこれまでの痛切な教訓から導きだした結論です。 

 では、普通の人は、どのようにして本質へ接近したらいいのでしょう。このままでは「人間に物事の本質なんかわかるハズがない」と、神様か占いに頼るしかありません。

 

 一方、哲学者たちは、本質は現象を通路8)として現れることも明らかにしています。私たちは、いろんな現象の中でもっとも確かな通路を探し当て、本質へ近づかなければなりません。本ブログでは、以下の理由によって、すでに標準化されている発達検査の「認識」「思考」の力の発揮(現象)を測定することによって、「可逆操作」(本質)へ接近することを提案しています。

 

 ただし、私たちがこの段階で把握した「可逆操作」(本質)は、私たちが認識した仮説的なのものにすぎません。やがて、実践の中で子どもからの点検を受け、確かめられ、あるいは修正されることになります。本質の認識過程は「現象→本質→現象」9)と、ひと巡りして、ひとまずの完了となるからです。

 

 では、すでに標準化され、現在も実施されている発達検査、「新版K式発達検査法」(「K式検査」)10の検査項目を通路として「1次元可逆操作」(「~デハナク~ダ」の認識)へ迫ります。Kは、京都の頭文字のK。今から71年前(1951年)京都で誕生し、京都の一部の地域や研究者の間で実践されてきた検査です。今では全国の多くの公的機関で判定・指導の指針として活用されています。「K式検査」は、ビネ-、ゲゼル、ピアジェなどの発達理論をもとに作成11されており、世界の研究者たちの知見を継承し、各検査項目は、これまで何千人という子どもたちに検査を実施してもなお修正されずに生き残っている項目です。つまり、同じ年令の子に何度実験(検査)しても同じ結果が得られているので「たまたまできる子がいる」とか、知的発達水準は同じでも生活年令を重ねていけば「誰でもできる」項目など、発達を見る項目として不適切なものは歴史の中で淘汰されてきているのです。したがって、現象から本質へアプローチする際の試されずみの通路だといえます。

 

 「K式検査」において、「~デハナク~ダ」の認識への到達がわかるのは、「絵指示」(1:6~1:9)12)という項目です。この検査は、「何々はどれ?」に対して、カードの絵を指さして答えます。もちろん、目で答えてもいいし、表情でこたえてもいいのです。近くに絵本さえあれば、誰でも子どもとお話ししながら確かめることができます。話しことばはなくても、ことばを理解していれば合格となる検査なので、先人たちはこの検査を通してことば(理解)の世界への到達を見てきたのです。検査方法を工夫すれば、どんな障害の子でも、どこの地域に住んでいる子でも「(これは)ねこデハナク、いぬ」、「(これは)こっぷデハナク、ちゃわん」と、「~デハナク~ダ」という認識への到達をみることができます。個人差がある運動能力や手・指の器用さが捨象され、認識力への直接の通路としてこの検査方法が発見され、実践(検査)での検証が続けられてきました。世界の研究者たちは、研究と実践の英知としてこの検査項目を残してきたのです。

 

 こうして、「絵指示」の(+)をもって「~デハナクナク~ダ」の認識への到達としたとき、1次元可逆操作期の子どもの認識世界は、次のように説明することができます。

 

 1才半頃から始まる1次元可逆操作期は、ことば(一語文)と回りの事物・事象のひとつひとつが「(これは)~デハナク~ダ」と線的(1次元)につながる世界。

 

注)方向転換や回り道(下部連関)、道具使用の力(基本連関)、反抗の力(内部連関)など、他領域の~ができる力は、田中の説明によって、1次元可逆操作(認識)と強い連関があると推定される現象ですが、あくまでも他領域の現象なので可逆操作(本質)そのものとは区別される必要があります。実際のところ「~デハナク~ダ」の認識未獲得、つまりことば理解がまだできない子でも、方向転換(フトン)や回り道(すべり台)、道具使用(スプーン)ができる子が、学齢に達している障害児なら結構いるのです。なので、両者をしっかり区別しないと、現実の子どもの姿と齟齬が生じ、職場での信頼を損ねます。

 

 さて、以上によって、「幼児第1段階」とするよりは、1才半の節をこえた子どもたちの発達の特徴を内容(質)で把握することができます。人の世界は、ことば(手話、サイン、文字盤などあらゆるコミュニケーションを含む)でつながっています。ことば世界への到達は、その後の人生を切り開く大きな第一歩です。だからこそ、研究者たちは「絵指示」という検査項目を重要な指標として残してきたのです。結果、私たちは、1才半の節を越えている子どもたちには、ことば(一語文)の世界を充実させていくことが子育て、保育、教育の中心であることを知ることができます。

 「今、大切なことは何か」――ことば(一語文)世界の充実、これが1才半の節を越えている子どもを囲むワンチ-ムの合言葉です。何が大切か、どの分野を担当していてもすぐわかります。

 

 では、いったい、1才半越の子どもたちが、獲得していることば(一語文の理解)は何と「可逆」しているのでしょう。「可逆」というのは文字通り、行っったり、来たり、逆の順序でも出来ることです。

 

 子どもは、1才半頃にことばを獲得し、二足歩行をし、道具を使います。まさに、ヒトから人への第一歩です。だから、人間にもっとも近いチンパンジーと比較することによって、この時期に何に何と何が「可逆」しているのかがわかります。

 友永(2011)13)は、「チンパンジーの母親は、『自己-他者-物』の3者関係を構築するような積極的な働きかけを子どもに対してすることはほとんどない」としました。山本(2011)14)は、チンパンジーには「積極的に教える教育がみられない」「手取り足取り教えることはない」としています。

 しかし、人間の大人は、幼児と接する時、本性として、子どもの一言に「そうそう」と頷き、ほほえみ、日本においては、頭をなでては「かしこい」とほめたりします。「あれは何々」「これは何々」と教え、できないことがあれば、ことばといっしょに手をそえて教えます。

 前述のようにヴィゴツキー(1979)15)は、次のような発見をしています。 

 

「子どもと大人のコミュニケーションが発達するにつれて、子どもの一般化も拡大する」

 

 つまり、ことば(理解)を頭の中で操れるようになった子どもたちがその力を可逆的に発揮し、発達の糧を得るための中心的な活動は、大人との交流活動なのです。私たちの実践では、子どもが発話できるのは「知っている物」→「発話ができる」でした。したがって、「知っている物」→「発話ができる」→「大人との交流」→「理解できることばの拡大」→「発話の拡大」と進みます。

 

まとめ

 以上によって、1次元可逆操作は、次のように職場で「コミュニケーション可能」(茂木1978)16)なものとなります。

 

 1才半頃から始まる段階は、

 ①ことばを認識(理解)できる力で、②大人との交流活動によって、③新しいことばを獲得していく。

 ①が、②⇔③で可逆し、拡大再生産しながら発達を遂げる。

 

 1次元可逆操作を上記のように理解することによって、この時期を人間社会から隔離された環境で育つことになった、いわゆる野性児17)といわれる子どもたちの多くがなぜことばを獲得できなかったのか、逆にヘレンケラー18)は、なぜことばを獲得し素晴らしい知性をもつに至ったのか説明が可能です。また、「クシュラの奇跡」19)も「奇跡」が起こった理由を「可逆操作」によって説明することができます。

 

 私たちは、話しことばの一語文をもっていながら、ことばがひろがらない子どもに「伝えたいものがないのだから、興味・関心をひろげていこう」としてきました。しかし、それはうまくいきませんでした。興味・関心をひろげるための媒介となる活動、「大人との交流」こそ必要だったのです。今、子どもがもっている「可逆操作」(一語文)で、交流が広がる学習と生活を組織することが必要だったのです。子どもの住んでいる世界で交流を広げればよかったのです。そうすることで、結果としてことばがひろがっていく仕組みになっていたのです。

 

 こうして、「可逆操作」の理解は、可逆、循環がどこで断ち切られているかを明らかにし、そこに手をあてる実践を可能にします。

 

 

[参考・引用文献]

