発達保障をめざす理論と実践応援プロジェクト

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読後感想 田中昌人著「人間発達の理論」における対称性の原理について(2)

  田中昌人の「対称性原理の展開」と「破れ」

                          

                    山田優一郎(人間発達研究所会員)

 

1.「対称性の展開」と「対称性原理の展開」

 

 田中は、発達検査(以下「実験」におきかえる)の結果をもとに、幼児期の内面の発達過程を「対称性原理の展開」によって説明しようと試みた。次元可逆操作における説明は、以下のとおりである。(127P~)

 

実験1 

対象児 2才前半 男児

道具 同型同色の3枚のお皿。7個のアメ。

手順 ①お皿に向って左から、父・母・ボクのと命名する。

   ➁「ここへおやつをわけてね」と声をかける

結果 父1個、母1個、自分5個と分配した。

考察 田中はこの結果を「自我の拡大」(129P)と考えた。

   

 上記、実験1の結果は、自分と他者との対の関係でみれば、形の上で対称性をもっている。(図1) そして、「自分のところに多く分配する」という法則も存在しているかのようにみえる。

                 図1

       

 しかしながら、前回ブログで見てきたように物理学でいうところの対称性には、かわらない法則、すなわち、「変換に対する物体の不変性」1)が必要であり、「不変性」は、誰が何度実験しても同じ結果が得られることによって万人に承認される。ちなみに「どこで(平行移動)」実験しても同じ結果が得られるのが「並進対称性」2)である。

 

1)レオン・レーダーマン、クリストファー・ヒル著 小林茂樹訳(2008)「対称性」白揚社

2)並進対称性=空間の並行移動という変換を行っても法則は変わらないことをいう。例)東京で実験をやろうが大阪で実験をやろうが法則は同じ。(小林誠・2009.ノーベル受賞記念講演~対称性の破れとは.「学術の動向」弟14号6号)

 

 したがって、この実験(検査)を何人もの2才前半児に実施して同じ結果を得て、変換(働きかけ)に対して「かわらない法則が存在している」と説明することが必要になる。前述のように物理学がいうところの「対称性」は、1回だけの実験の結果をもって直ちに「対称性の原理」を適用することはできない。ひとり(1回)だけの実験では、その活動の中に貫かれている法則の存在も、変換(働きかけ)に対するその法則の「不変性」も「確かなもの」として確認できないからである。

 実験1の結果は、田中の貴重な発見ではあるが、もし、結果を「対称性の原理」の展開の説明として使うのであれば、2才前半のどの地域3)の何人4)の幼児に、いつ5)実験をしたのか、どんな結果になったのかについてデータが必要だと思われる。それによって、法則の存在、並進対称性の有無、そして、場合によっては、時間対称性の有無もわかるからである。もちろん、すでに標準化されている発達検査の項目ならば、その出典を示すだけで充分である。当該年令児に世界各地で何回検査(実験)しても同じ結果が得られることが証明されているからである。

 

3)並進対称性の有無がわかる。

4)法則の存在がわかる。

5)時間対称性の有無がわかる。

 

 田中は、一連の実験場面における幼児の活動を「自我の形成を基礎にした第1期対称性の展開」「自我の形成を基礎にした第2期対称性の展開」とする。また、こうした実験場面の結果を「自制心の形成期における、余りあるいは追加対称配置における対称性の展開と名付けることもできる」とした。

 一連の実験場面が「対称性原理の展開」とは区別される活動の名称なら、見事な発見であり、わかりやすいネイミングである。

 

 しかし、その直後、次のようにまとめる。

 

 「いわぱ内への発達的破れとして第1期と2期にわたる対称性原理の展開がみられる」

 

 これでは「おい、おい」になってしまう。「対称性の展開」としていたものが突然、物理学でいうところの「対称性原理の展開」におきかわることになるからだ。田中にとっては「対称性の展開」「対称性原理の展開」も同義なのだろうか。

 同義なら、なぜすでに定義が存在する「対称性原理 の展開」とは別に「対称性の展開」という別のカテゴリーをつくって自分で名付ける必要があったのだろうか。また、別ものだとしたら、オリジナルに名付けた「対称性の展開」が、どのような理由で直後に一般的な「対称性原理の展開」にかわったのか説明が必要である。

 つまり、このままでは田中が「対称性の展開」といえば、「対称性の展開」であり、田中が「対称性原理の展開」といえば「対称性原理の展開」になるという妙な論立てになる。

 

 ただ、次のような事情があったのかもしれない。

 

「人間発達の理論」の初版は1987年。本論文は1984年~5年ころのものである。戦後「対称性の原理」についての日本におけるトップランナーは、雑誌「素粒子研究」を発行していた素粒子論グループである。雑誌の事務局は、京都大学の湯川記念館。田中は同僚たちが発行しているこの雑誌から先進的な自然科学の情報を入手していたのかもしれない。だとすれば、当時、掲載される論文についての審査はなかったと記録されていることから、1980年代初頭、まだ「対称性の原理」についての記述もさまざまだった可能性がある。 

 というのも、田中の著書1984年発行、「子どもの発達と診断③幼児期Ⅰ」の中に「対称性原理が働いて最初は真中に一つ入れる」などの表現もあるからである。

 

 もちろん、実験1から、2才前半幼児の「自我の拡大」を推認できるのであるから、その範囲において上記実験の意義は、失われない。

 

