発達保障をめざす理論と実践応援プロジェクト

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階層と段階の視点⑧ 1次元可逆操作の基本操作・媒介・産物~本質への接近[可逆操作は、認識できるのか]

     1次元可逆操作

    「基本操作」と「媒介」及び「産物」               

                  山田優一郎(人間発達研究所会員)

                     

 「階層-段階理論」の階層・段階表において、「次元」「変換」と名付けられているのは、階層(年齢期)の発達の質を表すことばです。幼児期の階層は「次元」でした。この年令期に認識できる世界が1次元、2次元、3次元とひろがっていきます。

 認識=「ものごとをはっきりととらえ、理解して見分け、判断すること」 

 

 人の成長過程において、幼児期(第1)と青年期(第2)に反抗期が存在することがよく知られています。幼児期の反抗は、1才、1才半頃から3才まで続きます。世界の子どもたちに共通して観察できる事象ですから、1才~3才までの間に子どもの内側に共通のタイミングで変化を引き起こす何かが存在していることが予想されます。しかし、なんとなくわかっていることでも、論理的に説明できないと本当のことにはなりません。アインシュタインは晩年次のように述懐しています。4)

「なんとなくわかるが、説明できないという真実を追い求めて、暗闇の中で手さぐりするような探求の年月」

 

 田中(1988)は、1才半頃の子どもたちの行動に次のような特徴があることを発見しました。

 

「お昼寝の時、枕をおいてあげます。すると枕を軸にして足からおふとんに入れるようになってきます」(「方向転換」)

「すべり台も(すべるほうではなく)階段のほうへ回ってのぼっていきます」(「まわり道」)

 それまでは、フトンは頭から入り、すべり台は、すべり降りるほうから登ろうとしていた子どもが「そっちからではなく、こっちから」と方向転換をし、まわり道をするのです。田中は、このような方向転換や回り道を、子どもの中に「~(何々)デハナク~(何々)ダ」と認識できる力が育ってきたからだと説明しました。

 そして、「~デハナク~ダ」と認識できるようになってきた子どもは、

「(ワンワンではない)ニャーニャー」「(ニャーニャーにではない)メエメエ]

「(メエメエではない)モーモー」と、飛躍的にコトバを拡大していきます。

 さらに、人が人であることの証明のひとつとされる道具の使用でも大きな変化をもたらします。スプーンは、投げたり、何かをたたいたりする時に使うものデハナク、「食べるときに使うもの」と、認識できるようになるからです。

 田中の発見によって、「(ちがう!ぼくは)~デハナク~ダ!」と、反抗が激しくなることも説明できます。つまり、1才~3才間にどの子にもおこる変化を認識力の変化として説明できるのです。

 

2.①状況にあわせて方向転換、まわり道ができ、➁いろんなことばを発し、③道具をその意味どおりに使えるようになる。ほんの少し前の①➁③ができなかった時期と比べると、大きな変化です。さらに④「イヤ!イヤ!」と、反抗も激しくなります。

 田中(1988)は、このような変化を作りだす根底にあるのは「~デハナク~ダ」と外の世界をとらえることができる認識だとし、これを「1次元可逆操作」としました。(「可逆」の意味は後述)

 

3.では、A君(障害児)が「1次元可逆操作」(「~デハナク~ダ」の認識)段階にいるのか否かを普通の大人はどのようにしたら知ることができるのでしょう。「可逆操作」の説明がこのままで終わると、まず、A君(障害児)について①➁③④の活動をチェックすることになります。というか、実践現場の支援スタッフ、親たちには、それしか段階を知る方法がありません。ところが、それではうまくいかないことが多々あるのです。

 それはなぜでしょう。

 田中(1988)は、なんども「現象」ということばを使います。

現象を成りたたせているもう一歩奥に入ったところに法則性が見いだされている時、それをとらえて『発達をとらえた』といいます。」

「深く考えて、深くとらえてみると、現象をなり立たせていく『もとの力』がしっかりと根をはっているものがわかります。」

 ところで、哲学において現象と本質は一体のものです。

「世界のあらゆる事物、出来事にすべてそなわっている両側面であり、あらゆるものには現象と本質が統一されています」6)(足立1990)