1)「ものごとをはっきりととらえ、理解して見分け、判断すること」.「現代国語辞典」三省堂

2)「発達心理学辞典」ミネルヴァ書房

3)第一次反抗期は自我の芽生え!子どもの葛藤を受けとめ甘えさせてあげよう|ベネッセ教育情報サイト

4)フィオナ・マクドナルド著 日暮雅通訳(1994)「伝記アインシュタイン偕成社

5)京都市職員組合養護教員部(1988)田中昌人先生講演記録「子どもの発達と健康教育(1)」かもがわ出版

6)足立正恒(1990)「唯物論弁証法新日本出版社

7)労働者教育協会編(1974)「働くものの哲学」学習の友社

8)「現象を通路として・・・本質を認識できる」

  「マルクス主義哲学講座」 林檎倶楽部 (y-ok.com)

9)前掲8)

10)監修島津峯眞編集者代表生澤雅夫(2003)「新版K式発達検査法」~発達検査の考え方と使い方~.出版:ナカニシヤ出版

11)松下裕・郷間英世編(2012)「新版K式発達検査法2001年版発達のアセスメントと支援」ナカニシヤ出版

12)前掲10)

13)友永雅己(2011)松沢哲郎編「人間とは何か~チンパンジー研究から見えてきたこと」岩波書店

14)山本真也(2011)「チンパンジーと人の共通点・相違点~社会的知性を中心に」京都大学人文學報(2011)100

15)ヴィゴツキ-著柴田義松訳(1979)「思考と言語」上.明治図書

16)茂木俊彦(1978)発達理論に関する若干の研究課題について~心理学のアスペクトから~「『発達保障論』の成果と課題」.全国障害者問題研究会

17)オオカミ少年、犬少女。人間社会から隔離された環境で育った世界10人の野生児たち : カラパイア

18)アン・サリバン著、槇恭子訳「ヘレンケラーはどう教育されたか」明治図書

19)ドロシー・バトラー著,百々佑利子訳(2006)「クシュラの奇跡」のら書店

 

資料~標準化された発達検査の項目 を通路とした各段階(可逆操作)の把握方法

   

                              

                       

※)ただし、前述のように私たちがこの段階で把握した「可逆操作」(本質)は、私たちが認識した仮説的なのものにすぎません。やがて、実践の中で子どもからの点検を受け、確かめられ、あるいは修正されることになります。本質の認識過程は「現象→本質→現象」9)と、ひと巡りして、ひとまずの完了となります。


     

 

 

 

 

 

階層と段階の視点③ 中世・近世日本の若者教育に学ぶ1次変換可逆操作~「基本操作」と「媒介」及び「産物」

中世・    近世日本の若者教育に学ぶ「可逆操作」~1次変換可逆操作

     

                      山田優一郎(人間発達研究所会員)                                                                        

はじめに

  前回、「3次変換可逆操作」について検討しました。それは、①事象を特殊概念に変換できる思考で、②アイデンティティを発揮する活動によって③豊かな人生をおくるための特殊概念を獲得していく力、でした。前述のように古代中国の社会から、現在社会にいたるまで「3次変換可逆操作」獲得の内実の豊かさは、その人の人生の豊かさを左右します。私たちは、「2次変換可逆操作」(発達年令12・3才頃)で入学してくる軽度の知的障害生徒のために豊かな3次変換期を実現していく教育内容を準備しなければなりません。そのため、ここでは、その前の段階(「1次変換可逆操作」)から検討を始めます。

 

1次変換可逆操作とは、どのようなものか

 

1.丁稚(でっち)

 丁稚(でっち)とは、「昔、商店で雑役などをして年季奉公をした少年」(「現代国語辞典」三省堂)のことです。起源は古く、南(1996)1)は、鎌倉・奈良時代と推定され、変容しながらも昭和30年代まで続いたとしています。丁稚制度は、日本の中世から現代に至るまで、大人になる前の少年たちを教育した大きな潮流のひとつです。江戸時代の丁稚は、一般に10才頃から雇用され、店および家内の雑役全般を引き受け、無休でしたが衣食住は保障され、読み書き算盤等の教育も受けることができました。2)丁稚は、はじめのうちは、子守りふき掃除などの家事労働の担い手となりますが、やがて商用の使い走りなど店の雑用が任されます。そして、15~16才頃に元服と称して商売に本格的に携わるようになります。元服になると、本名の頭字に「吉」や「松」をつけて呼ばれる3)のでわかりやすい大人への第一歩だったといえます。さらに17~18才頃に手代に昇進し、一人前と認められます。4)

1)南相錦(1996)丁稚制度と「大阪商人」大阪大学「年報人間科学」17

2)田畑和彦(2001)江戸期第商家の奉公人管理の実態.静岡産業大学国際情報学部研究紀要(3)

3)竹中靖一・川上雅(1965)「日本商業史」(ミネルヴァ書房

4)浜野潔(2006)近世京都の奉公人について.関西大学経済評論集55巻4号

 

 さて、この制度において丁稚になった途端、少年たちの暮らしに大きな変化がおこります。丁稚の代表的仕事は「子守り」と「ふき掃除」でした。今までは「手伝い」だった仕事が、丁稚になった途端に「従事」、つまり仕事として任されるのです。したがって、本雇用となる丁稚にはその都度、合理的な判断と行動が求められていたといえます。「子どもが泣いた→なぜならば、(・・・)」と、原因を考え行動しなければ「子守り」はできません。「ふき掃除」も年中共通する仕事と、「今の時期はここが必要、なぜならば、(・・・・)」と、判断できる子でないと労働力としてあてになりません。なので、ある程度すじ道を立てて物事を考える、すなわち論理的思考ができないと本雇用の仕事はできなかったといえます。

 明治の時代に丁稚だった松下幸之助少年は、次のように「泣く」という現象にたいする対策を発見します。(以下、松下幸之助の記述は「松下幸之助物語」.PHP研究所から抜粋)

 

「ある日、幸之助が店先で赤ん坊を背負っていると、近所の子どもたちがベーゴマ遊びを始めました。最初は見ているだけだったのですが、幸之助も遊びたい盛りのこと、つい自分も熱中してしまいました。そして思いっきりコマを回したところ、勢いあまって地面にころび、背中の赤ん坊の頭を地面に当ててしまったのです。赤ん坊は、いくらあやしても、いっこうに泣きやみません。

(どうしよう。そうや!)

 幸之助はとっさの機転で、そばの駄菓子屋で一銭のまんじゅうを買い、赤ん坊にあてがってみたのです。すると、あらふしぎ、赤ん坊はうまく泣きやんだのでした。」

「(一銭のまんじゅうを一個買ったのですから、三日分の給料を棒にふったことになる。しかし、泣き叫ぶ赤ん坊であってもまんじゅう一つできげんをよくすることがわかった。)」

  幸之助少年、9才の日のできごとです。

 

 目の前におきた現象をすじ道を立てて考える論理的思考によって、子守りをするにあたっての法則を理解したのです。

   

 旧ソ連において社会主義革命が進みつつあった時代、ウズベキスタンにおいては、イスラム教の伝統的因習の下でその大部分は読み書きができませんでした。しかし、革命後、経済的・文化的な向上がもたらされる。結果、この地域においては

①読み書きができず新しい社会生活の形態にも参加していないグループ゜

②短期の講習を受けて多少の読み書きができる程度のグループ

③職業技術学校において、2~3年の教育を受け読み書きができるつグループ

が併存する状態になりました。

 ヴィゴツキ-の発案・計画によって、この地域の調査にあたったのはルーリアでした。5)ルーリアは、これらの住民を被験者にして、知覚・抽象的概念・推論・自己意識などについて実験的調査を行いました。

   結論は、以下のとおりです。

  ①の読み書きができないグループの思考の特徴として「抽象的な一般化された論理的思考ができないこと」

  ③のグループは、逆の結論になり②のグループには両者が混在していました。

 

5)中村和夫(2017)「ヴィゴツキ-心理学」新読書社

 