2.田中昌人の対称性の「破れ」

 今、実験1の結果を何人もの子に何回実験しても同じ結果が得られたと仮定しよう。するとそこには2才前半児は配分課題において「自分のところに多く分配する」という法則の存在がわかる。そして、その法則は働きかけ(変換)に対し何回実験しても「かわらない」(仮定)のであるから、図2のような対称性が認められる。前述のとおり、田中はこの結果を「自我の拡大」(129P)と読み取った。

 

                 図2  対象: 2才前半男児 

    

 

 では、「2次元の形成が進んだ幼児」の実験結果をみてみよう。

 

 対象児 2次元の形成が進んだ幼児

 結果 父2個、母2個、自分3個と分配した。

 考察 田中はこの結果を「自我の充実」(133P)と考えた。

 

 対称性の「破れ」とは、「ある変換をおこなった時に法則が変わってしまうこと」であった。しかし、上記実験の結果は、図2と何らかわらない。つまり、引き続き対称性は維持されている。(図3)

       

          図3  対象:2次元の形成が進んだ幼児      

         

 

 結果、「自我の充実」→「自我の拡大」への変化は、少なくともは対称性の「破れ」によっては説明できないことがわかる。しかし、逆に対称性の「破れ」によって証明できないのであるから「自我の充実」→「自我の拡大」は、質の変化でなく量の変化であることの証になるのかもしれない。

 

 ここからわかるように量的な変化は対称性の「破れ」では説明できない。「法則が変わってしまうこと」が「破れ」であるから当然のことである。しかし、これは、発達において質がかわる、まさにその時は対称性の「破れ」で説明できることの証左でもある。

 

   では、「自我拡大・充実」から「自制心の誕生」という、内面の発達における質的な変化を対称性の「破れ」によって証明することに田中は成功しているのであろうか。

 結論からいうと残念ながら、私には確認することができなかった。

 その理由は、「人格の発達的基礎における第2期の対称性の展開」を見るための検査が、「自我の充実・拡大」をみてきた上記検査(実験)とは別ものになっているからである。

 ちなみに田中が、第2期の対称性の展開としている「配分課題」の実験(検査)結果は以下のとおり。

 

 ①「第2の過程になると、白い積木と赤い積木をかすり模様にした左右対称の配分がみられるようになり」(135P)

 ②「そして、第3の過程になると・・理由によって、自分と自我の関与する他者への配分をどちらも柔軟に操作してかえ、さらにいくらでも変化を楽しむことができるようになる」(135P)

 

 ①は、構成模様の話しであり、②は、配分課題の活動を「柔軟に操作して」「楽しむことができる」という評価てある。もはや、配分の模様や、楽しみ方を観察する実験(検査)にかわっている。

 

 自然科学でいうところの対称性の原理によれば、対称であるものは運動を続けている限り、いずれその対称は「破れ」、何かを誕生させる。すなわち、万物のコトの始まりは対称性の「破れ」である。そのドラマを証明する実験(検査)において、従来の基準とは異なる基準の観察結果を持ち出して説明しても、それは発達の記載であって、対称性が「破れ」て何かが誕生するという説明にはならない。観察点がかわれば、別の景色になるのは当たり前のことであって、それは従来の法則がかわること、すなわち「破れ」とはいえないからである。

 

 ひょっとしたら、田中は、自然科学でいうところの「対称性の原理の展開」「対称性の展開」と読み変えて、発達の事実を記録しておきたかったのかもしれない。また、ここまでの検討でわかるように「対称性の原理」の「破れ」に「内」や「外」はない。けっきょく、これも、田中独特の文学的な表現なのかもしれない。

 

 もちろん、田中が「対称性の展開」として明らかにした発達の事実とその順序性の発見は、田中の功績として歴史にきざまれる。

 

ーー自然現象が、対称性を含む理論によって説明できれば、その説明はもっと満足のいくものになる。そうすれば、その理論は自然についてさらに奥深い真実を明らかにするだろう。理論そのものが、さらに信頼のおけるものになるはずである。

 (レオン・レーダーマン、クリストファー・ヒル小林茂樹訳(2008)「対称性~レーダーマンが語る量子から宇宙まで」.白揚社

 

 自然界を記述するための科学、「対称性の原理」で発達を説明しようとした田中の挑戦は、発達を科学するための先駆的な試みであった。しかし、みてきたように一連の貴重な検査結果を「対称性の原理、すなわち、自然の摂理として万人を納得させるものにはなっていないというのが私の感想である。

 

 時代の背景があったのかもしれない。他者には理解できない田中の世界があったのかもしれない。しかし、いずれにしても「対称性の原理」で発達を記述する課題は、田中の意思を引き継ぐ若い世代の課題として残されているように思われる。次の世代は、きっと発達を「対称性の原理」で記述することに成功する。そして、その時、「階層-段階理論」は、「理論そのものが、さらに信頼のおけるものになるはずである。」(レオン・レーダーマン2008)

 

▲読んでいただいた皆さんへ

 田中昌人の「人間発達の理論」を手にして、その余りにものわかりにくさに驚愕しました。何度も開きましたが、ザッと見ただけで長い間、積ん読状態でした。退職後、本書にふれる機会があって、この本のわかりにくさの原因は、どこにあるのだろうと考えました。結果、わかりにくさの原因は、私にあるのではなく、著者に原因がある可能性に気がつきました。どんな理論も時代的制約から逃れることはできません。今後の「階層-段階理論」の発展のためにわかりにくさの原因は、著者にあるという前提にたって感想を綴りました。私のほうの誤解、まちがいがあった時(誤字・脱字含む)は、その都度躊躇なく修正削除の予定です。ご指摘をいただけましたら有り難いです。