 したがって、田中のいう現象を成り立たせている「もとの力」というのは、現象の奥にある本質のことです。では、ここでいう本質とは何か。

 

「発達をとらえるのも現象としてのとらえ方だけではなく、まず一歩わけいってみると『三つの発達段階』の法則性が成り立ってきている」(田中1988)

 つまり、「階層-段階理論」においては、各階層の三つの段階の「~可逆操作」こそが本質なのです。図にすると次のようになります。

 

 ここでは「~デハナク~ダ」という認識の力が本質であり、「1次元可逆操作」なのです。上の図のように確かに本質と現象は、「両側面」(足立1990)なので切り離すことはできません。しかし、やっかいなことに「本質はいつもそのまま現象するとは限らず、しばしばずれたり、ゆがんだりして、時には正反対の形をとって現象」7)するのです。

 したがって、子どもの①➁③④を「できている」「できていない」とチェックしても、「1次元可逆操作」(「~デハナク~ダ」の認識」)を把握できるとは限らないのです。例え、総合的に判断しても、しばしば、ずれたり、歪んだりする現象をいくつ足しても、または、平均しても、それは必ずしも本質ではありません。

 私自身も、私が所属していた職場集団も、上記現象と本質の関係に気付くことができず、いくつかの現象で「可逆操作」を把握しようとして、うまくいきませんでした。以下の考察は、私たちのこれまでの痛切な教訓から導きだした結論です。 

 では、普通の人は、どのようにして本質へ接近したらいいのでしょう。このままでは「人間に物事の本質なんかわかるハズがない」と、神様か占いに頼るしかありません。

 

 一方、哲学者たちは、本質は現象を通路8)として現れることも明らかにしています。私たちは、いろんな現象の中でもっとも確かな通路を探し当て、本質へ近づかなければなりません。本ブログでは、以下の理由によって、すでに標準化されている発達検査の「認識」「思考」の力の発揮(現象)を測定することによって、「可逆操作」(本質)へ接近することを提案しています。

 

 ただし、私たちがこの段階で把握した「可逆操作」(本質)は、私たちが認識した仮説的なのものにすぎません。やがて、実践の中で子どもからの点検を受け、確かめられ、あるいは修正されることになります。本質の認識過程は「現象→本質→現象」9)と、ひと巡りして、ひとまずの完了となるからです。

 

 では、すでに標準化され、現在も実施されている発達検査、「新版K式発達検査法」(「K式検査」)10の検査項目を通路として「1次元可逆操作」(「~デハナク~ダ」の認識)へ迫ります。Kは、京都の頭文字のK。今から71年前(1951年)京都で誕生し、京都の一部の地域や研究者の間で実践されてきた検査です。今では全国の多くの公的機関で判定・指導の指針として活用されています。「K式検査」は、ビネ-、ゲゼル、ピアジェなどの発達理論をもとに作成11されており、世界の研究者たちの知見を継承し、各検査項目は、これまで何千人という子どもたちに検査を実施してもなお修正されずに生き残っている項目です。つまり、同じ年令の子に何度実験(検査)しても同じ結果が得られているので「たまたまできる子がいる」とか、知的発達水準は同じでも生活年令を重ねていけば「誰でもできる」項目など、発達を見る項目として不適切なものは歴史の中で淘汰されてきているのです。したがって、現象から本質へアプローチする際の試されずみの通路だといえます。

 