 つまり、読み書きができないと「なぜならば・・・と考える論理的思考によってものごとを理解することができないのです。前述のように丁稚制度にあっては、論理的思考ができないと「子守り」も「ふき掃除」もできません。滋賀県東近江市の「近江商人博物館」資料によると江戸時代は6・7才寺小屋に入門10才で奉公「丁稚」となっています。しかし、江戸時代(1870年)男子の識字率は40~50%という調査6) もあり、丁稚に応募してくる少年は、論理的思考ができる子とできない子がまじっていたことになります。みてきたように丁稚がつとまるのは、「階層-段階理論」でいう9・10才の節を越えた少年たちです。子守りを任されて、子どもが「泣く」たびにいちいちおかみさんの所へ参じる少年では雇うことはできません。江戸の人たちは、何らかの方法で見極めるシステムが必要でした。どのようにして見極めていたのでしょう。実は、丁稚の採用までには「目見えの期間」というのがあって、仕事の要領の飲み込み具合を見て、見込みのない者は容赦なく淘汰する仕組みになっていたのです。1721年(享保6)から1723年の3年間の間に、京都の呉服店に見習いとして店に入った70人のうち、18人がすぐに暇となり、採用率は74%だったと記録されています。(田畑2001)7)

 

 6)斎藤泰雄(2012)「識字能力・識字率の歴史的推移-日本の経験」広島大学教育開発国際協力センタ-「国際教育協力論集」第15巻第1号

7)田畑和彦(2001)「江戸期大商家の奉公人管理の実態」静岡産業大学国際情報学部研究紀要(3)

 

 以上のことから、丁稚として本雇用された少年たちの多くは、「なぜならば・・・と考える論理的思考ができる子どもたちだったといえます。寺小屋で初期の読み書きを修得しているか、丁稚になってからの教育で、教えたらすぐにできる段階の子たちです。

 

 以下、丁稚の少年たちは、「階層-段階理論」の各段階とあわせると表1のように進んでいたことになります。

              表1

     丁稚制度           「階層-段階理論」 

10才頃「丁稚」 家事労働  「1次変換可逆操作期」(9・10才頃)

13才頃 商業労働加わる   「2次変換可逆操作期」(12・3才頃)                                              
 15才・16才「半元服」    「3次変換可逆操作期」(16・7才頃)           

     商売への本格的参加

 

 さて、みてきたように丁稚として採用された少年たちは、「なぜなら」思考で、大人が使用している大人ことば、概念を理解することが可能でした。概念というのは、「個々の事物から共通な性質を取り出して」8)つくられたことばです。

8)「日本国語大辞典」(第3巻)小学館

 

「きゅうりも野菜、色も形もちがうナスも野菜。なぜならば、両方とも食べるものだから」

「ぞうりも履物、形のちがう下駄も履物。なぜならば、両方とも足にはくものだから」

 

 きゅうりとナス、ぞうりと下駄が「なぜならば(・・・)」1回の思考で抽象化され、「野菜」「履物」という概念に変換(置き換え)されるのです。これで階層の名前、「変換」の意味はわかりますよね。「変換」は新しいことばへの置き換えを意味しています。

 丁稚の少年たちは、今まで何げなくみていたものを共通でくくり、次々と新しいことば、概念に変換して理解することが可能だったのです。田舎でみてきた「家の前のきゅうり」、「誰々のナス」だったのが、たまたまできている場所や所有ではなく、「食べるもの」といういう本質的特徴による共通項でくくり[野菜]と変換できることを知るのです。ヴィゴツキー(2017)は、後者を科学的概念としました。さて、これでなぜ文字の修得がないと論理的思考の段階へ進めないのかその理由がわかります。

 「り・ん・ご」という文字を書く時、同じ丸いものでも「みかん」を思い浮べながら「り・ん・ご」と書く人はいません。その時は、「みかん」とはちがう「りんご」の中味を思い浮かべながら「り・ん・ご」と書くのです。同じように酸っぱい味を思い浮べながら「み・か・ん」と書きます。すなわち、文字は、その修得過程において現実社会についてより正確な認識をもたらすのです。こうして、ものごとの「違い」も「共通」もわかるようになります。現実社会の中間・中味まで認識できるようになることによってこそ、ものごとを本質的特徴による共通項でくくり、概念に変換する思考(論理的的思考)が可能になります。書き言葉の獲得と論理的思考の関係をこのように考えることで先に紹介したルーリアの調査結果、読み書きができないグループは「抽象的な一般化された論理的思考ができない」(中村2017)ことが首肯できます。

 

 さて、寺小屋で初期の読み書きを修得し、1次変換ことばである概念を獲得した少年たちは、子守り・ふき掃除だけでなく買物などの仕事もできるようになります。つまり、「履物」も「着物」もどこで入手できるのかわかるようになるからです。だからこそ、地方からきた少年たちでも都会で勤まることができたということができます。

 

 以上、当時の少年たちは、論理的思考によって初歩的な労働(奉公)への参加を可能とし、同じ論理的思考によって、大人が社会活動の中で使用している1次変換ことば、概念を理解していたことになります。少年たちにとっては、大都会の大人たちとの会話こそが概念のつまった百科辞典であり、教科書だったのです。大人社会における初歩的な労働への参加は、より質の高い大人との会話を必須なものにし、大人との会話によって、概念を学習していくことができたのです。

 概念 (A)の獲得 が広がるにしたがって、仕事(B)も広がることになります。前述のように「野菜」という概念が獲得されることによって、「かぼちゃを買ってきて」といわれたらどこへ行けばいいのかわかります。仕事(B)の広がりによって、さらに新しい概念 (A)を学べるチャンスが広がります。つまり、 (A)と(B)は、可逆し、拡大再生産されて自己発達をとげていける仕組みだったのです。

 さて、これで「可逆」の意味もわかりましたね。

 

2.日本で最初の義務教育~尋常(じんじょう)小学校

(1)日本の義務教育の始まりである尋常小学校は、1886年、明治19年から義務教育が6年に延長されるまで9・10才の年令(4年生)で区切られていました。国力が弱かった時代でも、とりえあえずこの年令までは全国民に教育をうけさせたいと考えたわけですから、そこには相当な根拠が必要でした。これは日本人だけの知恵なのかというとそうではありません。日本の初期の学校制度は、西欧の教育先進国から学んだものだったからです。みてきたように丁稚への採用も、10才頃からでした。したがって、9歳10歳に区切りをおいての教育は人類の知恵だったのかもしれません。当時、尋常小学校を4年で卒業し、上級学校へ進学したのは10人にひとりかふたりでした。9)では、残りの人たちはどのようにして次の段階へ進むことができたのでしょうか。

 多くの子は、男の子なら丁稚(でっち)、農業、漁業、山仕事なとの家業、女の子なら大きな屋敷の下働き、織物工場の女工でした。いずれも、大人ことばが飛び交う労働現場に参加します。公教育が始まっても、当初、多くの子どもたちは、大人社会の初歩的な労働への参加によって必然となる大人との会話によって、概念を学習し次の段階(「2次変換可逆操作」)へ進んでいたことになります。

 

9)「学制百年史」(文部科学省

 

 以上のことから、9・10才(小学校3・4年生)頃からの可逆操作は、次のようにまとめることができます。

              

  ①の思考が②⇔③で可逆し、拡大再生産されて発達をとげていきます。

 

注)ここでいう「操作」は、外に現れる手の操作ではなく頭の中であれこれ考えることをさしています。

 

(2)尋常小学校後期(1907年)~現在

 日本において義務教育が6年生まで延長されたのは、1907年(明治40年)でした。以降は、どの子も労働への参加でなく、大人の会話がつまったものとして、教科書(書き言葉)と、授業(話しことば)が国から提供されています。

 

 21世紀になった現在でも➁大人との会話(教科書~書き言葉含む)によって ③概念を獲得していく、という発達の本質はかわりません。

 したがって、この時期、お家でも、読書(書き言葉)の習慣が身につくような仕掛けをつくり、大人との会話(話し言葉)が多くなるように工夫して概念の学習をサポートしていくことが大切です。

  親がスマホをいじり、その横で子どもがゲームをしている環境では、せっかく育ってきた新しいことばに変換できる思考も、宝の持ち腐れになってしまいます。まずは、大人が読書している背中を見せなくてはなりません。

 

 さて、上記「可逆操作」は、思考において誰もがこの道を通って次へ進むという意味において発達の中核です。しかし、人の発達において、思考の発達だけが重要なのではありません。誰もが、かしこいだけでなく「かしこく、やさしく、たくましい子」に育って欲しいと願っているからです。

 

 ピーター・ブロス(2010)10)は、この時期に「他人と共感する能力」の発達が必要だとしています。ブロスのいう児童期の「共感能力」は、「他人の立場で物事を見る」「他人が考えることを推測できる」という視点を変換する能力(パースペクティブ変換能力)のことです。事象の共通を抜き出し、新しいことば(概念)に変換できる思考を獲得する時期に他人を見る視点も変換する能力を身につけてこそ、青年期以降に「他人のために自分はどうしればいいか」(ピーター・ブロス.2010)を考えることができる大人になれるからです。

 教科書を使った大人との会話(教科学習)は「たんに知識・技術・能力・・の形成・発達をはかるばかりでなく、その任務をはたすまさにそのことにおいて、習慣・意思・感情・性格などの人格的な諸特性をも形成・発達させる」11)ものでなければなりません。

 子どもたちは、やさしい大人になるための基礎となる力、「共感能力」(ピーター・ブロス.2010)も教科学習の「まさにそのことにおいて」学んでいくことになります。

 

10)山本晃(2010)「青年期のこころの発達~ブロスの青年期論とその展開」.星和書店

11)小川太郎(1975)「教育と陶冶の理論」.明治図書

 

資料

      「優秀な子に共通するある能力とは」

                         柳沢幸雄(開成・元校長)

 

 優秀な子どもに共通する能力とは「きちんとしゃべる」ことです、実はしゃべることはものすごく大事な力なのです。しゃべるには、自分が相手に伝えたいことを伝える能力が必要になります。それも相手にわかるような伝え方をしなければなりません。 その伝え方を抽象化したものが論理です。人と人が理解できるのは論理だけなのです。

 

 親が子どもの教育をするときに一番大事なことは、どれだけしゃべらせるかということです。優秀な子を見ていると、できる子ほど親に話を聞いてもらっています。しゃべることほど頭の鍛錬になるほどはないと言ってもいい。いつ、どこで、誰が、何を、なぜ、どのようにしたのか。いわゆる5W1Hがなければ自分が話したいことは相手に伝わりません。ですから親は子どもに勉強を教える必要はないのです。むしろ子供に教えてもらってください。子どもは、新しいことを知れば嬉しくなって話すものです。そうやって、しゃべることが子どもにとって、勉強の最大の復讐となるのです。

 どんな話でも構いません。親は子どもが話をはじめたら5W1Hを使って適度に合の手を入れることで、話を広げる手助けをしながら、じっくり話を聞いてあげてください。

          出典:「東洋経済」ONLNE8(2021・12・24)

 

参考

 障害児の場合、自分が担当している子がどの階層・段階にいるのか、わかりにくいことがあります。その場合は、下記ブログを参考にしてください。

 本ブログ「階層と段階の視点 現象と本質~本質への接近」(現在修理中)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

階層と段階の視点⑤(2次変換可逆操作の続き) 軽度知的障害児の教科学習について

                軽度知的障害児の教科学習    

                                                                           

 はじめに  

 12・13才(小6・中1年生)頃からの段階は、

 ①「なぜなら」数回思考で ②いくつもの変化する環境にいくつもの段取りで働きかけ ③二重に抽象化された概念を形成していく年齢期でした。  

 ④そして、①は②③の間で可逆しながら、拡大再生産されて発達を遂げていきます。

 

 現代社会は、丁稚制度における商行為への参加とちがって、大人社会へ参加するための基礎的な知識(中3まで)を国(文部科学省)が示し、義務教育としています。まずは、「2次変換可逆操作」期が始まる中学1年生の教科学習の内容をみてみましょう。

 

Ⅰ.中学校の教科学習

(1)数学 方程式のはじまり

・「解」「左辺」「右辺」「等式」「X」という二重に抽象化された新しいことばが登場します。

 2個のリンゴ 、2個のミカン・・・いろんなふたつの物を抽象化したのが「2」という数字です。Xは、それらの数字をさらに抽象化し、2にも3にも4にもなる二重に抽象化  された文字です。方程式は、いくつもの「なぜならば」をくりかえす段取りによって「解」を求めます。

    X+7=4

 1.左辺の7をとるために7を引く X+7-7 なぜなら(Xだけ残すため)

 2.等式なので右辺からも7を引く X+7-7=4-7

                    なぜなら(左辺と右辺は等式だから)

 3.計算をする。   なぜなら(Xを明らかにする必要があるから)

 4.解を出す      X=-3

 つまり、中学校からの教科学習というのは、文字と頭を使って、「なぜなら・・」と考えながら、「段取り」を組み立て、「解」のだし方を学ぶようになっているのです。

こうすることで式の数字がどの数字に変化しても「解」をもとめることができるからです。

 

(2)理科 身近な生物の観察(たんぽぽ)

・観察の段取りを学習します。

  1.虫メガネではなくルーペを使う。なぜなら・・・。

  2.花ではなく、ルーペを目に近づける。なぜなら・・・。

  3.ルーペではなくたんぼぽ動かしてピントをあわせる なぜなら・・・。

  4.対象を観察する

 

 「なぜなら・・」の連続で「段取り」(1~4)を立て、位置と形をセットで、「おしべ」「めしべ」「花弁」(小学校では「花びら」)などの概念(ことば)を学びます。世の中に「おしべ」「めしべ」があるのはたんぽぽだけではありません。しかし、「なぜなら・・」をくりかえしながら、観察することで観察の対象が変化しても「おしべ」「めしべ」を見つけることができるのです。

 

(3)社会  

・歴史~時代の区切り「江戸時代」と「明治時代」

江戸時代

1.江戸時代は関が原の戦いに徳川家康が勝利した年から始まる・・ブー! なぜなら(ひとつの戦いの勝利者が権力を掌握するとは限らない)

2.江戸時代は、江戸城の完成から始まる・・プー! なぜなら(江戸城は、ずっと前からすでにあったから)

3.江戸時代は、徳川家康征夷大将軍に任命された年から始まる 〇 なぜなら(ここから、徳川家康の実行支配が名実とも可能になったから)

 こうすることで次の時代の変化にも対応できます。すなわち、明治時代は政権が明治天皇に移った年から始まることがわかるのです。

 

 同じようにして新しい技術と、芸術分野における概念(ことば)を学びます。

 

  すでにみてきたように丁稚制度では、「なぜなら・・」「なぜなら・・」と物事の根本を考えられる年齢になったら商行為に参加させ、大人として生きていくための概念を学べるようにしてきました。今は、どの仕事についても困らないように学習内容は国が基準をしめしています。しかし、障害児教育では、軽度の障害児は就職の可能性があるのだから、学校ではなく働く現場で、あいさつの仕方や単純労働を繰り返して、がまんする力を身につけたほうがいいとする主張があります。これは、障害児は「なぜなら」と、考える必要はないといっているようなものです。しかし、みてきたように私たちの社会は、ずっと昔から、子どもたちにその年齢にふさわしい「考える」力が育つ環境を準備してきました。「考える」ことが不得意だからと、「考える」力を育てる環境から子どもたちを引き離す教育は、先人たちの叡智に逆行するものです。

 こうして、軽度知的障害生徒(「2次変換可逆操作」)に教科学習は必要か、という問いに対し、可逆操作の発揮こそが発達を押し進めると考える「階層-段階理論」は、明確にyesという根拠を与えます。

 