 「K式検査」において、「~デハナク~ダ」の認識への到達がわかるのは、「絵指示」(1:6~1:9)12)という項目です。この検査は、「何々はどれ?」に対して、カードの絵を指さして答えます。もちろん、目で答えてもいいし、表情でこたえてもいいのです。近くに絵本さえあれば、誰でも子どもとお話ししながら確かめることができます。話しことばはなくても、ことばを理解していれば合格となる検査なので、先人たちはこの検査を通してことば(理解)の世界への到達を見てきたのです。検査方法を工夫すれば、どんな障害の子でも、どこの地域に住んでいる子でも「(これは)ねこデハナク、いぬ」、「(これは)こっぷデハナク、ちゃわん」と、「~デハナク~ダ」という認識への到達をみることができます。個人差がある運動能力や手・指の器用さが捨象され、認識力への直接の通路としてこの検査方法が発見され、実践(検査)での検証が続けられてきました。世界の研究者たちは、研究と実践の英知としてこの検査項目を残してきたのです。

 

 こうして、「絵指示」の(+)をもって「~デハナクナク~ダ」の認識への到達としたとき、1次元可逆操作期の子どもの認識世界は、次のように説明することができます。

 

 1才半頃から始まる1次元可逆操作期は、ことば(一語文)と回りの事物・事象のひとつひとつが「(これは)~デハナク~ダ」と線的(1次元)につながる世界。

 

注)方向転換や回り道(下部連関)、道具使用の力(基本連関)、反抗の力(内部連関)など、他領域の~ができる力は、田中の説明によって、1次元可逆操作(認識)と強い連関があると推定される現象ですが、あくまでも他領域の現象なので可逆操作(本質)そのものとは区別される必要があります。実際のところ「~デハナク~ダ」の認識未獲得、つまりことば理解がまだできない子でも、方向転換(フトン)や回り道(すべり台)、道具使用(スプーン)ができる子が、学齢に達している障害児なら結構いるのです。なので、両者をしっかり区別しないと、現実の子どもの姿と齟齬が生じ、職場での信頼を損ねます。

 

 さて、以上によって、「幼児第1段階」とするよりは、1才半の節をこえた子どもたちの発達の特徴を内容(質)で把握することができます。人の世界は、ことば(手話、サイン、文字盤などあらゆるコミュニケーションを含む)でつながっています。ことば世界への到達は、その後の人生を切り開く大きな第一歩です。だからこそ、研究者たちは「絵指示」という検査項目を重要な指標として残してきたのです。結果、私たちは、1才半の節を越えている子どもたちには、ことば(一語文)の世界を充実させていくことが子育て、保育、教育の中心であることを知ることができます。

 「今、大切なことは何か」――ことば(一語文)世界の充実、これが1才半の節を越えている子どもを囲むワンチ-ムの合言葉です。何が大切か、どの分野を担当していてもすぐわかります。

 

 では、いったい、1才半越の子どもたちが、獲得していることば(一語文の理解)は何と「可逆」しているのでしょう。「可逆」というのは文字通り、行っったり、来たり、逆の順序でも出来ることです。

 

 子どもは、1才半頃にことばを獲得し、二足歩行をし、道具を使います。まさに、ヒトから人への第一歩です。だから、人間にもっとも近いチンパンジーと比較することによって、この時期に何に何と何が「可逆」しているのかがわかります。

 友永(2011)13)は、「チンパンジーの母親は、『自己-他者-物』の3者関係を構築するような積極的な働きかけを子どもに対してすることはほとんどない」としました。山本(2011)14)は、チンパンジーには「積極的に教える教育がみられない」「手取り足取り教えることはない」としています。

 しかし、人間の大人は、幼児と接する時、本性として、子どもの一言に「そうそう」と頷き、ほほえみ、日本においては、頭をなでては「かしこい」とほめたりします。「あれは何々」「これは何々」と教え、できないことがあれば、ことばといっしょに手をそえて教えます。

 前述のようにヴィゴツキー(1979)15)は、次のような発見をしています。 

 

「子どもと大人のコミュニケーションが発達するにつれて、子どもの一般化も拡大する」

 

 つまり、ことば(理解)を頭の中で操れるようになった子どもたちがその力を可逆的に発揮し、発達の糧を得るための中心的な活動は、大人との交流活動なのです。私たちの実践では、子どもが発話できるのは「知っている物」→「発話ができる」でした。したがって、「知っている物」→「発話ができる」→「大人との交流」→「理解できることばの拡大」→「発話の拡大」と進みます。