Ⅱ.「金の卵」たちのその後

  私が生まれた沖永良部島では、私が中学校を卒業したころほとんどの子は中学校を卒業して集団就職をしました。島に高校がひとつしかなかったこともあり、高校へ進学したのはわずかでした。中学校で学び、中学校を卒業しているのですから、みんな二重に抽象化された「2次変換ことば」を獲得して、大人社会へ参加しました。しかし、就職した同級生の中に勉強している気配がなかった子が何人もいるのです。その中にレストランの経営者になった人や、カラオケスナックを3店経営している人、田舎の町会議員の議員などもいるのです。

 

「昭和39年、駅のホーム担当でした。『金の卵』を待って受け入れる会社の人がプラカードをもって出迎える。駅のアナウンスも当時は『ウイノー、ウイノー』となまっていましてね。迷子の生徒を呼び出す構内放送もひんぱんにありました」1)

  私の同級生たちに限らず、集団就職は、全国の「農村から都市への『民族大移動』であるとともに、若者たちにとっては職業人への旅立ちであり、青春の希望と苦悩に満ちたドラマ」2)だったのです。

 

  こうして、中学校を卒業して全国から都会に出てきた人たちの多くは、私の同級性たちと同じように苦労しながらも、一人前の社会人として育っていきました。そして、その中には、「勉強は苦手」と公言し、勉強している気配がなかった子が何人もいたハズです。にもかかわらず、彼らの多くは何度も「特殊」な事態に合理的判断をくだし、ピンチを乗り越えて生き抜いてきたのです。つまり、どう、考えても「3次変換」に到達してここまできたと考えざるを得ないのです。彼等にとって、中学校での「教科学習」は何だったのでしょう。

 

 (1)さて、「金の卵」世代の人たちの中で「勉強している気配」がなかった人がいたとしても、毎日学校にきて授業を受けていましたから、中学校での教科学習は不要だったという結論は導くことはできません。すなわち、いくら、勉強している気配がなかったとはいえ小学校6年生までの知識で就職したのではありません。中1から中3までの間に何かを学んで卒業したのです。

(2)当時の地方の経済事情から多くの人が家事労働において自分の「段取りで~ができる」舞台がありました。

  私の田舎では、  バレー部、陸上部の部活はありましたが、参加しているのはごく一部の生徒でした。今でも交流のある同級生の一人は「バレー部にはいりたい」と父親にお願いしたら「中学生にもなっていつまでも学校で遊ぶな。早く家に帰って牛の世話をしろ」とどやされたと還暦すぎた今ても愚痴っています。

  牛の世話は、どこで、どんな種類のエサを刈ってくるのか、そのエサはどこにあるのか、季節ごとに判断しなければなりません。朝行くのか、放課後にいくのか、天気はどうか、いくつもの「なぜなら」を繰り返して合理的判断をしなければなりません。つまりは、自分の「段取り」次第なのです。当時の女子中学生がしていた(畑仕事で遅く帰ってくる)両親にかわっての夕食づくりも「なぜなら・・」と繰り返しながら自分の「段取り」によって力を発揮できる舞台でした。

 

   この状況から、ひとつの仮説が浮かびあがります。

 彼等は自分の「段取りで~ができる」舞台で活躍していたのですから、教科学習で登場する「2次変換ことば」を理解することは可能であった。彼らは中学校で獲得した「2次変換ことば」を駆使して卒業後も概念を拡大し続けた。地方から都会へ出てきて見聞きする世界のひろがりとともに概念を一気にひろげた。やがてすでに獲得している概念の時空間操作によって、過去、現在、未来の自分を見通し、各人、アイデンティティを確立し、自分の道を歩んできたというストーリーです。

   1)2)加瀬和俊(1997)「集団就職の時代~高度成長のにない手たち」(青木書店)

 

 

Ⅲ.教科学習の意味

(1)おおよその意味を知る

 さて、先の仮説でいくと中学校の教科学習で学ぶ「2次変換ことば」は、卒業後、職場の仲間と、あるいは接客の仕事なら、お客さんとコミュニケーションできるほどの理解で良かったということになります。それも、厳密な理解ではなく、「だいたい、そういう意味か」と、おおよその意味がわかる程度の理解で良かったといえます。中1の 理科の例でいうと、タンポポの花に「おしべ」「めしべ」「花弁」というのがあり、それはどうしたら見ることができるのか、ということがわかったらまずはOK。そこから先、つまり、「おしべ」「めしべ」「花弁」の位置と形を覚え、テストの(   )へ記入することは、とりあえず、大人社会への一歩には支障なかったといえるのです。ただし、高校へ進学するためには記憶し、反復し( )へいつでも書き込めるようになるまで勉強が必要なことは知っていたのです。しかし、すぐそこに田舎を出て自分の「段取り」で稼ぎ、自立できる世界をめざす少年期の子どもたちにとっては( )へ記入できるかどうかはさほど大切なことではなかったのです。

  したがって、中学校の教科学習は、とりあえず、卒業後大人社会でコミュニケーションできる程度のことばの大まかな意味を理解できるようになることが一義的に大切なことだということがわかります。

 

(2)概念(ことば)が飛び出してきた壺を知る

 学校は社会で通用するすべての概念(ことば)を教えることはできません。では、「金の卵」たちはどうしたのでしょう?たとえば、中年になった頃、ニートということばはわからなかったのではないてしょうか。おそらく「このあいだニートってことばをきいたけどあれは何?英語か?」と、年寄りではなく、また嫁さんでもなく、若い人にきいたと思います。なぜなら、たぶん英語ではないかと検討がつき、自分たちの年代以上の人は英語が苦手だというのもわかっていたのです。そして、すぐ教えてもらったことでしょう。だから、中学校で全教科を学習したことの意味は、わからない概念(ことば)に遭遇した時、何を調べたらいいのか、誰にきいたらいいのかを判断する材料になるという意義があるのです。自分でその概念(ことば)を調べたり、わかっている人を探したりという局面は、生きている限り、誰にでもあります。その時、どこを調べるか、誰にきいたらいいのか、どうしたらいいのか、局面を打開する手がかりになるのが各教科の範疇(カテゴリー)だといえます。

  おそらく、レストランを経営している「金の卵」だった彼は、たとえば店で使うパソコン用語がわからなかった時、常連さん(近くのある高校の先生)にきいたらすぐ解決できたのです。けっきょく、中学校の各教科は、どこに何があるか、概念(ことば)がとびだしてきたがわかるようになっているのです。「金の卵」たちは、中学校の各教科で学んだことをもとにしてに目当てをつけて、わからない局面を打開してきたといえます。

 

 大人社会でコミュニケーションできる程度にことばのおおよその意味を知る、わからないことに遭遇した時のために、概念の存在する壺を知るーーー進学しようが、就職しようが、大人社会で生きていくためには、このふたつの力を必要としています。

 

Ⅳ.以上のことから導かれる軽度知的障害生徒(「2次変換可逆操作」)の教科学習のポイントは、以下のとおりです。

(1)内容の厳選~「なぜなら「なぜなら」と考えることができる教材を。

 可逆操作(①②③)が発揮できる学び方は、可逆し、拡大再生産し、将来の概念形成のポテンシャルが担保できる学び方です。とすれば、必ずしも、中学校の教科書に出てくる新しい概念(ことば)のすべてを学習する必要はないといえます。むしろ、知的障害に対する「手当て」を考慮するならば、各教科の内容を厳正し、時間をとって丁寧に「なぜならば」「なぜならば」と考えながら答えに到達できる教材の精選こそ大切だといえます。

(2)コア教科から「横すべり」の概念形成を。

  内容を厳選できるとしたら、本人の夢や興味・関心、知りたいことをコアにして、関連教科が散らばって配置されるようなオリジナル教科書づくりが可能です。コアから横すべりに各教科のことば(概念)の獲得ができる教科書づくりです。当事者の声を聞きながら、中学校の教科書の内容を再編した教科書そのものを「なぜなら」「なぜなら」と考えながらつくっていく過程は、教科書づくりそのものが概念形成の授業となります。

(3)「大人」な教材を。

 知的障害児は、理由、根拠がわからないまま答えだけ大量に記憶するのは、とっても苦手です。しかし、人の発達のすじ道は、基本的に共通ですから「2次変換可逆操作」期まで育った子どもたちは、次の舞台(大人社会)へはばたきたいと強く願っています。大人になりたい人たちにふさわしい教材が必要です。

 次の舞台へかけあがるために必要だとわかった時、苦手な記憶の壁にも果敢に挑戦します。次の資料をご覧ください。

 

 資料 

                      言語:社会 12.6才.療育手帳-軽度 男子 

 養護学校高等部(当時)で入学式に顔を出したまま登校できない生徒がいました。彼は5月の連休に無免許で一方通行を逆走しパトカーに追跡され橋桁に衝突、現行犯逮捕されたのでした。この事件で私が警察署へ引き取りに行ったのが、アキオ君(仮名)でした。

 

 秋になり、運動会が終わったころ、アキオ君が自分の席で何やら熱心に一枚のチラシを見ています。ヘルパー3級講座のチラシでした。「こんな仕事に興味あるの?」と聞くと彼は即座に「ハイ」と答えました。しばらくして私は「向いているかも・」と考えるようになりました。彼は小学部の小さい子、障害の重い子の面倒をみるのがとっても上手だったからです。それから、半年かけて学年と進路指導部がタッグを組み、希望する生徒にヘルパー2級の講座を開設する準備をすすめました。PTA、地域の社会福祉法人、医療生協病院、学園の保育士、大学の先生、教職員のボランティア延べ人数110人。まさに一大イベントでした。こうして希望する生徒たちがヘルパー2級の資格を取得しました。彼もここで取得した資格を生かしてディサービス施設へ、ヘルパーとして就職することができました。

 

 あれから11年が経ちこの夏、久しぶりにアキオ君(29才)と会う機会がありました。そこで私は彼の悩みを知ったのです。

介護福祉士の資格をとるように言われている。何度受けても通らない。」

 私は、「中核機制」を探す旅を中断し、しばらく彼と一緒にこの山を登ることにしました。(ここまでを私の所属する研究会の機関紙に寄稿)

 

 (続きです)

 

「なんとかなるぞ。応援するから・・」と彼を励ましたものの私にとっては未知の世界。こんな時、いつも私は、長嶋1)の言葉を思い出します。

「わからないことは、まず子どもに聞きなさい」

 言葉のない障害の重い子どもたちの場合でも、教育はまずもって、その子たちの声なき声に耳を傾けることから始まります。どんな局面でも難しい実践を切り開く鍵はそこにあります。

 さっそく、私は彼に聞いてみました。

「どんなテキスト使っているの?」

 彼が喫茶店で並べたテキストをみて驚きました。400ページを超えた分厚いテキスト、しかもそれが2冊です。「先輩たちもこれで勉強しています」と、彼は顔をひきつらせました。

(これは無理。どうしよう.助けて・・)

    彼からの最初のサインでした。

 ならば、と私はニンテンドー3DSの過去門攻略ソフトを、本体と一緒に彼のところへ持参しました。彼はこの種のゲームが得意だったからです。ところが、しばらくしてようすを聞くと進んでいる気配がありません。「どんな風にしているの?」と3DSを見ると充電さえできていませんでした。

 彼は問題を読むのに時間がかかります。ゆっくりていねいに読んでいくのです。ニンテンドー3DSのソフトは、ゲーム感覚ではあるけれど、一問一問の解説は長く、彼の力ではとてつもなく時間がかかるものでした。

「これも、無理」。彼のサインでした。

 テキストよりは、文字数の少ない過去門がいい、やっとそこまではわかりました。しかし、「読めない漢字がある」「漢字の意味がわからない」など、彼はさりげなくつぶやいて私にサインを送ります。彼の声を聴きながら、私は彼が合格するために必要なテキストのイメージが少しずつできてきました。彼は、働いています。毎日、ふたりで勉強するわけにはいきません。もはや、彼が自力で勉強できるオリジナルのテキストをつくるほか道がないのです。

➊問題の「肢」のまちがいを一言、一行で根拠がわかるようにする。これで解説文の量を極端に圧縮し、読む負担を少なくできる。➋まとめコーナーを作り過去門とテキスト(答えの根拠)を一体化させる。➌その際、語呂あわせで暗記を助ける。➍読めない漢字にふりがなをつけ、用語解説で漢字の意味がわかるようにする。➎一周で同じ問題を3回繰り返せるようにする。

 試験は1月末。テキストの一冊目(過去門前年分)ができたのは12月はじめでした。彼は私が持参したテキストを興味深げに受け取ると私の目の前で問題を解き始めました。途中、一問あたりの時間を計測すると、一年分が6時間で仕上がるものになっていました。

「この一冊を年末までにできたら合格できる。疲れてできない日がつづいたら漫画喫茶にこもれば一日で終わる」

 試験までもう、時間がありません。

「ハイ」

 彼は安堵した表情でテキストをカバンにしまいこみました。

 私はすぐに、2冊目の準備を始めます。

 以後、たいてい期限ギリギリに「終わりました。次お願いします」というラインが夜中に届きます。私は、翌朝早起きして準備しておいた次のテキストをプリントアウトし製本して朝一番に速達で送ります。朝一番の速達だと、その日から勉強できるからです。

 彼がフェスブックをしていることを私は知りませんでした。彼からの友達申請もなかったからです。しかし、年があけて、彼のラインが舞い込んできました。

「もうすぐ、介護福祉士の試験です!少しずつですが追い込みをかけています。合格したらいろいろ人生が変わるので絶対とりたいです!」

 好きな彼女もいます。結婚もしたい。しかし、低賃金。この試験に合格したら給料があがると上司から聞かされていました。

 「いろいろ人生がかわるので絶対とりたい」

 彼の願いを知り、私は胸を熱くしました。私は、朝、昼、晩、暇にまかせて関連資料を調べ、パソコンを打ち続けました。試験5日前、ギリギリのタイミングでした。彼は自分の人生を変えるために3年分の過去門を制覇したのです。

 

 先の原稿(機関紙への寄稿)を書いた1ケ月後、合格発表があり、彼は見事合格でした。

  彼のおかげで私も、新しい世界を知りました。しかし、彼が私に大切なことを教えたのは、これがはじめてではありません。前述のように彼は、高等部生の時、ヘルパー2級講座を受講しました。講座には修了認定試験があります。

 試験日当日、私は今までの教師生活で見たことがない風景に出くわしました。

 私が試験問題をもって、会場へ向かうと全員が会場前の階段に座り込み、沈黙したまま、あるいはぶつぶついいながら、それこそ一心不乱状態でテキストを暗記していたのです。私は、「がんばって」と声をかけて会場へ向かったのですが、やがて自分の動悸が高まるほど後悔の念に襲われました。

 「ひょっとしたら、彼等には、もっと教科の学習が必要だったのかも知れない」

 もちろん、私は「障害児たちには、作業能力や職場での態度が大切であって、教科学習は不要」という立場ではありませんでしたが、~を記憶するシステムを学校のカリキュラムにいれることはしてこなかったのです。

 私は、どこかで長嶋が指摘していたような気がして、家に帰ると何回も読んでいるはずの長嶋論文2)に目を通しました。 

「MA7才以上以降の発達には、組織的系統的な学校教育が、いわゆるせまい意味の教授ー学習が、子どもの発達には不可欠である。」

 どこの学校でも教科学習のなかで何かを記憶するという方法はとり入れられています。しかし、私たちの学校では不足していました。この数カ月、新しいことを学び、新しい世界を知った、それを記憶して、再生する学習を彼等は続けていたのです。この時の受講生のリーダーが、アキオ君でした。講座の期間中もみんながアキオ君をまねて、アキオ君のように勉強していたのです。

 

 夏、アキオ君からお中元(「そうめん」)が届きました。きっと、職場の方と相談して決めたのでしょう。

「お礼を言いたいのは、私のほうだよ。君からたくさんのことを学んだ。アキオ君。ありがとう。」

 

 1)2)長嶋瑞穂(1974)個人の系の発達と発達保障 「障害者問題研究」第2号                          

                                                                               

                                                                                             (2018・9月)

 

 

 

階層と段階の視点② 青年期(15・6才頃から)の可逆操作X を探せ!~3次変換可逆操作の「基本操作」と「媒介」及び「産物」

  青年期の「可逆操作」X を探せ! 