 

まとめ

 以上によって、1次元可逆操作は、次のように職場で「コミュニケーション可能」(茂木1978)16)なものとなります。

 

 1才半頃から始まる段階は、

 ①ことばを認識(理解)できる力で、②大人との交流活動によって、③新しいことばを獲得していく。

 ①が、②⇔③で可逆し、拡大再生産しながら発達を遂げる。

 

 1次元可逆操作を上記のように理解することによって、この時期を人間社会から隔離された環境で育つことになった、いわゆる野性児17)といわれる子どもたちの多くがなぜことばを獲得できなかったのか、逆にヘレンケラー18)は、なぜことばを獲得し素晴らしい知性をもつに至ったのか説明が可能です。また、「クシュラの奇跡」19)も「奇跡」が起こった理由を「可逆操作」によって説明することができます。

 

 私たちは、話しことばの一語文をもっていながら、ことばがひろがらない子どもに「伝えたいものがないのだから、興味・関心をひろげていこう」としてきました。しかし、それはうまくいきませんでした。興味・関心をひろげるための媒介となる活動、「大人との交流」こそ必要だったのです。今、子どもがもっている「可逆操作」(一語文)で、交流が広がる学習と生活を組織することが必要だったのです。子どもの住んでいる世界で交流を広げればよかったのです。そうすることで、結果としてことばがひろがっていく仕組みになっていたのです。

 

 こうして、「可逆操作」の理解は、可逆、循環がどこで断ち切られているかを明らかにし、そこに手をあてる実践を可能にします。

 

 

[参考・引用文献]

1)「ものごとをはっきりととらえ、理解して見分け、判断すること」.「現代国語辞典」三省堂

2)「発達心理学辞典」ミネルヴァ書房

3)第一次反抗期は自我の芽生え!子どもの葛藤を受けとめ甘えさせてあげよう|ベネッセ教育情報サイト

4)フィオナ・マクドナルド著 日暮雅通訳(1994)「伝記アインシュタイン偕成社

5)京都市職員組合養護教員部(1988)田中昌人先生講演記録「子どもの発達と健康教育(1)」かもがわ出版

6)足立正恒(1990)「唯物論弁証法新日本出版社

7)労働者教育協会編(1974)「働くものの哲学」学習の友社

8)「現象を通路として・・・本質を認識できる」

  「マルクス主義哲学講座」 林檎倶楽部 (y-ok.com)

9)前掲8)

10)監修島津峯眞編集者代表生澤雅夫(2003)「新版K式発達検査法」~発達検査の考え方と使い方~.出版:ナカニシヤ出版

11)松下裕・郷間英世編(2012)「新版K式発達検査法2001年版発達のアセスメントと支援」ナカニシヤ出版

12)前掲10)

13)友永雅己(2011)松沢哲郎編「人間とは何か~チンパンジー研究から見えてきたこと」岩波書店

14)山本真也(2011)「チンパンジーと人の共通点・相違点~社会的知性を中心に」京都大学人文學報(2011)100

15)ヴィゴツキ-著柴田義松訳(1979)「思考と言語」上.明治図書

16)茂木俊彦(1978)発達理論に関する若干の研究課題について~心理学のアスペクトから~「『発達保障論』の成果と課題」.全国障害者問題研究会

17)オオカミ少年、犬少女。人間社会から隔離された環境で育った世界10人の野生児たち : カラパイア

18)アン・サリバン著、槇恭子訳「ヘレンケラーはどう教育されたか」明治図書

19)ドロシー・バトラー著,百々佑利子訳(2006)「クシュラの奇跡」のら書店

 

資料~標準化された発達検査の項目 を通路とした各段階(可逆操作)の把握方法

   

                              

                       

※)ただし、前述のように私たちがこの段階で把握した「可逆操作」(本質)は、私たちが認識した仮説的なのものにすぎません。やがて、実践の中で子どもからの点検を受け、確かめられ、あるいは修正されることになります。本質の認識過程は「現象→本質→現象」9)と、ひと巡りして、ひとまずの完了となります。