                      

                     山田優一郎(人間発達研究所会員)

                                                                        1.大きな階層の中に三つの段階があるとする田中の発達の捉え方1)は、教育実践にいくつかの示唆を与えます。天野清(1979「教育心理学試論」)2)は、思考の発達がどの段階にあり、次にどのような段階に移行させることが発達の課題となっているかを理解して学習活動を組織することが必要だとしました。

 ここでは、「3次変換期」(15、6才頃)にどのような力が獲得されるのかを実践に必要な範囲で推定していきます。          

     

2.現役の哲学者であり思想家でもある内田樹(2020)3)は、古代中国の社会に「時間意識が成熟した人間」と「時間意識が未成熟な人間」が混在していたとしています。内田(2020)は、「朝三暮四」「守株待兎」などの説話について、おそらく、その時期に文字を知ることが遅く時間意識が未成熟な人たちがいて、これらの話は、一種の「教化的な営み」であり「教育の一つのかたちであった」というのです。

 上記説話は、中国における春秋戦国時代(紀元前500年頃)のものです。ちなみに「朝三暮四」は、次のような話でした。

 

「サルを飼う人がいた。朝夕四粒ずつのトチの実をサルたちの給餌していたが、手元不如意になってコストカットを迫られた。そこでサルたちに朝は三粒、夕方に四粒ではどうかと提案した。するとサルたちは激怒した。では、朝は四粒、夕に三粒ではどうかと提案するとサルたちは大喜びした。」

 

 朝と夕、たったこれだけの時間、夕方には起こりうることを予測できない時間意識の未成熟。サルを笑いものにすることでわかりやすく、大人たちを教化する教材にしていたというのですから驚きです。

 たまたま、兎が株に頭をぶつけて捕獲できた偶然を明日からも続くと思い込み仕事をしなくなった百姓の話しもおなじです。

 

 このように中国では、今から2500年も前から、概念を過去、現在、未来へ置き換えて操作することができない「普通」の大人たちがいて、一方、その人たちを説話によって教育しようとしていた人たちもいたのです。このような逸話の存在は、人間の思考において時間軸を打ち立てる課題が古代中国の社会から存在し、概念の時空間操作は、その当時から社会教育の目標だったことを示しています。

 

3.概念の時空間操作は、今も続く大人たちの課題です。

 内田(2020)は、次のように述べています。

 「広々とした歴史的スパンの中で『今』をみるという習慣がなくなった。時間軸が縮減したのです」「時間意識の未成熟な大人たちは、未来の自分が抱え込むことになる損失やリスクが他人ごとになる。」

 

4.では、いったい概念(知識)の時空間操作によって、何が「獲得」されるのか。

 ヘ-ゲル は、「概念そのものは三つの契機を含んでいる」としました。「普遍」「特殊」「個別」の三つです。

  現在、日本の国語辞典において「普遍」の[対義語]は「特殊」6)になっています。先に紹介した古代中国における説話を「普遍」とその対義語「特殊」ということばに置き換えてみます。

 

「朝三暮四」のサルたちは、朝にもらった4粒のトチの実を永遠に続く「普遍」と思い込み夕方には三粒になる「特殊」(損失・リスク)に思いを馳せることができなった。

 

 お百姓さんは、兎が株に頭をぶつけて兎を手にいれることができた「特殊」な一日を明日からも続く「普遍」と思い込み仕事をしなくなった。

 

 説話の主人公たちは、概念の時空間操作ができない人たちの例として、大人たちを教化する教材でしたから、私たちは、古代中国社会の教科書(逸話)から、概念の時空間操作ができない大人たちは、「特殊」概念をつくり出すことができなかったということを知ることができます。内田のいう「広々とした歴史的スパンの中で『今』をみる習慣」、すなわち概念を広い時空間(歴史)において操作する力がないと、「普遍」に対する「特殊」を認識することができないのです。

 

 以上のことから青年期(「3次変換可逆操作期」)の可逆操作[X]は、次のように推定できます。

 人の思考は「1次変換」において、「個別」の中から「普遍」(共通)をとり出す論理的思考を獲得します。さらに「2次変換」においては、普遍と普遍の共通を抜き出し、より本質的なものに変換する思考によって「(真の)概念」(ヴィゴツキ-)まで概念を拡大します。そして、「3次変換」では、さらに「普遍」の中の普通とは違う、別の共通でくくられる「特殊」概念を獲得できる思考に到達します。そして、「特殊」概念獲得の思考は、すでに獲得している概念を自分のものにし、長く、広い時空間におきかえて操作することによって成立します。

 

 すなわち、青年期の「可逆操作」Xは、「特殊」概念を獲得(理解)できる思考であり、その年令期こそが、田中のいう16・17才頃の質的転換期だと考えることができます。

 

4.古代中国の社会は、「3次変換」の力を獲得している人とそうでない人が混在していた社会でした。日本においても、同じ状態だったと考えられます。「3次変換」の力、「特殊」を認識できていたであろう人物の痕跡が存在するからです。

 

 人は太古から自然の恐怖とたたかってきました。水とのたたかいもそのひとつです。洪水はいつあるのか予想がつきません。ひょっとしたら、今後はないのかもしれません。しかし、ないのかもしれない洪水(「普遍」ではない「特殊」)に備え、わざと決壊しやすい堤をつくって洪水に備えていた地域があるのです。次の記述は、岐阜県の防災に関する子ども向けパンフレット7)からの抜粋です。

 

「昔の人は堤防にすき間をつくり、そこから洪水を入りこませて、人が住むところで川が反乱しないようにしました。そのすき間のある堤防のことを『霞(かすみ)堤』といいます。」

 

 この地域の誰かが、概念(知識)を未来に変換し、洪水に備えるだけでなく、堤防を高くするという「普遍」的な手段ではなく「特殊」な考え方を編み出したのです。

 

「同じ川沿いに水を流してもすぐに水がひいていくA地域(遊水池)と、水があふれるとたくさんの人の命が失われるB地域がある」

 

 このような地形にある時、堤防を強くしたり、高くするという「普遍」ではなく別の道を選択したのです。この「霞(かすみ)堤」のうみの親は、なんと武田信玄とされているのです。(「毎日新聞」)8)

 実際の発案は、臣下であっても、領主の許可なくできる工事ではないので信玄が「普遍」に対する「特殊」を理解していたことはまちがいのないことです。では、いったい、武田信玄は、戦国時代にあって「特殊」を編み出す思考をどのようにして獲得したのでしょうか。

 小和田哲男(2014)9)によると、武田信玄は、すでに20才の頃には漢詩を読むだけでなく、漢詩を作るほど秀才だったのです。もちろん、「朝三暮四」「守株待兎」などの知識もあったのでしょう。しかし、当時の戦国武将の子弟たちが教科書としていたのは「武経七書」という兵法書でした。その中には、生きるか死ぬのかの「特殊」な状況に遭遇した時、「死」(特殊)を覚悟すれば生きて、生(「普遍」)に執着すれば死ぬということなどが書かれているのです。10)(「呉子」)

 概念(知識)は、知っているだけでなく、自分の内面に取り込み、自分なりに消化しないと行動にはつながりません。武田信玄は、「3次変換」の思考を自分が生きる武士道の中で獲得できる条件にあったといえます。武士の世界は、未来(時間軸)に損失(「特殊」)を抱えこまないための生き方が徹底されていた社会だったのです。信玄の例からわかるように日本の中世の社会にも「3次変換」を獲得している人とそうでない人は混在していたのです。みんなが信玄が育ったような環境にはなかったのですから、「3次変換」までに至る教育環境は、あるところには「あり」、ないところには「なかった」ということができます。

 

5.前述のとおり、中国の古代社会において「特殊」概念の獲得は、社会の「教化」の目標でした。しかし、「特殊」概念の獲得は、今も続く現代社会における発達の課題だといえます。誰もが遭遇する「特殊」なできごとに合理的に対応できないと豊かに生きることに困難をもたらします。

 

「ケ-キの切れない非行少年たち」を長い間みてきた精神科医の宮口幸治(2019 )11)は次のように記録しています。

 

「時間の観念が弱い子どもは、“昨日” “今日” “明日”の3日くらいの世界で生きています。場合によっては数分先のことすら管理できない子どももいます」

「『今、これをしたらどうなるのだろう』といった予想も立てられず、その時がよければそれでいいと、後先考えずに周りに流されてしまったりします」

 

「あなたは今、十分なお金を持っていません。一週間後には10万円を用意しなければいけません」

 

 毎日の日常(「普遍」)に対して、急に10万円が必要となる(「特殊」)な事態を仮定し、行動を選択する問題を投げかけます。彼らはどんな行動を選択するのでしょうか。

「どんな方法でもいいから考えてみてください」

 宮口の質問に対して「親族から借りる」「消費者金融から借りる」と並んで、なんと「盗む」「騙し取る」「銀行強盗をする」という選択肢が普通にでてくるというのです。

 宮口の結論は、以下のとおりです。

「世の中には『どうしてそんな馬鹿なことをしたのか』と思わざるをえないような事件が多いのですが『後先を考える力の弱さ』が出ているのです」

 すなわち、「特殊」に対して合理的でない結論、いわば、割にあわない選択をしてしまうのです。

 「3次変換」(「特殊」)の弱さがもたらす「今さえよければ」という思考も「自分さえよければ」という思考も自由です。しかし、「普遍」の中にひそむ「特殊」を把握する力が弱いと、割りにあわない選択どころか、とりかえしのつかないことになってしまうことがあります。

 

 2021年6月28日。千葉県八街市の路上で下校中の小学生の列にトラックが突っ込みました。2人の児童が死亡、1人が意識不明の重症、2人が重症です。運転手は飲酒運転の常習者でした。

 

 ある日、がまんできずに酒を飲んで運転した。何ともなかった。また、がまんできない日があって、酒を飲んで運転したがなんともなかった。くりかえすうちに、もう、これが普通(「普遍」)だと思いこんでしまう。その普通(「普遍」)の中に「酒を飲んで運転したら事故をおこす確率が高くなる」というもうひとつの共通でくくられる「特殊」は、だんだん他人事になる。内田(2020)が指摘したように時間意識の未成熟な大人たちは、「未来の自分が抱え込むことになる損失やリスク」が他人ごとになるのです。しかし、「特殊」は日々の普通(「普遍」)の中にあるから、突然現れる。運転手は60才。危険運転致死罪は15年以下の懲役。失われた子どもたちの命は、取り返しがつかない。

 

 「3次変換」(「特殊」)の弱さがあっても、障害とはいえず、ましてやそれだけで、罪に問われることはありません。しかし、古来から中国の人たちが教化の目標としてきたように、今でも「自己の人格を磨き、豊かな人生を送る」12)ためには必要な力だといえます。

 

6.概念の時空間操作は、もうひとつの結果をもたらします。

 エリクソンの「アイデンティティ」ということばは、専門書でなく普通の辞書に載っています。したがって、世界の共通語です。

アイデンティティ」とは、どんなものでしょうか。

 

「彼がかってそうであり、まだ現在そうなりつつあるもの、それから彼が考えている自分と、社会が認めかつ期待する彼と、これらすべてを総合して一貫して自分自身をつくりあげることである」13)

 

 日本では、「自我同一性」(「発達心理学辞典」ミネルヴァ書房)と訳され、自分はいつでもどこでも自分であるという一貫性のこととされています。

 エリクソンの説明からわかるように、「アイデンティティ」の確立は、過去、現在、未来へと続く「自己」、社会が認め期待する「自己」を一貫したものとして確立することですから「自己」という概念の時空間操作にほかなりません。エリクソンは、この仕事を17才までに達成しなければならない青年の「中心的仕事」としました。 14)

 エリクソンの研究から、人は15・16才頃の節を越えて「自己」概念の時空間操作ができるようになることがわかります。ちなみに「自己同一性」について、内田(2020は、次のように述べています。

「時間意識とは、『もう消え去った過去』と『まだ到来していな未来』を自分の中に引き受けることです。過去の自分のふるまいの結果として今の自分がある。未来の自分は今の自分の行動の結果を引き受けなければいけない。そういう骨格のはっきりした、ある程度の時間をもちこたえられるような自己同一性」

 

まとめ

 田中(1987)15)は、「変換の階層」の第3の段階を「3次変換可逆操作」の段階としています。「3次変換」は、「普遍」の中の普通とは違う、別の共通でくくられる「特殊」概念を獲得できる思考への到達でした。そして、「特殊」概念獲得の思考は、すでに獲得している概念を自分のものにし、長く、広い時空間におきかえて操作する活動によって獲得されます。他とはちがう「特殊」な自分をみつけることこそ、アイデンティティの確立であり、以後は、アイデンティティを拠り所に自分の人生を歩むことになります。

 

 以上のことから、15・6才頃からはじまる田中のいう「3次変換可逆操作」期の可逆操作は、次のようにまとめることができます。

 上記①の思考が②と③の間で可逆し、②によって③を獲得し、③のひろがりによって、➁を充実させていくという循環によって自己発達をとげていくということができます。 アイデンティティの確立は、ある程度の広い空間、長いスパンで「自己」という概念を操作した結果であり、「自己」という概念の時空間操作によって、特別な自分を発見した証だといえます。

 

 発達の段階表は、通常、段階ごとに「~ができる」「~がわかる」という説明が続きます。しかし、これは結果として、できたり、わかったりすることの説明です。なので、段階表といくらにらめっこしても、ここから実践を「どうすればいいのか」は、直接出てきません。しかし、本ブログでいう「~可逆操作」には必ず、上記②の外の世界から何かを得るための媒介となる活動がセットになっています。どの階層、どの段階においても➁の媒介こそが、実践を組織するキーワードです。こうして、「可逆操作」は、段階把握の目安になるだけでなく実践の手がかりにもなるものです。

 

 ここまで、15・6才の節の「可逆操作」について検討してきました。しかし、障害児教育の課題は、ここからです。発達年令12・3才頃で入学してくる(軽度の知的障害)生徒の可逆操作を明らかにして、そこから実践のヒントを得ることは、障害児教育が直面している課題になるからです。

 

1)田中昌人(1987)発達保障の発達理論的基礎「発達保障の探求」全障研出版部P150。長嶋瑞穂(1974)「障害者問題研究」第2号.全国障害者問題研究会P11表9

2)天野清(1979)発達の条件と教育の可能性心理科学研究会編「教育心理学試論」三和書房 

3)内田樹(2020・2・29付)「今さえよければそれでいい」社会がサル化するのは人類が「退化フエ-ズ」に入った兆候.文春オンライン

4)内田樹(2020・2・28第一刷発行)「サル化する世界」.文藝春秋

5)山内清(2014)ヘ-ゲルの「普遍-特殊-個別」論理.鶴岡工業高等専門学校研究紀要第49号

6)「現代国語辞典」(三省堂) 

7)岐阜県(平25)「私たちが守り伝える~伝統的防災施設」

8)毎日新聞2020年2月1日付)

9)小和田哲男(2014)「戦国大名と読書」柏書房

10)前掲9)

11)宮口幸治(2019)「ケ-キの切れない少年たち」新潮社

12)教育基本法第3条 生涯学習

13)相良麻里(2006)現代青年の意識と行動~アイデンティティの問題にかかわって。東京家政大学研究紀要Ⅰ人文社会学46巻

14)前掲13)

15)田中昌人・清水寛編(1987)「発達保障の探求」全国障害者問題研究会出版部

 

                       (2020・5・13メモを加筆)